徳川家康さま☘️をたどる#33☘️長篠の戦・前編
初筆 2023年 5月 5日 / 加筆修正 未
この記事は有料ですが、今とこは
実質最後まで無料で読めます🤗
有料部分の文章は
「ご覧いただきありがとうございました。」
のみですよ☺️✋
またこの記事の前半と同じ内容を音声で聞けます。
スタエフ配信:徳川家康さま☘️をたどる#33
⬇️
https://stand.fm/episodes/64574fcd2f408aa711748e4f
1 コンセプト
徳川家康さまはちょっと気の利く
フツーの人やってんやと仮定し
家康さまやその周囲の方々が
こんときはこー
あんときはあー
思ったんちゃうやろか、と、
いちおー書物や文献も引きつつも、
勝手に思いを巡らす
家康さまファンの思いを皆さまに届けます。
参考文献(一次資料)
三河物語 / 大久保彦左衛門忠教さま著
信長公記 / 太田牛一さま著
2 前回からのつなぎ
前回は以下を話しました❗️
家康さまが井伊直政さまを召し抱えたのは、徳川家・井伊家の思惑が合致したから。
大賀弥四郎は武田勝頼さまと内通し岡崎の城を手中に納めようと謀反を企んだ。
大賀弥四郎事件が起こった背景には、奥三河に迫る武田家の脅威のせいであった。また岡崎と浜松の意思疎通不足でもあった。
家康さまが大賀弥四郎を極刑に処したが、その意味合いは🆚武田戦略はあくまで主戦という浜松の意思を内外に示した。
前回記事
⬇️
3 武田勝頼さま長篠城へ
先週お話しした徳川家、岡崎での
大賀弥四郎の謀反と連動させて、
1575年・天正3年4月、武田勝頼さまは
武田🆚徳川どちらの家にとっても
2つの重要な要である
高天神城
長篠城
うち、長篠城に迫りました。
大賀弥四郎謀反は事前発覚し勝頼さまの
長篠城攻めと連動はしませんでした。
が、勝頼さまは、長篠城を包囲
籠城する作出奥平の定能・信昌父子は
何日も籠城し厳しい兵糧攻めは
奥平の民を精神的に追い詰めていきました。
勝頼さまは長篠攻めの前に
長篠城に隣接して周辺にある
足助城・愛知県豊田市
浅賀井城・上記周辺
二連木城・愛知県豊橋市
を陥とし、また以下の
吉田城・攻略中・愛知県豊橋市
野田城・攻略中・愛知県新城市
に迫りきていて、
家康さまの吉田城に救援に赴いた軍を
勝頼さまは退散させた、とも。
これでは徳川軍はなかなか長篠城に
近づくこともできず、救援もままならない。
しかし、ここで長篠城救援ができないと
武田🆚徳川境界線の国衆たちの
徳川離反・武田へ鞍替えは増加の一途を
たどります。
信玄さまはお亡くなりになりましたが、
後継勝頼さまはかなり優秀、
武田家はまったく衰えてないのです❗️💦
ここで家康さまどうしたのか❓💦
4 家康さまが救援を求める
家康さまは果たしてどうしたのか❓
あっさり織田信長さまに救援を求めました。
長篠城はどうしても助けないと
この先家康さまは大名としてやっていけない、
そこで、自分は大名ではあるが
かなりギリギリな大名🤣という自覚をしたと
推測できます。
そして、それが悔しかったか❓と言うと
憶測に過ぎませんが、
「気にしてない」
が本当のところかと🤣💦💦
境界線の国衆が離反したり
民衆からなじられようとも
この頃の家康さまは三河・遠江を
穏やかにすることでいっぱいいっぱい
それが成立すればよい、
と、それくらいしか思ってないでしょうから、
救援を呼ぶことは、不名誉でも何でもなく、
そこよりも「あとでお返しタイヘンかもー💦」
って心配が先に立ってたかと思います☺️🤚
何はともあれ、信長さまは
ご子息の信忠さまも引き連れて
長篠に向かってくださることになりました。
5 鳥居強右衛門さま
ここで三河物語、引用します。
織田軍、救援の様子です。
信長も出立す。
先鋒は早くも八幡(豊川市)到着、
城介殿(信忠さま)は岡崎へ入る、
信長殿は池鯉鮒(知立市)ご到着。
そしてこの時点で
長篠城は戦闘で食糧庫を消失してしまいます。
そうすると籠城は一気に難しくなる、
あなたは何も食べずに、何日間仕事をできますか❓
この時点で籠城している奥平の人々は
家康さまの援軍が来ることさえわからない状態💦
食べるものが何もないが仕事がいつ終わるかわからない、
食料なしの籠城で援軍が来るかもわからないとは
こういうことです💦
ここで立ち上がったのが
鳥居強右衛門(すねえもん)さま❗️
武田軍に蟻の這い出す隙間もないくらい
見張られている長篠城から援軍依頼しに行くことを志願❗️
奥平さまの家臣、鳥居強右衛門さまは
いつ来るかわからない家康さまに
援軍要請をしに取り囲まれているお城から
脱出します。脱出時には天然の要塞である長篠城の
下水溝経由で川にもぐったという言い伝えがあります。
そして脱出できたときに1度お城に脱出成功の
のろしを上げたとも。お城はどよめき立ちます。
こののろしこそが何もなすすべのない
奥平勢を勇気づけたのです。
追い詰められて藁をもすがる状態のときに
もしかしてイケるかも、と思えると
苦境を耐えることも継続できるって
あるじゃないですか❓❗️
信長さま援軍が3万人、家康さまの軍が8千人、
あわせて3万8千人の兵が援軍でやってくる、
ということを聞いた鳥居強右衛門さまは
早く長篠城に戻って仲間達を勇気づけようと
もうすぐ戻るサインののろしをあげる、
するとどよめく長篠城❗️
だんだん士気の上がる長篠城❗️
それがかえってまずかったかも。
入城直前に武田勢に捕えられ
勝頼さまの前に差し出されます。
ここからまた三河物語引用します。
鳥居強右衛門は勝頼の前に引き出された。
勝頼は
「言う通りにするなら命を助け、甲斐へ連れ帰り
十分な知行地を与える。まず磔にし城に見せるので
『信長は出陣していない、城を渡せ』と言え、
そうすれば磔からおろそう」と
強右衛門さんに言いました。
強右衛門さんは答えました。
「ありがとうごさいます。お命をお助けいただけるなら
何でもいたしますが、その上、知行地をいただけるとは
ありがたきことこの上なし。長篠の城近くに
磔してください」。。。
実はこのとき武田勝頼さまも、信長さま家康さまの
大軍が長篠に押し寄せつつあるという情報は
とうに知っていて、大きな戦になる前に
長篠を陥とさないとやっかいなことになる
とはわかっていて、長篠城を陥とすために
籠城している奥平勢の士気をドン底まで落とすために
鳥居強右衛門さんを利用しようとしたのでした。
援軍は来ないというニセ情報を与えれば
長篠城はメンタルから崩壊、
戦闘するにせよ降参させるにせよ、スグ陥とせます。
さて磔にされた強右衛門さんは果たしてこう言った。
「城内の方々に申しつくる。
みなみな出でませ。お聞きあらん。
鳥居強右衛門はまんまと捕まりこの様なり。
というと城内のものみな出て
「強右衛門か」
と、皆聞き入る。
そのとき強右衛門が言うには
「『信長は出陣していないと言え、命は助け、知行地をくれる』
とは言われたが、信長は岡崎までご出陣、
城介どの(信忠さま)は八幡までご出陣、
先鋒は一宮、本野ヶ原に満ち満ちて陣を取り、
家康・信康は野田へお移りになり城を堅めている。
3日のうちには運が開くると、奥平作州(貞能さま)と
同九八郎(信昌さま)殿親子へ言え」
と言うと武田勢にとどめをさされた。。。
6 この時点で長篠の戦の行末が少し見える
この鳥居強右衛門さまの決死の申し伝えは
長篠城を奮い立たせました。
依頼しに行った援軍はもうそこまで来ている
しかも家康さまは依頼前に出立なさっていたばかりか
織田軍も全面的に救援を快諾してくれている。
そんな情報が長篠城内の人々に伝わった。
しかもその伝え方は
臣下の鳥居強右衛門は武田勝頼さまの
買収に乗ったフリをして命と引き換え
の城内への思いやり。
これで士気が高まらないわけがない
長篠城内はアドレナリン出まくり❗️
この時点でメンタルでは
徳川方の長篠城・作手奥平貞能さま・信昌さまは
勝ってます。
つまりはこの後に城の外で野戦となる
長篠の戦も精神的には織田・徳川連合軍も
運気が上昇してるんですね❗️
ちなみに鳥居強右衛門さまの子孫は
その後も作手奥平家、のちの奥平流松平家に仕えて
幕末まで存続、今もご子孫がいらっしゃると聞きます。
7 次回
長篠城は士気が上がりまくりの上に
家康さまご家臣の酒井忠次さまにより
武田軍に突破口を作り兵糧入れにも成功❗️
やった家康さまっ❗️
長篠城を救援にやってきた織田・徳川連合軍と
長篠城包囲を解かざるを得なくなった武田軍は
長篠城より三河側にて対峙、野戦となります。
武田勝頼さまに押されまくっていた
家康さまはやっとピンチを脱出できるかっ❓❗️💦
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?