長篠設楽原合戦ゆかりの史跡巡り(前編)
昨日は過去に訪れたことがない、長篠設楽原合戦ゆかりの史跡巡り、周辺のお城を訪ねてきました。
(前編です)
一昨年くらい、はじめて史跡巡りをした際に(設楽原歴史資料館)で購入した特大史跡マップを前日に眺めていると
(あぁ鳥居強右衛門狼煙場だ。ここも行ってみようかな)
そこへも行ってきました☺️
まず来迎松城。城趾に鉄道が通り、北側の土塁跡しかありません。
このあたり一帯に城館群を設けていた設楽氏のお城の一つだそうです。合戦繋がりで言えば、設楽氏は鳶ケ巣山砦奇襲作戦において、砦を奇襲して逃げ落ちてくる武田兵を迎撃するポジションで待機、と言う渋い仕事をこなしています。
お城の大手に松の大木があり、その間を太陽が登ってくるのをいつも合掌していた、と言う素敵な城名の由来。
川路城。ここも設楽氏のお城の一つ。遺構は井戸跡の(お鷹井戸)しかないそうですが、井戸跡は私有地なので、案内板の写真で我慢です。
お鷹井戸‥と聞くと、恨めしいお鷹さんがでてくるのかと予想してたのですが、鷹狩り好きの設楽のお殿様が鷹のための飲み水に使ったとされる井戸とだとの事。また素敵な名前の由来やな❤️
そして合戦史跡を見ながら強右衛門狼煙場へ
前にnoterさんの記事で強右衛門狼煙場を見たときも気になっていたんです。
相当に荒れている道との記事でしたが、この辺りはサバ土で、土砂崩れと深い陥没がひどかったです。道以外の所を歩かなきゃ行けない箇所が多かったですし、沢を渡る橋も全て朽ちていました。
去年鳶ケ巣山砦奇襲ルートを歩いたんですが、距離は奇襲ルート方がかなり長いけれど、道はかなりマシです。土の質がたぶん違うんだと思います。
https://note.com/good5_/n/n7b4002074c1c?sub_rt=share_pw
でもそのうちに
岡崎城まで救援要請に行って戻ってきて
(援軍来る!)の狼煙をあげたとされる、
(涼み松)(元八石)のところへ到着です。
今は木が茂っていますが、その隙間から麓が見えます。
往時は草刈山だったそうなので、狼煙はよく見えた事でしょう。
強右衛門さん、
(ここで狼煙をあげて援軍が来ることを伝えただけでもミッションクリアなのだと思うから、少し日当たりのいいこの狼煙場でちょっとゆっくり昼寝でもしたらよかったのにな)と思いました。
私は援軍が来た後織田徳川連合軍が勝利したことを知っているから、そんな事言えるけど、まだ勝敗がわからないと居ても立っても居られなかったのかな。
雁峰山に登った後、次の欠下城を目指していたら、川上公会堂前に
(鳥居強右衛門と鈴木金七郎の長篠城〜岡崎城へのルート)のキレイな案内板がありました。
二人は長篠城から脱出し、雁峰山の(涼み松)でない別の狼煙場(のたば)から(脱出成功)の狼煙をあげ、その後岡崎城まで走ったとのこと。
強右衛門は翌日一人で長篠城を目指して戻り、(涼み松)の狼煙場で(援軍来る)の狼煙をあげ、金七郎は織田軍の嚮導をしつつ戻り帰農したとされる、と箱にはいっているプリントに書かれてありました(諸説ありみたいです)
今度はこっちの(のたば)の狼煙場経由で岡崎城まで走らなあかんかな💨というか、案内板もキレイだし、こっちの道は(どうする家康効果)とかでめっちゃ整備されて歩きやすかったかも??と思えました。
後編に続きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?