天正3年(1575)5月16日は武田軍に捕まった鳥居強右衛門が磔にされた日。武田勝頼に包囲された長篠城から脱出。岡崎城にいる家康に援軍要請して戻ったところ捕まった。援軍は来ないと虚偽情報を城に伝えれば厚遇すると約束された強右衛門。了承したふりをして援軍が来ることを叫び城に伝えた。
天正3年(1575)5月20日は信長が家康家臣・酒井忠次に武田方の鳶ヶ巣山砦奇襲を命じた日。長篠城救援に来た織田徳川連合軍が設楽原へ着陣。忠次を大将とした別動隊4千編成され20日深夜に豊川を渡河し迂回。翌朝の砦の陥落が設楽原に進んだ武田軍本隊の退路を脅かすことになったといわれる。