他人を模倣してしまう、自分の苦しみとじっくり向き合う。
昨日は久しぶりに考え事をしてしまい、明け方までよく眠れなかった。しかし、昨夜色々と考えたり調べたりしていたことは、今後より清々しく生きていくにあたってとても大切なことのように思えたので、備忘のため記録する。
私は「会うたびに印象が全然違う」「誰か分からなかった」と言われることが非常に多い。3年間勤め続けている職場の人にすら、そう言われる。もはや“会うたび印象が違って一瞬誰か分からなくなる人”という確固たるアイディンティティを築きつつある。
私は自分がなぜそのように言われるのか分からなかった。しかし、日々共に過ごす職場の人ですらそう感じるのだから、取引先に“私”を認知してもらうのはもっと大変で、先方が「あれ?前回話したのもこの人だっけ…?」と戸惑っているのを感じたことが何度もあった。できれば、“自分らしさ”というものを確立したかった。
深刻な“同一化”の癖
実は、大変恥ずかしながら、フィクションの世界に留まらず、現実にいる人にも憧れて、その人の真似をしてしまう傾向がある。一番酷かったのは高校生の時。クラスでマドンナ的存在だったYちゃんという女の子がいた。色白で黒髪ロングヘア、有村架純さんとのんさんを足して二で割ったような、典型的な美少女で、性格も物静かで大人しくて清楚で、とにかく可愛い子だった。完全に異常だったと、自分でも理性的には理解しているのだが、私は彼女の髪型や制服の着こなし、果ては仕草まで真似していた。よほど彼女の模倣を極めたのだろう、ついには一瞬通りかかった程度なら「わ、Yちゃんかと思った」とクラスメイトに言われるまでになった。
あの頃は異常だったと頭では理解できるし、あの頃のような強烈な憧れ、嫉妬を抱くことは無くなったが、今でも素敵な女性を見ると、思わず見た目や仕草を観察して真似したくなってしまう。
昨日調べたところによると、こうしたアクションは、心理学の概念の一つである同一化というものに該当するようだった。
現実にいる人のみならず、映画やドラマの作品に出てくる登場人物に憧れて、その人物の見た目、振る舞いを意識・模倣してしまう事も多い。これまでに、パーソナリティごと意識してしまったのは、キューティブロンドのエル、失恋ショコラティエのサエコさん。
キューティブロンドのエルは自分に自信満々なお嬢様で、服装もセクシーでキュート。サエコさんは見えすいたぶりっ子も厭わない、小悪魔チックであざとい性格で、男心に刺さる“どこにでもいる”“清楚で““女の子らしい“装い。Yちゃんは、前述の通りとっても大人しくて、洋服もよく言えばナチュラル、悪く言えば地味で無難な感じだった。3人には、性格や見た目の共通点は一つもない。そんなてんでバラバラの彼女たちから影響を受けているのだから、エルに同一化している日、サエコさんに同一化している日、Yちゃんに同一化している日…と、日替わりで私のファッションや言動が全く別の個性を発揮しているのも、こうして紐解くとむしろ当然の話だろう。
演技性人格障害の可能性…
一方、私が強く同一化している3人には、共通点が一つだけある。
それは、3人とも不特定多数の男性から愛される、マドンナ的存在ということだ。つまり、私は(書いててめちゃくちゃ恥ずかしいが、)不特定多数の男性から可愛いと思われ、注目され、チヤホヤされたいと強く強く願っているのだと思う。
ここまで考えたところで、「人気者 真似してしまう」と検索したところ、「演技性パーソナリティ障害」というワードがヒットした。
これは…
結構グサッと来た。なんていうか、黒歴史を素手でガバアッと開けられた感じ。
正直、結婚前、つまり一年前くらいまでは、まさにこの人格障害だったんじゃないかと思う。昔の自分を俯瞰して思い出すと、当てはまらない項目が、一つもない…。
逆に今は、自分にはこういった行動や思考の癖があること、そしてその通りに生きていても幸せになれないことを自覚しているので、だいぶ人格障害の症状としては落ち着いていると思う。
いやあ、本当に、、穴があったら入りたい!でも、自力でここまで成長した自分、我ながらよく頑張ってる!!あと一踏ん張りだ。
ということで、演技性人格障害と、その特徴が表出して他人様に迷惑をかけてしまうことについては、我ながら結構自制できていると思うものの、上記の通り、不特定多数の男性から可愛いと思われ、注目され、チヤホヤされたいという潜在的願いは相変わらず健在なのだと思う。高校生の時ほどではないにしろ、同一化の癖はなかなか治らない。
どころか、学生→社会人になったことで、ベースには不特定多数の男性から愛される、マドンナ的存在がありつつ、ファッションも言動も自己満足・ありのままで、他者を気にせず人生を謳歌するかごめ食堂的な雰囲気であるとか、男性と対等に、仕事でバリバリ功績を上げ富と名誉を勝ち取るバリキャリであるとか、私の中で“理想の女性像”が多様化した。それで、ますます日替わりのパーソナリティの幅が広がってしまったのは間違い無いだろう。
(※そういう意味でも、やっぱり蒼井優さんは私にとって強い憧れを抱いてしまう方なのだと思う。“魔性の女”と通り名がつくほど数多の男性から愛されて、それでいながらファッションも言動も自然体でありのまま(のように見える)で、この度芸能事務所を立ち上げられたとか。まさに私の“理想の女性像詰め合わせ”だ……)
本当の私に会いたい…他人の模倣をやめたい…と、チープながら切実な、この思いをなんとか実現したい。昨日の夜の時点では、同一化の対応策としてセルフ・コンパッションやマインドフルネスという言葉にたどり着いた。今日は簿記の勉強の合間を縫って、これらについて調べてみるつもり。