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私とらーめんと鬱と


❇プロローグ:らーめんが美味しい

確か昨年の4月だった。

疲れきった金曜の夜らーめんを食べて驚いた。

らーめんが美味しい。

それから、らーめんを食べる度に幸せを噛み締めるようになった。

うつでの休養から復職して2ヶ月ほどのことだった。

⬛鬱とらーめん

✴らーめん英才教育

私の生まれ育ちは福岡だ。

らーめん屋さんは、沢山あるし
何より父が豚骨らーめん大好きだった。

普通のラーメンとは、博多とんこつらーめんのことである、と教えられ
豚骨の匂いが気持ち悪いと訴えても
とんこつらーめん屋に連れていかれていた。

そんな英才教育の賜物で立派ならーめん食いに育った。
今でも豚骨の匂いに安心感を覚える。 

✴上京してからのらーめん

大学で上京してからも、時々らーめんを食べていた。

当時の20年前後のらーめん人生は
博多ラーメンや久留米ラーメンという特徴的な豚骨ラーメンが9割方占めていた。

だが東京で食べるラーメンは、福岡のものと味が違うし、地元の人間は好まないと聞いていたので
わざわざ関東で食べようとはしなかった。

その代わり関東で色んなラーメンを食べた。

家系とまぜそばをひどく気に入って足繁くかよった時期もあった。
豚骨を食べたくなったら家系に行ってライスとともに頂くように。

ちなみに今の一番のお気に入りは太麺の担々麺。

✴就職してからのらーめん

大学を卒業したあと、関東で就職をした。
しかし、どうもその会社が合わなかった。

なんともいえない、かみあわなさと気持ち悪さにいつもストレスを感じていた。

時々疲れが溜まるとお気に入りの系列の家系らーめん屋に行った。
だけど、美味しくない。気持ち悪い。

新卒1年目の夏のことだった。 

✴らーめんが美味しくない

その後も友人と行くときは、比較的美味しく頂けた。
だが、疲れが溜まると一人らーめんキメルのが通例だった私は、それでもらーめん屋に行きたくなった。

醤油、塩…らーめんの名店…色々行ってみた。

それでも、たべおわったあとは美味しかったという喜びより、気持ち悪さや不快感が残っていた。

元々自炊をするし節約志向も強いので、何故自炊より高い外食をして後悔しているんだとストレスにも感じた。

一人でらーめんをたべることが一種の自傷行為のようになっていた。

 今おもえば、ストレス過多で胃腸の不良と味覚障害を起こしていた。

 だが、20歳過ぎた頃に甘いものが以前より、食べられなくなっていたのでその一種だと軽く考えていた。

✴鬱になってから

くわしいことは過去記事を読んで貰った方が良いのだけど
2年目のときにうつ病になって休職した。

あわない会社の色んな意味で特に合わない部署での無理が祟った。

その頃には、肉すらまともに食べられなかったと思う。
会社にいく度に顔色がヤバい、土色だとよくいわれたもんだ。

それから、休養して復職した直後。
まだ一人のらーめんが美味しくなかった。
折角、外食したのにな、と思った。

単純に年齢とともにらーめんが食べられなくなったのだとおもっていた。

✴2年ぶりにらーめんが美味しかったその日のこと

社会人3年目の4月の夜、兎に角疲れていてらーめんが食べたくなった。

らーめんを食べに行くと、その後不快感が勝つ。
軽い自傷行為だと、分かっていた。
だけど、北千住でお腹を空かせて歩いていたら味噌ラーメン屋の匂いに引き寄せられた。

疲れて、ボーッとしていた。

店員さんがカウンターから受け渡してくれてるのにも気づかないくらいに。

でも、食べて思った。

美味しい。

食べ終わったあと、お腹は満腹ですごかったけど満足感で一杯だった。

❇エピローグ:らーめんを美味しく食べれる人生を

それから、段々と味覚障害の改善を感じた。

美味しいのだ。

なにをたべても、以前よりもずっと。

それはとても幸せな体験だった。

闘病中や新卒の二年間美味しくないと感じた、担々麺屋さんにも行った。
凄く美味しくていまや行きつけだ。

この経験から、らーめんをおいしく食べるには3つの要素が必要だと気がついた。

  • からだの健康

  • こころの健康

  • 経済の健康

 幸いなことに、当時お金に困ったということはなかった。だが、美味しくなかったらーめんの体験よりお金が異常に気になったという意味では、不健康な状況(考え方・使い方)だったのだと思う。

からだとこころについては、説明不要だと思う。

別にらーめんを食べなくても
らーめんを心から美味しく食べるのに必要なこの三要素満たしていたいとおもう。

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