読書途中で迷子になる私:好奇心の冒険
小学生の頃、私は読書が一番の趣味だった。
他の趣味が特になかったこと、図書室が静かで冷暖房完備で、過ごしやすかったことが理由だと思う。
少し大きくなり、図書館の存在を知り驚いた。図書室の何倍もの数の本を、好きなだけ読んで良いというからだ。
小さい頃は「〇〇歳向け」「〇〇学年向け」と言う言葉に縛られて、見たこともない本棚の前に立てなかった。
それが図書館へ行けば、自由になれた。どんな難しい学術書を手に取っても、誰も私の年齢なんて気にしてない。
私の好奇心がどれほど大きくても受け入れてくれる場所のような気がしていた。
進学すると図書室は上にも横にも大きくなっていく。大学ともなれば「図書館」だ。地下の湿っぽく暗い本棚に囲まれて、少し古い本を立ち読みするのすらワクワクした。あれもこれもと読んでいるうちに、私が校内で行方不明扱いされていたこともあったっけな。電波の届かない地下は電話も繋がらないから、音信不通になって。
話が逸れた。
読書が好きな私だが、最近ではどんどん読む量が減っている。言い訳ならたくさんある。家族が増えて他のことに時間を使っている、ネットで検索すれば読みたい記事が出てくる、話題の小説や漫画はすぐ映像化されるし。
図書館へ行くのも億劫になり、(返却するのが面倒、近所の図書館に座って読める席が空いてないなど)、サブスクの読書が増え、拾い上げて読むようにいろんなジャンルに手を出している。
私の読み方にも、変なクセがある。
まず読破できない。物語であれば、まだなんとか我慢して最後まで読み切ることができる。何を我慢しているのかというと、読んでる最中に違うものに気を取られてしまうことだ。
注意力が散漫なのではなく、好奇心が散漫すぎる。
物語に出てきた物、文章に使われている言葉、設定の時代背景など、「これは何だ?」と思った瞬間から、ソレが何かを知らないと先へ進めなくなってしまう。ソレを知るために違う本に手を出し、満足した頃には読んでいた本の内容を忘れていたりするし、読んでいた最中であったことそのものを忘れていたりする。いや、本当に私の記憶容量が情けない。
大人になり、「まぁそれもあり」と許せるようになったが、「一ヶ月に〇〇冊読んでます!」と言えない自分が恥ずかしかった期間は長かった。
でも、読書は趣味だから。評論家でもないのだから、最後まで読めなくて良い。
趣味の個人的なランニングをしていて「完走した」なんて言わないだろう。
読破は立派だ。まるで登山みたいだ。
(最後に、学生時代に印象的だった本をあげてみた)
未就学:おやゆびひめ
小学生:おばあさんのひこうき、ふしぎなかぎばあさん
中学生:スレイヤーズ、爆れつハンター、ロードス島戦記
高校生:グイン・サーガ、シドニー・シェルダン(人名)、アルジャーノンに花束を
大学生:卵の科学
色んな人の印象的だった本を聞いてみたい。
そのときに出会ってグっときた本って、その人の歴史だなと思うから。
今昔、ラノベって良いよね。
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