おいちゃん

主婦で、ばあばで、歴女で、空想家で、ロックもクラッシックも好きで、漫画も映画も歌舞伎も好きで、趣味にはまり現実逃避しながら百姓、家事しています。

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最近の記事

長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場

⑤ 登場人物 利修仙人について 11月17日に行われる新城歌舞伎の外題 天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場 これは、長篠城の下級武士・鳥居強右衛門が岡崎の家康の元へ援軍を要請に行く場面で、約10年前に「第二幕 強右衛門磔の場」を演じた後で書き下ろしたものです。 城から脱出し豊川を泳ぎ、雁峰山まで登り、味方に狼煙をあげて合図する。その後岡崎城で家康と信長に「城はあと4日しかもたない」と訴え援軍を約束してもらい長篠城に戻る 歌舞伎では、岡崎城で家康が信長

    • 長篠・設楽原の戦い 援軍要請の場

      ④所作のお稽古 11月17日(日)に行われる 新城歌舞伎まで一か月を切りました 登場人物 亀姫様について 亀姫は、徳川家康の娘です。1560年駿河で生まれます。母は築山御前。 二歳の時に岡崎に移り、17歳で奥平信昌の正室となります。 1575年12月22日、家臣の西尾吉次が付き添い、新築間もない新城城へ輿入れしたと言われています。 長篠の合戦が1575年5月なので、戦いが終わってからの輿入れとなります。 歌舞伎では、既に結婚して長篠城に暮らし、信昌とともに籠城をし戦う

      • 栗ご飯と 運動会

        先日のこと。 主人が我が家の畑で拾ってきた栗で栗ご飯を作った。 栗の切り方が細かすぎたかなぁ?もち米をもっと混ぜて炊けばよかったかなぁ?などと話をしているうちに、遠い昔の運動会の思い出がよみがえってきた。 私が通っていた長野県の小学校の運動会は、朝晩肌寒くなる9月の最終日曜日に行われていた。半袖半ズボンの体操服にカーディガンをはおり、運動場にいすを並べお昼ご飯を楽しみに参加する。 程よく疲れた頃に家族で食べるお弁当は、毎年、母手作りの「二段重ね重箱に入った栗ご飯」だった。

        • 天正戦国合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い 第一幕 「援軍要請の場」

          11月17日(日) 新城文化会館で行われる 歌舞伎の外題です ③鳥居強右衛門(とりいすねえもん)について少し・・・ 長篠・設楽原の戦いの前に、長篠城から岡崎城に援軍を頼みに走った男 それが 鳥居強右衛門 です。 彼は、前回紹介した奥平定能の家臣(下級武士)で、いわゆる雑兵と呼ばれる階級。定能の息子「定昌」とともに長篠城に移り、この戦で殿や仲間と一緒に一か月にわたる篭城の末、泳ぎの腕を買われ(一説には自ら望んで)岡崎城への援軍要請の使いを引き受けました。 強右衛門のセリフ

          新城歌舞伎「戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場」

          11月17日(日)新城文化会館で行われる歌舞伎の外題です ②着物を着て 立ち稽古が 始まりました 前半に登場する奥平 定能おくだいらさだよし(左で座っている)は、奥三河の国衆である山家三方衆一つで、作手奥平家の武将です。父は定勝、母は水野忠政の妹、子は奥平信昌・仙千代・奥平昌勝、娘がいます。 幼名は仙千代。監物丞、通称は美作守だそうです。 「貞能」という説もありますが歌舞伎では「定能」としました。 この歌舞伎の背景をすこし・・・ 1564年、作手の奥平氏は今川氏から離反

          新城歌舞伎「戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場」

          新城歌舞伎「戦国天正合戦絵巻」長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場

          令和6年11月17日(日)新城文化会館で行われる歌舞伎の外題です。 ①いよいよお稽古が始まりました。 この外題は長篠設楽原の戦いで活躍した、地元下級武士「鳥居強右衛門」を主役に創作した歌舞伎で、来年が長篠・設楽原の戦から450年を迎えるにあたり、今年第一幕(援軍要請の場)、来年第二幕(磔の場)という形で披露する計画です。 第一幕は、鳥居強右衛門が、長篠城城主・奥平九八郎定昌からの命を受け、徳川家康のいる岡崎城に援軍要請に行く場面です。 11月本番に向けて、長いようであ

          新城歌舞伎「戦国天正合戦絵巻」長篠・設楽原の戦い 第一幕 援軍要請の場

          高校生の時の・・・

          懐かしいアルバムを見ていたら、30年以上前に高校生の頃の思い出を新聞に投稿した時の記事が貼ってあったので、ここにに記録しようと思いました。 くらしの作文 タイトル  ’’桜’’ 桜の花を見ると思い出す。 高校二年の春のこと、咲き始めた桜を見ながら、ふと、入院中の数学の先生のことを思い出し、きっと花が咲いたことも知らずに寝ているんだろうなぁ、と思い、友と二人で部活の帰りに校舎の近くの桜を一枝ずつ無造作にもぎ取り、そのまま自転車で病院へ行った。 担任でも 部活の顧問でもなく、

          高校生の時の・・・

          今出平(こんでびら)砦について

          愛知県新城市に今出平(こんでびら)と呼ばれるところがあります。 今出平は平安初期(793年)に健児府がおかれた所であると村史に書いてあります。健児府というのは今の徴兵所のことで、20歳から60歳の三分の一が徴兵され軍団となっていたようです。 1027年に健児府が廃止された時に、役人でありこの地に居残った鈴川氏一族が永住する目的で林野を開拓して開村の準備をしていた同時期に、東に数キロ離れた徳定という所からも白井氏一族が来住、大いに耕土が増え、鎌倉時代(1441年)に至って村里

          今出平(こんでびら)砦について

          心が痛い 飯田線の思い出

          私は、小学校一年生から五年生まで飯田線で通う電車通学生だった。 下伊那郡泰阜村にある門島駅から飯田市川路小学校のある川路駅まで毎日通っていた。 そりゃ、五年間も通っていたわけだから思い出はたくさんあるでしょう。 そう、本当にたくさんある、が、今回急に書き留めておきたくなった思い出があるので、文章にしてみようと思う。 四年生の頃のこと。 当時私は左手の筋を傷め、学校が終わってから家方向とは反対の飯田駅に向かって二つ目の駄科駅(だしなえき)にある「ほねつぎ」整骨院に通っていた

          心が痛い 飯田線の思い出

          鉄砲隊初めての演武

          「嫌だ! 怖い! 家に帰りたい!」 4月29日、設楽原歴史資料館オープン記念日、初めての演武で、甲冑を身に着け鉄砲に火薬を詰めながら私は心の中で叫んでいた。 「何が怖いの? 教えられた通り、練習通りやればいいじゃない。大丈夫だって!」 そう言い聞かせるのだが手も足も震えだす。 初めて銃を持ち火薬を使って撃ったのは、一か月前の合同練習だった。作務衣姿で12発、不発時の所作も教えてもらい個人練習を重ねてきたのだからそれを活かせば良いのだ。とは解っているのだが、新たな不安材料が増

          鉄砲隊初めての演武

          鳳来湖(宇連ダム)の湖底の話

          愛知県新城市にある「鳳来湖」 この湖は人工的に造られた湖です。 昭和33年に豊川用水の水源として宇連ダムが建設され、その時に湖ができたのです。 ダム貯水量2,842万立方メートルは名古屋ドーム17杯分に相当し、堤防の長さは245.9m、高さ65mだそうです。 ダムにかかる橋から湖を見ると、遠くには「上臈岩(じょうろういわ)」と呼ばれる大きな岩が見えます。大昔のカルデラ噴火のなごりだそうで、金魚に似ているので「金魚岩」と勝手に名付けています・・・。 さて、この湖 農業、生活

          鳳来湖(宇連ダム)の湖底の話

          「塩瀬(大伴)久勝」が15歳の頃 詠んだ詩

          道目記の 岩うつ瀧はいや高に 神をいさむる 古鼓おと 新城市にある千郷中学校の西に流れる野田川には 鼓が滝と言われる滝があります。この滝の東側、千郷中学校の敷地内には「稲荷神社」があり、平安末期、源頼朝の母「由良姫」がこの滝を詩にしたという記事を前回書きました。 今回のこの詩は 塩瀬久勝という人が詠んだ詩と伝わっています。 塩瀬久勝ってだれ?・・・・・ 塩瀬久勝は、塩瀬甚兵衛の息子。 では塩瀬甚兵衛とは? 塩瀬甚兵衛は1505年(戦国時代)野田城城主となるために田峯の菅

          「塩瀬(大伴)久勝」が15歳の頃 詠んだ詩

          織田信長の側室「生駒 吉乃」の菩提寺

          生駒 吉乃(1528年)~(1566年5月31日)は、織田信長の側室で、信忠・信雄・徳姫の母とされる(諸説あり)。法名は久菴桂昌大禅定尼。名は『前野家文書』では吉乃(吉野)とされるが実名ではない。当時の女性の例に漏れず信頼の於ける資料が真偽論争のある前野家文書以外に殆ど残されていない。と、『ウィキペディア(Wikipedia)』に書いてある。 私が彼女のことを知ったのは、山岡荘八の小説「織田信長」だったが、名は「お類」だった。ずいぶん昔のことだ。宮下秀樹の漫画では、「吉乃」

          織田信長の側室「生駒 吉乃」の菩提寺

          源頼朝の母「由良姫」の詠んだ歌

          百々目記の 稲荷の山の  ほど近く   つつみが滝の  水のうつ音 これは、由良姫が13歳の時に詠んだ歌と伝えられている 新城市西部地区に野田川という川がある。(源流は雁峰山、白滝を下り、臼子川と合流し野田を流れ豊川に入る川) この川の下流に中央構造線の段差でできた滝「鼓が滝」があり(別名:小雨ヶ滝)滝の東側には、千郷中学校、その敷地内に豊玉稲荷が祀られている小山がある。 この稲荷神社、その昔、源頼朝のお母さん「由良御前」が13歳の時に父親「藤原季範」に連れられて訪れた

          源頼朝の母「由良姫」の詠んだ歌

          弾を込める時・・・

          「立射一斉、弾込め!」 この合図で私は銃に火薬を詰め火縄を装着し馬防柵に張り付く。 決戦場祭りでの演武。気の引き締まる瞬間だ。 火蓋を切り息を止め「放て!」で引き金を引く。 右頬から伝わる衝撃と目の前に上がる白煙で発砲を確認。 体制を整え次の合図を待つ。 この僅か数十秒の間・・・色々なことを考える。 調子の良い時、即ち銃、火薬、火縄、足場、天気、体調全てが順調の時は演武を意識し所作に気を配る。足の開き方、目線はこれでいいか?姿勢、腕の高さは?自分の姿を頭の中でイメージしつつ

          弾を込める時・・・

          歌舞伎シナリオ           戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い  第一幕 援軍要請の場        

          2023年の大河ドラマ「どうする家康」長篠の戦で、全国区になった地元下級武士 鳥居強右衛門を主人公にした歌舞伎が10年程前、新城歌舞伎公演でおこなわれました。外題は「戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い 第二幕 強右衛門磔の場」です。 岡崎体育さん演じた「援軍は来るぞ~」の場面が歌舞伎になっています。 今回、2024年 新城歌舞伎では その前段階、鳥居強右衛門が 岡崎城に援軍を頼みに行くという場面を披露することになりました 長篠城を後にした鳥居強右衛門は岡崎城までの道のり

          歌舞伎シナリオ           戦国天正合戦絵巻 長篠・設楽原の戦い  第一幕 援軍要請の場