鳶ヶ巣砦を奇襲したい! 〜最終章〜
前回、吉川から松山峠を越えて豊川を望む位置まで到達したことで、ほぼ奇襲成功と、満足した。
筈だった。
しかし、頭の中で誰かが囁く。
「本当に、お前は奇襲したと言えるのか?」
その声は、日に日に大きくなり自分を苛(さいな)んだ。
確かに、自分は鳶ヶ巣砦に到達していない。これでは柩の蓋をする際、
「嗚呼、俺はとうとう松山峠を越えてからの鳶ヶ巣砦を見ずに死ぬのか・・・。」
と、後悔しそうだ。
おりしも、設楽原歴史資料館湯浅館長の講演を聞く機会があり、経路を改めて確認する必要性を感じる。
このような荒い図で挑むのは狂気の沙汰だが、スマホ地図と先週の実際に歩いた記憶を組み合わせると想像しやすい。「三州長篠合戦記」によれば、
酒井忠次奇襲隊は、東三河の領主による軍勢3千、金森長近の織田軍援軍4千、鉄炮800丁で移動開始。川路から豊川を渡り塩沢を経て吉川村から松山観音堂へ移動。ここで馬を降り、甲冑を脱いで背負う。夜の闇の中、松山峠を越え、菅沼山で甲冑を装着。牛蒡椎山で勢揃いし、三手に分かれて進み、保々祖父(ぼぼじい)砦を攻略後、最大の鳶ヶ巣砦に背後から攻めかかり落城。その後、鳶ヶ巣砦より奥の君が伏床(きみがふしど)砦、姥が懐砦も落城。最後に長篠城勢と一緒に攻めて久間山砦が落城。の順である。
ここでハタと気づく。
前回のルートは、砦の前に出てしまい背後ではない。これでは奇襲は失敗する。
私を苛んだ声の原因はこれだ。疲労から長篠方面が見えたことに満足し、どこか違和感を覚えつつ退却したことを思い出す。違和感はこれだったのだ。
このままでは終われない。漢になれない。鳶ヶ巣砦再奇襲はこうして決まった。
先週来たばかりなので、流石に今回は道を間違えない。
粛々と吉川公民館⇒登口⇒松山観音堂⇒松山峠と登る。ここまでわずか37分。
前回はうっかり船着山を登ってしまい1時間40分だったことを思うと圧倒的に早く、疲労感も少ない。疲労する経路では奇襲はできない。
松山峠から次なる集結地菅沼山を目指す。ただし、地元の人は高塚山の8合目を菅沼と呼び、菅沼山という山はない、と、「改訂増補長篠日記」には記載されている。確かに、前回、道に迷って「菅沼」の標柱を見た記憶がある。あそこを目指せば良い。
もっとも松山観音堂前の案内看板では、甲冑をつけたのは菅沼山ではなく「鎧平」と書いてある。
実際の鎧平は上の写真。甲冑を着るのに適した広くて斜度が緩い場所だ。そして、菅沼を目指す。
菅沼は上が常寒(とこさぶ)山山頂。ここは切り立っており、ここで甲冑着るのはきつそう。鎧平で正解だと思う。
しかし、昔の記録どおりの地名が出てきてテンションがあがる。
さらに進むと、とうとう「ボボウヂ」登場!
ボボウジではなくボボウヂなんだ。よりインパクトがある。
峠入口からどんどん上がる。
峠の上は広い。これなら軍勢が集まれそう。ただし、数千は無理だと思う。将官級がこの地に集結し、他は縦に伸びていたか山の上下に広がったか。
さぁ、ここからいよいよ奇襲攻撃が始まる!
アドレナリンが上がって突撃していくと、思い切り道に迷う。
あまり人が歩かないのか、本当にわかりにくい!
山は高低差があるため、降って戻るためには登らないといけない。そのため、道に迷うと体力の消耗が半端ない。地図アプリ上には道がなく、等高線を睨みながら道を目指して進む。灌木や倒木に道を阻まれ、植林で先が見通せないので本当に心細い。時に勇気と確信を持った間違いを伴いながら進む。人生と同じだ。
と、いうか、遭難してますよね?と、言われたら否定できない状況だ。
しかし、とうとう地図アプリにもある道に出た!
あまりにも心細かったのと、先がまだ長そうなので、ここからはありがたく林道を使わせてもらう。林道は鳶ヶ巣砦へと続いていることが確認できる!あとは行くだけだ。帰りの体力を考えながら・・・。
結構な道のりだが、アプリで確認できるので安心感が違う。平坦な道のありがたさ。猛スピードで歩く。どんどん歩いていくと・・・。
鳶ヶ巣砦に着いた!本当に着いた!やった!
確かに俺は背後から襲っている。間違いない!この道でよかったんだ!
本当に着いた・・・。奇襲成功だ。
約2時間20分、7.2km。まずはここを背後から遅い、武田信実を討ちとったのだろう。そして、次に姥が懐砦へ。
あ・・・。入れない。
くそう!姥が懐砦は私有地で侵入禁止だった!
やむなく外から眺めると、すごく眺めが良さそう。
ああ、残念だ。きっとすごく長篠城が見えたことだろう。
まぁ、仕方がない。君が伏床砦もさらにあるが、キリがないのでここで戻ることとする。中山砦と久間砦がまだ残っている。
中山砦は新東名高速道路を作る際に犠牲になったと聞いている。実は、新東名ができる前の20年前ほど、鳶ヶ巣砦を探していたら地元の人に強制連行されて中山砦を案内されたことがある。既に時効であろうが、その人の軽トラの荷台に大人が6人も乗せられて明らかにブレーキが効いてない状態で山道を下って恐ろしかったことを記憶している。
近年、新東名高速道路沿いに中山砦の模擬櫓があると聞く。どうも、あの私らを案内した人が地域で有名な人らしく、NEXCO中日本と交渉してできたもののようである。
帰り道を行けども行けども現れない。ずっと舗装路を歩き続けること20分程度であっただろうか。新東名高速道路の脇に中山砦跡はあった。
うわー、こんな現代な場所に。シュールだ。ダリが来そう。
ふうむ・・・。開発というものは残酷なものだ。
疲れた足だがよじ登ってみると、なんと長篠城がみえる!これはテンションが上がる。
これじゃあ長篠城丸見えだよ。大変だ。
そして、せっかくだから長篠城を眺めてみようと歩き出す。
こんな階段を降りた。自分は鳶ヶ巣砦から歩いて降りてきたからまだいいが、この階段を登って中山砦を見にいく人は猛者だ。そもそも、この先にあると誰も思わないのではないか。
そして、長篠城を橋から眺める。見慣れた長篠城ではあるが、長距離歩いたので感慨深い。
新緑が眩しい。すごく良い陽気。
そして、久間砦を探して歩き出す。
結局、久間砦に行こうとしたものの、道が発見できず断念。久間砦の下の舗装道路を歩く。こう歩いて見ると、鳶ヶ巣砦奇襲隊は、吉川方面からだと一旦奥の方の砦を落としてから戻る方向に攻めていることがわかる。武田軍を設楽原合戦場へ追い込んでいるようにみえる。
ここで、トラブルが。舗装路を歩いていたら、ひどい靴ずれができてしまった。
しかし、これから山を越えて吉川に帰らねばならない。
そして、市川の坂はきつい。
ほんっとにきつい!この斜度なんやねん!そしてアスファルト暑い!山だと涼しいのに!山歩きは過酷と思ったが、アスファルトも結構体に負担だと気付かされる。
そして、前回引き返し地点の万灯山で絶景を眺めつつ遅い昼飯を食う。疲れた体に炭水化物が美味い。ついでに充電。あとはひたすら歩いて戻る。
最後の最後、道に迷って冷や汗をかく。
さて帰り着くと、YAMAPで19.4km、ADIDAS Runningでは22.13kmの結果。
時間は約6時間。こんなに歩いたのは人生初かもしれない。一応自分が今回出撃したYAMAPルートを以下に掲載しておく。
なお、このルート、体力に自信があるだけでなく山登りにある程度慣れた人でないと迷うので、あまり単騎出撃はオススメはしない。
また、今回は装備を充実させた。松山峠からは風が強いため風を通さない服を羽織り、何度も地図を見るため消耗の早いスマホの充電器に加え、いざという時にタブレットも持参している。そして、前回と同じくお茶を2本と羊羹。さらに今回は唐揚げおにぎりも2個追加。そして杖を一本。
さぁ、これで俺は鳶ヶ巣砦の奇襲に成功し、晴れて漢となった。
満足して眠りに就こうとした時、突然、その声は現れた。
「お前は、まだ本当の漢ではない。」
一体そんなことを言うお前は誰だ?
あ!鳥居強右衛門勝商様!
次回「漢なら長篠城から脱出して狼煙を挙げろ!」
みんな見てくれよな!