日本では、地震評価や台風など自然災害につながることに対しては、早めに、厳しめの評価がなされ、公表されていますが、その契機になったのは、3.11地震に対し、事前に何も着目できず、近い情報すら公表できず、完全敗北した言い訳と責任逃れとして、根拠不明確な保守的評価を連発しています。
私は、以前はスポーツに傾倒していた。4年前のラグビーワールドカップは、3箇所で見た。2021年の五輪を契機に変わった。メダリストが自分達だけいい思いをしているような感覚になったためだ。私はコロナ禍による業績悪化が原因で退職させられた。今はどちらかといえばアイドルに傾倒している。
やはりほかならぬ自分の死を意識することは、根源的に生きる意味を与える契機なのだろう。
人に傷つけられたら傷つき返していいのか。傷つけられるようなら距離を取るというのがごく妥当な答えだと。傷つき返していたら終わりなき戦いに進むだろう。そこから動けないときは話し合うしかない。合理的な話、客観的な視点などは論争で前景化するが、それらは対話の中では力を持たない。