【メモ】興味を失う原因として、飽きると諦めるとでは意味が違う。目的を達しない、結果がでない、目標に達しないとでも、意味が違う。なぜ、興味を失うのかという原因に、他に興味が移ったからと考えるのは安易ではないかと思う。
【メモ】「不確実」な時代になったのか。「確実」であろうとするロジックが崩れたのか。 「確実」であると証明することが出来なくなったのか。
読書計画を立てます。読書計画を実行します。読書結果を残します。まずは、ここまで、やってみます。
〔雨ニモマケズ〕を何度か繰り返し黙読している。ただ、無計画だとアウトプットしにくいのかもしれない。ここへの投稿も滞っていることからも、同様のことが言えるだろう。自彊不息、言うは易し。努力するということは、計画を立てるということなのだろう。
【メモ】一度くらい、エレガントな文章を書いてから死にたいでござる。
【メモ】6秒ルールの使い方:イラッとしたとき、不安、怒りや恐怖を覚えたとき、感情的になる前に、6秒ルールを使います。クールダウンすることで、見えなかった何かが見えてくるかもしれません。
【メモ】「読書感想文を書く」行為は「執筆者欠席で作品や執筆者を裁判にかける」行為に等しい。まさに「読書感想文」は執筆者欠席という「被告人不在の欠席裁判の判決」に他ならない。 けっこう、酷いことが恒例で実施されているから不思議だ。 故人の著者「反論できない!(>_<)」
青空文庫の作品を読むことを目的として、サクラエディタというテキストエディタを使った読書方法を記事にしようと思います。正しい本の読み方ではありませんが、変わった人もいるものだと思って記事を読んでいただけますと幸いです。
テキストエディタのサクラエディタを使う読書の仕方をまとめる仕事は、作品次第で難易度が上がり、それでいて語学、言語学、国語学の大学レベルでの基礎が無い分、分不相応の仕事のようです。そもそも、本に書かれている語彙をすべて読み、すべての語彙の意味を明らかにするのは難しいですね。
テキストエディタのサクラエディタを使う読書の仕方をまとめているのだが、はかどらないのだ。分不相応の仕事だったのだ。
そもそも読書とは何か考える。単語としての「読書」は自動詞で目的語を取らず完結する動作を示す。それでは分けて「書」が何かを考える。文字で書かれたものをすべて「書」というならば、製本されていなくともよいと思う。
「読書」の「書」は文字で書かれたものすべてと思う。わが国の文字の成り立ちを考えると象形文字から始まり、活字を経て絵文字を生み、ピクトグラムを生み出したのが、わが国の書で、もしかすると、絵をも含んでしまうのではないかと思える。そして、こんなつぶやきを見て絵師がほくそ笑むだろうか。
多読より精読が価値が高い。 ローマ人のことわざ 雑に「読んでいるだけ」では、確かに身につかない。