「哲学する」とは「本を読みながら料理を作る」こと
タイトルの通りです。
どっかからパクってきた言葉じゃないです。私の考えです。
noteがやたらと哲学とは何か的な記事をおすすめに出してくる。
いらないんですよ。出さないで。
私は何度も言っていますが、めちゃくちゃイケメンで天才なんです。
だから、ここでイケメンかつ天才である私の言葉をみなさんに授けます。
哲学するとは、本を読みながら料理を作ること。
最初に言っておきますが、パクらないでください。
あなた方はクズです。すぐにパクってしまいます。
そんなことはせず、ただただ天才の言葉を受け入れ、従うだけでいいのです。
料理が好きな人で、自己流でやってる人と、本を読んでやっている人には、恐ろしく差が出ます。
「味」にです。
本でしっかり勉強してる人は初期に恐ろしく料理が上達する。
一方、自己流でやっても物凄い創作料理を作れる人も出てくる。自己流も悪くはない。
でも、物凄い創作料理を作るつもりが無ければ哲学やったほうがいい。
人生は「味」です。
自分の人生(味)をどうしたいか、結局はそこです。
料理本(哲学)を参照するか、しないか、決めるのはあなた。
でも、哲学を学ぶということが、そういう事なんだよって理解はしていた方がいい。
しょっぱくしたいのか、甘くしたいのか、酸っぱくしたいのか、発酵させたいのか、
決めるのはあなたです。
いつも言ってます。
このような考えが実存哲学です。
こういう理解も結局は哲学からくるんです。
こういう文章が書きたいなら、哲学を勉強すればいいの?
違います。
文章を書きたいからテクニックを身に付けたい人は、人生の無駄遣いです。
意味がないんですよ。
資産運用してお金が増えることが楽しいと感じる人と同じです。
だから、山で蝉取りとか、海で魚釣りでもしてたほうがいいです。
他人のアイデアをパクってまで文章書いてる人はクズである前にアホです。
何か伝えたいものがあるなら、文章にしたほうがいいし、すべきだと思う。
でも、哲学はテクニックじゃないです。
芥川賞狙いで哲学的、文芸的テクニックを身に付けようとする人がいるらしいですが、はっきりいってアホです。
そういうのは貨幣錯覚なんですよ。
つまり、権威の奴隷みたいな可哀そうな人です。
村上龍風に言えば完全に社会にスポイルされた俗物。
錯覚とか、幻想とか、そういうものに価値があるように見せかけようとするトラップがもう至るところに仕掛けられてるんです。
だから、そういうトラップから抜け出して、本当の正しさ、本当の自分を知りたい方は、まずは私をフォローしないと人生を損して生きることになります。
おわり