C006_「思い付き」は宝の山
誰とも会う約束が無い日は、わりと朝早く起きる傾向がありまして、
今朝も「そろそろ起きようかな。もう8時ぐらいかな。良く寝たし。」
・・・5時50分でした。
そんなこんなで毎日いろいろなことがあるわけですが、
今回は何もテーマを持たず、ただただ思うままに・・・まさに
「気の向くままに」書いてます。
そういえば、私はとても「思い付き」を大事にしています。
「思い付き」たとえば・・・
『畏怖』と『傲慢』
「畏怖」とは、畏れおののくこと。「怖」という言葉も含まれているが、怖いからこそ、そこに神秘性を感じることもあったり、分からないからこそ興味が湧くなんてこともあったり。尊敬する気持ちが沸き起こるのも、その相手の凄さは感じられるもののどうやってそこまで到達したかが分からないからだったり。
つまり、分からないから怖いし、分からないからそれが不思議だと感じる。同時に、不思議だからこそ興味が湧くし、もっと知りたいし、もっと見たいし聴きたい。その素晴らしさを面白いとさえ感じる。いわば『初心』。
対して「傲慢」には相手への畏怖の念がない。つまり、分かった気でいる。相手を決めつけている。相手はこの程度だという、驕りがある。だから相手の話を聴く姿勢を持たない。聴く必要がないから。分かってるから。「どうせ」という態度がありありと見て取れる。だから傲慢になる。謙虚さがなくなる。
つまり、両者を分けるのは「自分と違う相手に対する敬意の有無」と言える。敬意は、相手を決めつけない姿勢と相手のことを教えてほしいという姿勢があって初めて、本当になる。
『初心忘るるべからず』たる所以である。
「思い付き」というのは、その人そのもの。
今まで類似の考え方はあったにせよ、ここで生まれた考え方は今生まれたばかりで鮮度は随一です。鮮度とは、生々しさ。生々しさがあればあるほど、自分も十分な熱量を持ってそれを伝えたいと思うし、相手もその熱量に呼応して、興味を持ってくれる(と思う)。
私の思い付き、例えばこんな具合です。
私は誰かの「思い付き」が大好きです。
例えば、あなたが「ちょっと、この話関係ないかもしれないんだけど、言ってもいい?」と切り出して来たら、
「もちろん!なになに」と聴く姿勢全開でいます。
なぜなら、今からあなたが話してくれるその話は「あなたそのものだから」です。
どこかの誰かの受け売りだったとしても、あなたが言いたいと決めた内容がこれから聴けると思うと、ワクワクします。
ところで、思い付きというのは書き留めないと、すぐに消えていきます。
「あれ、今何言おうとしたんだっけ・・・」の世界です。
私はそんなに悔しがる性格ではないのですが、思い付きを忘れたときはとても悔しがります。
でも、そんなときは昔々、たしかラジオで稲葉浩志さんがおっしゃってたことばで自分を慰めます。(一言一句、メモしたわけではないので、ニュアンスはこんなだったという具合で書かせていただきます。)
「車を運転しているとき、良い歌詞が生まれることがあるんです。そうすると、できるだけ近くで車を止められるところに止めて、その歌詞を書き留めようとします。でも、書こうと思ったら忘れちゃってることがあるんです。そんなときは「忘れるってことは、そんなに良い歌詞じゃなかったんだ。」と思うようにしています。」
そうやって悔しがる自分の気持ちを尊敬する方の言葉によって洗い流していく。
でもやっぱり、思い付きには宝がぎっしり詰まっていると思うので、
夢のように忘れてしまうのではなく、しっかりと現に呼びこんであげたいと思います。
さて、明日はどんなことを思い付くかな?
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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