Katsu

2003年にアメリカに移住。それ以来、アメリカの製薬会社で新薬の研究・開発に携わる日本…

Katsu

2003年にアメリカに移住。それ以来、アメリカの製薬会社で新薬の研究・開発に携わる日本人研究者です。なぜアメリカに来たのか? なぜアメリカで働くことにこだわるのか? 自分の挑戦を有言実行とするため発信していきます。

マガジン

  • 海外で働けるトキシコロジストという研究者の道

    世界の製薬会社の研究機関で働ける海外で通用しやすいトキシコロジストという研究者の道について紹介します。

  • アメリカ転職 The First 90 Days

    コロナ禍でバーチャルのみで行ったアメリカの製薬会社での転職活動、転職後最初の90日の経験を記事にしました。

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日本人研究者、アメリカ最後の挑戦

2021年8月の時点で55歳の日本人研究者、アメリカでの最後の挑戦をこれから書いていきます。 若い頃から、アメリカに移住し、アメリカで働くことをずっと夢見ていました。2003年にようやくその夢が実現しました。その時すでに37歳になっていました。それ以降ずっとアメリカに住み、早いもので2021年の時点で18年が経ち、55歳となりました。少し前でしたら、もうリタイアしてもおかしくない年齢かもしれません。でも、リタイアして日本へ帰る前に、アメリカで、もうひと仕事したいと思いました

    • なぜアメリカの会社は勢いがあるのか?  群れる時代からバラける時代へ

      僕は、日本とアメリカの大手の製薬会社で、それぞれ10年間以上働いた。働いた時代が異なるので公平な比較はできない。たが、2つの会社の勢いには、大きな違いを感じた。 僕がかつて所属した日本の製薬会社は、100年近い歴史のある老舗の製薬会社。社会に出た1991年から2005年まで14年間働いた。12年間は日本で、最後の2年間は出向先のアメリカで働いた。一方アメリカの会社は、40年ほど前に、ガレージから出発したベンチャーからの成り上がりビッグファーマ。2010年から2021年まで1

      • シカも喉乾く

        朝のジョギング中、橋の上を通ったら、シカの群れが水を飲みに川岸に降りていた。 ここ、サンフランシスコ、ノースベイでは、4月から5か月近く雨が降っていない。 シカ達も喉が渇くのだろう。 5月末までは、水がいっぱいの湿地帯が広がり、水鳥がたくさんみられたが 今では、ほとんど干上がってしまった 天気がいいのはありがたいが、水不足と山火事が心配だ #夏の1コマ

        • ワクワクが恐れを吹っ飛ばす時

          自分が心底願った夢を叶えたくなった時、今行動を起こさなかったら一生後悔するぞと思えた時、その時感じるワクワクは、恐れを吹っ飛ばす! 2005年春、僕は行動を起こすこととした。夢だったアメリカに赴任して2年が経っていた。日本にいる上司から、あと1年、2006年3月末をもって、日本へ帰任するようにとのお達しを受けた。2年の赴任予定でアメリカに来ていた。1年延びて感謝すべきところだ。しかし、アメリカにいられる赴任期間の終わりを告げられ、現実を突きつけられた気がした。夢だったアメリ

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        • 海外で働けるトキシコロジストという研究者の道
          8本
        • アメリカ転職 The First 90 Days
          14本

        記事

          会社は誰のもの? 裏切りの加害者・被害者を経験して

          会社は、出資者である株主のもの。でも、日本にいる頃、もう20年以上も昔、自分の所属する会社は自分のものだった。少なくとも心情的には。その頃の日本人は、社長以下、かなりの社員が、「俺たちの会社」と会社を自分たちのもののと心情的には考えていたと思う。 俺たちの会社 1991年バブル末期に日本の大手製薬会社に入社した。4月にいっせいに入社した同期は200人ほどもいた。新入社員研修が終わると、配属先が決まり、新入社員は各配属先に散っていく。バブル期で大学時代は遊びほうけていた。当

          会社は誰のもの? 裏切りの加害者・被害者を経験して

          朝散歩

          ありきたりだけど、僕にとって欠かせない重要な習慣の一つが朝散歩だ。2020年コロナ禍中に外出する機会を作ろうと始めて、やめられなくなった。それまでも運動するように心がけていたが、朝散歩はただの運動習慣を超える意味があった。 大自然を前に自分のちっぽけさを体感する朝散歩を始めるようになってからの5年間に、アメリカの3か所に住んだ。 1. 南カリフォルニア(ロスアンゼルス郊外)2010年~2021年 2. マサチューセッツ(ボストン郊外) 2021年~2023年 3. 北カリフ

          朝散歩

          目の前のこと、やる?やらない?を決める習慣 自分軸>他人軸>自分軸

          目の前には、たくさんのやること、やりたいこと、やらなきゃいけないことがいつも押し寄せてくる。心底やりたいこともあれば、面倒だが大切だからやることもある。世の中の常識で当然やるべきとされていることもあるし、他人から押し付けられたやらされごともある。目の前の「やることリスト」は、簡単に飽和する。 僕は、キャパシティが小さい。マルチタスクはできない。それでいて、やると決めたことは楽しみたい。やり遂げたアカツキには充実感や達成感を味わいたい。欲張りだ。だから、目の前のやるべき(とさ

          目の前のこと、やる?やらない?を決める習慣 自分軸>他人軸>自分軸

          「言いたいことが言えない」の克服

          会社の会議で、議論が白熱する。声の大きい奴がためらいもなく自分の意見を堂々と述べる。別の声の大きい奴も自分の意見を発する。意見の出し合いで議論は盛り上がる。自分もふっと良い意見が浮かぶ。「よし、言ってみよう! 皆の反応が楽しみだ!」 だが、発言のタイミングがつかめない。そうこうするうちに議論はさらに進む。「さっきは良い意見と思ったけど、大丈夫か?」 時間とともに自信がしぼんでいく。「皆から失笑されないだろうか?」 議論から自分だけ置いて行かれる気持ちになる。結局最後まで何も言

          「言いたいことが言えない」の克服

          コンプレックスを味方につける苦手克服のコツ

          若い頃はコンプレックスの塊だった。 ・コミュニケーションに自信がない。人前で話すのが苦手。 ・要領が悪くて仕事が遅い。 ・英語が苦手で外国人と議論するなんてもっての外。 こんな苦手意識を全て認めてしまったら、自分で自分に社会で生きてきいくのは無理と言い聞かせているようなものだ。だから、コンプレックスを持っていないふりをして強がった。しかし、コンプレックスから逃げて、真正面から向き合おうとしないと、つかみどころのない大きな影となって苦手意識がずっと消えずに潜在意識の中に残る。

          コンプレックスを味方につける苦手克服のコツ

          サボる技術

          僕はアメリカで20年以上仕事をしている。とは言え、自分の性格・気質はアメリカにはちっとも適していない。日本人の中でも超内向的で、日常会話が苦手。大勢の中での会話が苦手。変化に弱く、機転の利いた事が言えない、できない。マルチタスクができず、ひとつひとつに集中して取り組むため、要領が悪く、時間もかかる。そんな僕がアメリカでなんとか楽しく心地よく働けているのは、知らず知らずのうちにサボる技術を磨き上げたからかもしれない。 テクノロジーが進歩し、コンプライアンスが厳しくなる。情報が

          サボる技術

          ヘンリー・ソロー ウォールデン 森の生活

          マサチューセッツ州ボストン郊外の僕の住む町のすぐ隣には、コンコルドというとても素敵な町がある。アメリカ独立戦争の重要な戦いの場所になったことでも有名で、観光地にもなっているかわいらしい町だ。オルコットの『若草物語』(Little Women)も、コンコルドを舞台に書かれている。 2年以上住んでいたのに、ずっと行きたいと思っていたのに、これまで行けていなかった場所があった。自宅から車で10分足らずで行けるのに。。。 コンコルドで育った思想家、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(H

          ヘンリー・ソロー ウォールデン 森の生活

          会社員だからこそ実現できた大切なたくさんのこと  会社は自己実現のプラットフォーム

          もう30年以上、会社員として生きてきた。会社に属さず、個人の力でやろうとしたら、到底できなかったであろう多くのことがある。会社に守られ、会社の力を借り、会社に乗っかったおかげで、それらを達成することができた。 会社員だったから達成できたこと博士号 大学では6年制の獣医学科を卒業して最初の会社に入った。製薬会社で新薬の副作用を研究するトキシコロジストとなった。1浪したので、社会に出た時、すでに25歳だった。もし、大学院の博士課程まで進んだら、最低でもさらに4年を要する。社会

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          ふたりの恩人との再会

          ずっとずっと先延ばしにしてきたことがあった。ようやく今年になって実行することができた。もっともっと早くできたはずなのに。。。 アメリカに渡ってから20年が過ぎた。僕には、アメリカ永住の夢を叶えてくれた2人の恩人がいる。ひとりは、僕をアメリカ挑戦に送り出してくれた恩人、ハーム。もう一人は、僕のアメリカ挑戦を受け入れてくれた恩人、ローズィだ。2024年にその2人の恩人にようやく再会することができた。 ハームとの再会 ハームは、僕にとって初めてのアメリカ人上司だ。20年前、僕

          ふたりの恩人との再会

          転職=人生が変わる瞬間

          僕は変化が苦手で、失敗を恐れる内向型人間だ。若い頃はそんな自分が回りにばれてしまうことを恐れて、強がったり、尖ったりした。強がれば強がるほど、尖れば尖るほど、演じている自分と実際の自分とのギャップで、コンプレックスは大きくなり、ますます回りばかりを気にした。そんな僕がアメリカに渡って20年間で5度の転職をした。どの転職も自分の人生に衝撃を与え、人生が大きく変わった。変化の苦手な内向型人間にとって、転職は安全領域から自分自身を強制的にはじき飛ばす起爆剤だ。5度の転職が自分の人生

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          ボストン郊外 冬のシカ

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          仕事と感情 感情の変化を味方につける

          「仕事に感情を持ち込むな!」という人もいる。だが、仕事中、感情はめちゃ動く。ブレる。入り混じる。外見は冷静沈着を装っていたって、中はとんでもなく燃えたぎっていることもある。 2023年は、立て続けに大きな変化が起った。意気揚々としたスタートから、予想外のプロジェクトのとん挫、レイオフ、挫折、失望、転職などなど。それに伴って自分の中の感情も変化しまくった。事実はすべて自分の外で起こっている出来事。感情は、事実に対しての自分勝手な反応に過ぎない。しかし、その感情が自分の次の行動

          仕事と感情 感情の変化を味方につける