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絶対他力の向こう側に至った「最後の親鸞」——吉本隆明『最後の親鸞』を読む
親鸞における〈契機〉(「業縁」)は、客観的なものと主観的なものの恣意性を排除し、いわば〈不可避〉性を深化してゆくとき、当然のように対象である他者の解体にむかうべき構造をもっている。なぜならば、体験を〈不可避〉な契機でだけみることには、ひとつには、その〈不可避〉性が、個々人に固有なものに閉じられてゆく傾向を深めるからだ。いいかえれば、すべての〈契機〉は、ただじぶんだけ固有な〈不可避〉さをもつが、他者にとって〈不可避〉かどうか、まったくはかりがたいものになるからである。もうひとつは、このような〈不可避〉性を深化してゆけば、ついにそれがはじめて出遇った〈契機〉そのものの重さを超え、〈契機〉そのものを解体せざるをえなくなる。〈契機〉そのものの解体とは〈信心〉そのものの解体である。このことは親鸞の思想では、「面々の御計(おんはからひ)」とか「総じても存知せざるなり」とかいう言葉によって象徴されている。「この上は念仏をとりて信じたてまつらんともまた棄てんとも面々の御計(おんはからひ)なり」というとき、親鸞は念仏思想そのものを越境してしまっている。ここに絶対他力そのものをふたたび対象化し、さらに相対化したあげく、ついには解体の表現にまでいたっている最後の親鸞が開始されている。すくなくともわたしには、そうおもえる。
吉本隆明(よしもと たかあき、1924 - 2012)は、日本の詩人、評論家。吉本隆明に関する過去記事も参照のこと(『吉本隆明と柄谷行人』、『今に生きる親鸞』、「沈黙の有意味性」)。
本書『最後の親鸞』は1981年に春秋社刊の『増補 最後の親鸞』にエッセイ一篇を加えてちくま学芸文庫から2002年に刊行されたものである。吉本は、親鸞の「最後の思想」ではなく、息づかいが聞こえるような生身の存在としての「最後の親鸞」をこの本で描き出そうとしている。その親鸞を想像してみると「かれがひそかに抱いた自誡」のようなものが見えてくる。それは彼が大乗経浄土門の教理を集大成しようとしつつも、それを決して他言したり公開したりすべきではないという自誡だったという。それは親鸞が至ったある思想的な境地から、自然に導き出されるものだった。その思想を吉本は「浄土教理の極北」を意味する、と記している。
最後の親鸞にとっての課題とは、以下のようなものだった。〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向って着地することができれば、というものである。この「そのまま」というのは、私たちには不可能に近いので、いわば自覚的に〈非知〉に向って還流するしかないのだが、最後の親鸞はやってのけたように思われる、と吉本は言う。
親鸞は〈契機〉あるいは〈業縁〉というものを強調する。〈契機〉とは何かといえば、それは人知を超えたところにある世界の因果関連の構造であり、そこでは人間の意志に関係なく、〈不可避〉によって動かされている必然の世界である。人が意志によって勝手に選択して行為できるように見えるのは、ただ彼が観念的に行為しているときだけである。本当に観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ〈不可避〉(=必然)の一本道しかないのであり、私たちはその道をかろうじてたどる。このことを洞察しえたところに、親鸞の〈契機〉は成立している、と吉本は言う。
この洞察に至ると、この現世的な世界は、たんに中心のない漂った世界ではなく、〈契機〉を中心に展開される〈不可避〉の世界に転化する。一切の客観的なあるいは主観的な恣意性が、〈契機〉を媒介として消滅することは〈自由〉が消滅することを意味しない。現世的な歴史的な制約、物的関係の約束にうちひしがれながら、〈不可避〉の細い一本道ではあるが〈自由〉へとひらかれた世界が開示される。
この世界観はスピノザの汎神論にも似ている。スピノザは意志の〈自由〉を否定しながらも、実体(神)の世界の認識(直観知)からみれば、すべては必然の世界であり、その本質的な認識のもとではじめて〈自由〉がひらかれてくると考えていた。
吉本は、親鸞の〈契機〉の思想は、対象である他者の解体に向かうと述べる。すべての〈契機〉はただ自分にだけ固有な〈不可避〉をもつが、他者にとって〈不可避〉かどうかは分からないからである。さらには、この〈不可避〉性を深化していくと、〈契機〉そのものが解体される。それは〈信心〉そのものの解体である。どういうことかというと、親鸞は「信心あるいは念仏すれば往生できる」という、意志(自力)による往生という因果関係を解体しようとしているのである。そのような念仏は、自力による往生にすぎない。絶対他力の思想とは、そのような意志(自力)を超えた〈不可避〉の世界の狭き道をいくことによってはじめて可能となる。親鸞は、念仏思想そのものを越境してしまっている。これこそ、絶対他力そのものを相対化し、越境したあげくに、その解体の表現にまで至っている「最後の親鸞」の姿である、と吉本は言う。
親鸞が考えた現世と浄土を結ぶ〈契機〉は一つの構造であり、けっして因果関係ではなかった。念仏という行為の中に、往生を遂げたいという自力の匂いが含まれるとき、それは念仏という自力によって浄土にいくという因果関係で結びつけられてしまう。それはその二つを〈契機〉の構造を抜きにして、現世的な、相対的な世界を超えないまま結びつけようとするからである。最後の親鸞にとって、念仏するという行為と、浄土へいくという〈契機〉を、構造的に極限までひき離し、解体するということが大きな課題であった。親鸞の思想にとっては、〈浄土〉と〈念仏〉との因果律を断ち切って、ある不定な構造に転化させることが目指されていた。ここから、〈念仏〉という浄土真宗の精髄を、信ずるか否かも、心のままであるという徹底した視点があらわれてくる。それはいわば、往生を本旨とする浄土真宗そのものの解体であり、いわば宗教というあり方そのものの解体であったかもしれない。
吉本は「最後の親鸞を訪れた幻は、〈知〉を放棄し、称名念仏の結果に対する計(はから)いと、成仏への期待を放棄し、まったくの愚者となって老いたじぶんの姿だったかもしれない」と述べている。