【今日の学び】琳派は、『総合的な美術運動』と『日本的な装飾美』が由来。宮廷の王朝文化がキーワード。桃山時代の終わり、平和がもたらされ、王朝文化が復活。その立役者が光悦と宗達。100年後、活躍するのが尾形光琳。参考文献は写真の通り。
『今日感動したこと】光琳は、正妻の多代との間に子供がいなかったのに、7何時人も子供がいること。めっちゃ遊び人じゃないかい。弟の乾山も燕子花を題材にしている。2人とも、伊勢物語の八つ橋が好きだったのかな⁇光琳、1704年に江戸に行ったのは何故ですかーー?
【今日の学び】光琳は、「型紙」を利用した作品制作を行なっていた。これは、光琳が呉服屋・雁金屋に生まれたからであろう。『伊勢物語』の「八橋」は、「唐衣」「着」「馴」「棲」と染織に関係深い言葉が出てくる。だから、光琳にとって燕子花は特別な衣装だったのではないか。とのこと。
【学んだこと】光琳は、京都と江戸を往来していたので、「画風が京都の上方」と「江戸」の2つで育まれている。光琳のパトロンの「中村内蔵助」。中村家と関わりが深い絵師は、光琳の画風に影響を受けている。あと、「二条綱平」もキーパーソン。光琳と2人を結ぶのは「能」。なんで、「能」だったの?