長篠城と織田・徳川連合軍vs武田軍の長篠合戦の地を訪ねて... [日本100名城][愛知県新城市]
(2023年1月攻城)
青春18きっぷを利用して、豊橋からJR飯田線で向かった先は長篠城駅です。そう、長篠の戦いで有名なあの長篠城を見にきました。
武田信玄による三河侵攻で攻め落とされ、信玄の死後には徳川家康によって奪われます。そして信玄の跡を継いだ勝頼が武田軍を率いて、長篠城に攻め込みます。
長篠城城主の奥平信昌は約500の兵で籠城し、城を守り、徳川家康の援軍を待ちます。家康のところに援軍要請のために放った鳥居強右衛門は、援軍の確約をさせて、無事に仕事を終えて長篠城へ戻るときに武田軍に捕まってしまいます。
磔にされた鳥居さん、武田軍に「援軍は来ないと言え」と言われますが、「援軍くるぞ!」って言っちゃったんで、その場で処刑されてしまうんです。その磔の姿が有名ですよね、、。
で、約束通り、織田・徳川連合軍で援軍がやってきて、武田軍と設楽原で対峙し、かの有名な長篠合戦の火蓋が切って落とされます。結果は、織田・徳川連合軍が圧勝し、武田軍は信玄時代からの重臣が続々と討死してしまい、大敗でした。
と、いうことで、行ってきました。
お城の形をした長篠城駅。
駅のすぐそばに「逆さ桑」なるものがありました。
武田勝頼が桑の枝を箸として使って、使い終わったら畑に挿して、命からがら帰国したと。そして、その畑に挿した桑がこんな風に育っちゃったって逸話です。
大手門跡は国道257号線の脇にちょこんとその標がありました。
長篠城址入口の看板は鳥居さん、、。この辺りはニノ丸跡です。
二の丸の兵糧庫跡の標があります。
ん?火縄銃?射的?き、気になります。
長篠城の入り口に縄張図の看板がありました。
帯曲輪跡。
本丸と帯曲輪を隔てる土塁と空堀跡ですね。かなり高く盛ってあります。徳川家康が武田氏から城を奪還した時にここを強化、拡張したとか。
空堀と土塁がもう敵を寄せ付けない感じですね。
こちらも土塁跡があります。
本丸跡です。思ったより広いですね。
この先は断崖絶壁の川です。
二つの川が合流する場所に突き出した断崖絶壁のような場所に、△みたいな形をしているんですが、これはもう天然の要害であることこの上ないですね。さっきの入り口のところに土塁を高く積んで守り固めればいいだけ、みたいな。
この対岸の陸地に鳥居強右衛門さんが磔にされていたそうです。確かに大声で叫んだら、こちらまで聞こえてきそうな近さではあります。
この先が宇連川と寒狭川が合流する場所ですが、線路に阻まれていけません。
野牛郭址もしかり、線路に阻まれていけません。
対岸に武田軍が5つの砦を築いています。
本隊は設楽原へ進軍し、一部は砦に残っていたけど、家康の重臣である酒井忠次達に攻め落とされているとあります。ということは、本隊は背後にも敵がいるような状態になったのですね。
本丸を取り囲む土塁を眺めてみました。
本丸の土塁に上がってみました。
土塁の高さがよく分かりますね。背後は天然の要害の断崖絶壁だし、こっちの方向だけ気にしていれば良いってことですもんね。正面から力攻めできないなら、兵糧攻めか、調略するくらいしかないですよね。
長篠城駅から長篠城址へ向かう途中に搦手門跡と曲輪跡の標がありました。
周辺は住宅街になっているので、遺構はほとんどありません。
また、二の丸跡周辺も住宅地になっているので、このような標があるだけです。
長篠城趾に併設されている史跡保存館に行ってみました。入場料は220円です。
古戦場で見つかった鉄砲玉、国友銃などの鉄砲、甲冑の展示がありました。興味深かったのは武田信玄の遺言書の写しでした。オリジナルは武田家臣、馬場信春の御子孫に返却したとのこと。思わず、まじまじと見つめてしまいましたし、気になるところもあり、ちょっと調べてみようと思いました。
と、長篠城の入り口にこんな看板がありまして、
長篠城を見に来ただけなんですが、思ったより早く攻城終えたし、ちょっと周辺も見て歩こうかな、という気になりました。
まずは、武田家臣、馬場信房のお墓。退却時に殿を務め、討ち取られた首が埋められた場所だと伝えられています。合掌。
ん?二の丸後から遠くに見える丘は砦跡ですが、今回はパスで、、。
そして、向かったのは、
天神山陣地跡です。真田兄弟がいた場所ですね。真田兄弟もこの地で討死し、その後真田昌幸が真田家を継ぐんですよね、、。
更に進むと、展望とありますが、何も見えません。
ん?曲輪跡っぽい?
陣城のような土木作業の跡があるように見えるのは気のせいでしょうか。
ハイキングコースを辿っていくと、医王寺に到着です。ここは武田勝頼が長篠城攻めの本陣としていた場所になります。
お寺裏手にある物見櫓に向かいます。
結構上ります。
見えました。櫓が!
これを見る限り、もう陣城では?
復元された物見櫓からの眺めです。目の前の天王山の向こうが長篠城ですね。
お寺のそばには山縣さんの息継ぎの井戸とかあります。
ここまで来たら、時間が許す限り長篠合戦の舞台となった設楽原も見に行っちゃえ!と、やってきました三河東郷駅です。
駅には案内板がありました。
両陣とも丘を背にして、両者向かい合っていますね。
さ、見に行きましょう。
両軍は連吾川を挟んで対峙したとありますが、えっ、この川ですか?
思ったより小さい、、。以前見に行った古戦場の姉川とか長良川とか戸次川みたいな大きな川を想像していました。
徳川家康の陣地跡に行ってみました。
この目の前に武田軍がズラーっと並んでいたんですよね、こわー。
ちなみに陣跡はマウンテンバイクの練習場になっていました。
連吾川に沿うように歩いてみます。
目の前に武田軍が陣取っていたかと思うと、想像しただけで圧を感じます。
お、馬防柵(復元)ありますね。
織田・徳川連合軍側から見たらこんな感じですか。
3年ほど前に中津城で見たこの長篠合戦図
まさか実際に現地に行ってみることになるとは思ってもいませんでしたよ。
感無量でございます。
そして、武田軍側から見たらこんな感じに見えていたんですね。
長篠城、そしてこの古戦場跡周辺で訪問したい砦や陣跡がまだまだあったんですが、実際に現地を歩いてみて、合戦のスケールが大きすぎて、全て回ることができませんでした。
それよりももうちょっとこの長篠の戦いについて勉強しようと思いました。それから改めてこの地を訪問したら、また見方とか考えが変わるかもしれませんね。その日が楽しみです。
この後は豊橋に戻るつもりで当初はいたのですが、気が変わり、武田勝頼の敗走路と題して、JR飯田線で諏訪、そして甲府経由で帰宅と予定変更です。
鳥居さんの磔の地は長篠城駅へ向かう車中から拝ませていただきました。
帰宅途中の車内で、長篠の戦いに関する本を何冊かポチりました。帰宅後に読むのが楽しみです。
サポートして頂けると単純なのでものすごく喜びます。サハラ砂漠の子供達のために使います。