会話というのは「合意と同一化を目指す」もの。 対話というのは「自分と相手がいかに違っているのかを理解し受け容れる」ためのもの。 互いの主体性を溶かしあって調和させるハーモニーではなく、違いがあって当然で同一化するのは間違っていると認識するポリフォニー。
資本主義の主単位は資金、つまり余剰の主体化。 民主主義の主単位は住民、つまり生理の主体化。 科学主義の主単位は論文、つまり理念の主体化。 不立文字の主単位は脱解、つまり意識の主体化。 功利主義の主単位は快楽、つまり感覚の主体化。 人格が主体的であるように彼らもまた主体的である。