市川ケイスケ
1111日目以降の日記はこちらから。
550日目を機に、二冊目の日記を置くことにしました。 新しい気持ちで、記事を積み重ねていこうともいます。
今まで公開された「オンやる2020アドベントカレンダー」の内、noteに掲載された記事をマガジンにまとめました! 過去記事の一気読みに! フォローすれば通知も来ますよ☆
大切なものは、忘れずに…
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ぼちぼち固定記事を変えよう…。 そう考えたのは夏頃でしたが、今はすっかり年の瀬。 時間の経過とは、怖ろしいほどに早いものです。 その恐ろしく早いときの流れの中、私たちはnoteというSNSで投稿活動をしているワケです。 仮に、夏至からnoteを始めたとしましょう。 2022年の夏至は6月21日ですから、今日(1月4日)までだと197日間となります。(多分w) 今この投稿をご覧下さっている方の中には、note歴が197日未満の方もいることでしょう。 …ところで、他
人間はマルチタスクが苦手な生き物だと言います。 ということは「何かを考える」という、他者にとって何をしているのか見えない時間(タスク)を、どのように確保すればいいのか? ザックリしたシチュエーションですが、職場において、PCの前で手を止めて様々な事象に思考を巡らせていると、他者からすれば「手を止めている=手が空いている」と認識されてしまう時があります。 私は静かな環境でないと熟考できない不器用な人間なので、手が空いていると思われて話しかけられたりしてしまうと、考えること
今、目の前にある選択が「人生を左右する選択」だと身構えてしまうと、私たちは選択すること自体におそれを抱いてしまいます。 ある程度の年齢を生きてみると、「大きな選択」は思いのほか多く存在することに気が付きます。 「大きな選択」と対峙する際、私たちが意識しておきたいことは二つあると思います。 一つは「選択肢を選ぶ」という行為に慣れておくことです。 「大きな選択」があるということは、それ以上に「小さな選択」が日常のいたるところに溢れています。 「小さな選択」だからと無下に
日々の業務に追われ、すっかり毎日投稿から離れてしまいました。 毎日、どうにもならないことをどうにかしようと朝から晩まで働いて、得られたモノは労働に見合わない安い賃金と自己満足だけ…。 そんな生活をしていると、思考は止まります。 反骨精神など湧いてこなくなります。 人は万能ではありません。 だから、私たちは変化を求めるのだと思うのです。 変化とは希望です。 行動に対する対価です。 「これだけのことをしたのだから、きっと、相応の未来が待っている」 …そんなことを
リアルの私は 相手の言葉と表情に すごく敏感になってきているような気がします 「出来る」を見つけたいのに 「出来ない」ばかりを見つけてしまう… とにかく人が怖い そんな感覚… それでも生きていかなければ 世界に優しく触れなければ きっと 私が怖い人間になってしまう
頑張り方を変えないと心身ともに擦り減っていく 「がむしゃら」や「ひたむき」も良いけれど 期間を定めたほうが効率的かもしれない ただ 好きな事だけをやりたいのではない やれることをやれるだけ やるべきことを優先にやりたいと思います 仕事の断捨離を進めよう…
好きを仕事にするのか 得意を仕事にするのか ニーズに対応するのか 「深さ」か「幅」か「柔軟さ」か… 個人でもサラリーマンでも 強みを価値に変える方法を考え続けないと 結局のところ 貧乏くじで終わる …と言われて 真面目に独立を考え中😟
土日も会社に行く必要があり 12連勤となりそうです ワークライフバランスやブラック企業を排他する時代の中 これはもうレアな経験なのではないかと 思っている時点で私はきっと社畜なのでしょうw ビジネスで突き抜けるには 人が避ける道でも 力強く生きる能力も きっと必要だと思う…
先日、退社された方と飲みに行きました。 辞められても誘ってくださる気持ちが嬉しいと感じます。 私は理想的な上司ではなかったと思いますが それでもお互いに認め合い 会社をより良くするための議論を交わした時間が 今日という日につながっているのだと思います 感謝ですm(__)m
今回は空想的なお話です。 あなたの心は、楽しいと感じるときに、どんな動きをしていますか? ツラいと感じるときに、どんな動きをしていますか? 私は、月並みですが「心」を「器と水」にイメージすることが多いです。 楽しいときは、波紋が中心から均等に広がっていくイメージです。 ツラいときは、楽しいときの逆再生のような、波が中心に押し寄せて、グッと水面を抑えつけられたようなイメージを持ったりします。 考えているときは反時計回りにマドラーでかき混ぜるイメージ、のんびりしている
個人の能力によって「忙しい」と感じる度合いは違います。 また、生活面や精神面の影響も大いに受けることでしょう。 どれほど優秀な方でも、精神的に疲弊している状態では、健やかなときよりも少ないタスクで「忙しい」と感じるでしょうし、生活面が充実している方は、普段よりも多くの努力ができる状態なのかもしれません。 つまり、「忙しさ」には個人差があるということです。 一方で、私たちの「忙しさ」に耐えられるキャパシティ(容量)を測ることについてはどうでしょうか? 個人的な意見です
気づきや学びにおいて、さまざまな見解がある中、この「当事者意識」には進歩や成長のコツが詰まっているように感じます。 「当事者意識」とは、言い換えれば「他人事」ではなく「自分事」として事象を捉えることであり、当事者が複数人いる場合には、それぞれの思考や感情を推察することを指すと私は考えています。 例えば、クレーム対応について考えてみましょう。 クレームを訴えている側と、クレームに対して応じている側、双方の思考や感情を推察することで、実際に対応に迫られた際の心構えが変化しま
…誤解を招きかねない表題なので説明させてください。 仕事に取り組む際に、「集中」「熱中」「没頭」のような形容詞の違いについて考えることはあるのではないでしょうか? 要するに「どんな姿勢で仕事に取り組むべきか?」という論点です。 確かに、この論点で考えると、目の前の仕事に意味づけをすることが可能になり、「どんな自分になりたいのか?」と置き換えれば、なりたい自分から逆算して今の自分を見ることができるかもしれません。 しかし、目の前の仕事は、すべてが重要であったり緊急性を要
ブルーオーシャンだと誘われた現職も この2年ほどでレッドオーシャンになりつつあります 先頭集団にいたはずなのに 何度も足踏みをしている気がします… どんなに理想や理念があっても 現実に落とし込むことが難しいという話でもありますし 会社の目算が甘かったという話でもあるのでしょう
人を見るとき 悪い部分や劣っている部分を探すことは人間の生存に由来する本能だそうです 良い部分を探すことは美徳だと思いますが 良くない部分を見つけてしまったあと どう接するのかという視点も大切だと感じています 誰しも 長所と短所はあるものですから 忖度なく人を見たいものです
先日受講した研修で「問題」と「課題」の違いについて、とても納得できる内容だったので共有します。 「問題」とは「当たり前の状態に至っていない状態」を指すので、「解決」することが必要だそうです。 一方で「課題」とは「当たり前以上の状態に至らせる状態」とのこと。 つまり、掲げた目標をクリアすることや計画を上回る数値を叩き出すといった状態で、「達成」することがミッションとなるのだそうです。 「問題=解決」 「課題=達成」 …どうでしょうか? 私は単純なので「なるほど‼」と唸