パルティ

4 my dearest love, all. since u left me ,i …

パルティ

4 my dearest love, all. since u left me ,i found world so new, everyday.

最近の記事

超越

変に引っ込み思案なとこあって、そこに甘えてきたけど、それは自分にも他人にも微妙テコとが分かった。

    • 哀、喪、エチュード

      3月の瞬きの中に、私とんどが静穏の中で過ごしている。リモートでの日々、自宅での献立作り、美食の享受、音楽の響き、そして、訪れるイベントに向けての準備。考えないといけない事柄は多々あれど、先延ばしにしてしまう。ほぼ毎日、連れ合いとの会話している。彼との対話は、私を癒し、かつストレスを感じさせなくて。同棲は従来、私にとって無理と考えていたが、彼とはどうだろうという気持ちも湧いてくる。映画鑑賞も共にしたり、彼としている日常会話が奇跡に感じられて、ときどき感傷に耽る。もし彼が今と変わ

      • 治癒?

        最近、映画を観た。色々な作品を鑑賞する中で、議論や深い洞察にはあまり心惹かれず、ただ単にその体験だけが私の心に残る。かつては、答えのない問いにも果敢に立ち向かい、その答えを探求していたが、最近ではその姿勢も薄れてきた。自問自答の中に、単純な問いしか生まれない。かつて鮮烈に感じていた問題意識も、次第に薄れつつあるように感じる。かつての鋭い問題意識は、ある種の発作のようなものだったのかもしれない。その問題意識が、私の考えを刺激し、鼓舞していたように思う。しかし、今は穏やかな環境の

        • たいだ

          なにもできてないから、すこし気合いいれたい、快楽と幸福に行動力奪われてる。責任だけが行動の動機で。やっぱ満たされ過ぎちゃダメなんだよね。

          不溶性の旋律

          窓辺に立ち 暗闇に浮かぶ君の顔 永い旅路を辿り 船は渡しの彼方へと漕ぐ 出逢いの瞬間を忘れていた 傍で泣いていたのはいつからか 裸足の旅人が流れぬく 灰となった夢の跡 やつれた愛しさが陥落した 完全なる嘆きの中で ガラス細工のような心が崩れ 戒めの影が目を覚ます そして目覚めることもなく 遥かなる喪失の中に 君の面影を追い求める 幻想の舞台で

          不溶性の旋律

          受け入れがたい現実や他者との関係性について、各自の体感が異なるのは確かで。時には現実から逃れるために幻想を描いたり、一人で立ち向かうのが難しい瞬間もある。ただ、共に現実に立ち向かる同士や支え合える関係があれば、その手応えはあつい。それでも相手がこちら側の現実から逃げ続けたり、向き合う耐性や体力がなかったりする場合、どうしたら良いんだろう。報酬?やサポートを提示するとかなのかなとか。自分のヤバい部分、というか蟠ってる部分も、その過程で解消されれば一番良いと思うのだけど。 とにか

          停止

          違和感があると何も、感じられなくなる。逆に、これが私が本当におかしくならずに軌道修正出来る所以かもしれない。逆にそれができないで変に現状に納得して我慢してしまう人は発狂するというか。 発狂しそうになったとき、逃げる!か、とりあえず立ち止まる。

          消失

          これは危険なのは分かってるけど自分以外のものに全感覚をもっていかれる感覚は気持ちいい。ただ、本当に全部もってかれると全く分析できないのである程度踏みとどまりたいとも思う。思うのと感じるのと、どっちを優先したらいいんだろうとか最近は考えるけど、とりあえずは快楽にどっぷりつかって、それを続けることで見えてくることが多いからいちいち考えないで、浸る、でいくカーと思った。音楽でもスポーツでも勉強でも、なんでも、無意識なことをヤり続けると徐々に意識化して輪郭が見えてくるというか。その感

          ツレヅレ

          こっちにいる間は連れ合いと常に話している。未だに連れ合いのことが好きなのかはわからない。表層的なところは好きなのだけど。話してる感じが凄い好きって言う人はそこまで多くはない。凄い好きだからもっと話してほしいとさえ思う。あまり彼は話をふらない人なので、何を考えてるか分かんないところがあってイマイチ、ピンとこない。でも話してる感じが好きなので、無内容でも納得してしまう罠がある。 彼が悪夢を見たと電話してきた、中途覚醒。ラ・ジュテのようだったので一緒にラ・ジュテを見てる間に相手は寝

          この世界が

          汚くても自分は綺麗でありたい!とか叫んで物をぶちまけ惨劇の部屋にして掃除したあとにthe Cureを聴きながらヨガをしていた。 気持ちが終わっているけど、身は終わらせてはいけないと思った。自分が醜悪だと思うタイプの人間を想定した場合の気持ちの悪さは異常だ。なぜなら嫌悪している自分に対しても辟易してくるからだ。こんな神経質な性格では、他人と近い距離感でやっていくことはやはり不可能な気がしてきた。なんでもいい、とりあえず、自分の身だけは保っていたい。そう思うしかない。思い込むしか

          Per

          The dearest loveに拒絶されたあと運命に浚われた。とか格好つけたこと言ってても、実情というか感情は不安定で。これでいいのか、という迷いもなくはない。 今付き合った人は今までで一番相性は合う気もするし表層的な部分も好きだ。、ただ同時に、今までで一番、一般的に生きていく上で抱えている問題が大きい人で。彼と一緒に話したり一緒にいて疲れるということは一切ない。そしてお互い考えを交換しあうことによる驚きや発見もあって楽しい。彼の作るものや考えが好きだ。少なくとも私といると

          本質がある方向

          が、自分の場合、やっぱりロマンチックな方向にあるんだろうと思った。じゃなかったら、そもそも冷笑的な価値観や、中途半端に開き直った敗北主義的なリアリスト等の空気に触れたときに心が乾いてしまう不快感も感じないだろうと思った。これらに対する嫌悪は正直、陳腐なロマンティシズムに対する嫌悪感よりも遥かに大きい。私の全てになってくれる人を心の底から切望しつつ、それはないと分かっている感じ。そもそも切望してる時点でアホみたいなロマンティストだと思う。自分みたいなロマンティストと出会いたいと

          本質がある方向

          ツレヅレ

          なんだか疲れてしまった。人と関わると言えないことが増える。また衝動的になって間違った選択をして知らない人を不幸にしてしまったかもしれない。最悪だ。なんでそんな性急になってしまったのか分からない。舞台に踊らされて自分のペースを失くしたときの選択は間違えが多い。当たり前だ。もう全部それだよ結局。一人で落ち着いてるときだったらもっとマシな選択できる。相手の話を真に受けるのもよくないな。それなら自分の考えを冷静に整理した方がいいし、自分のなかの一般論のがある意味有効で。嘘ではないけど

          なんでそうなっちゃったんだろう

          と思うけどなんとなく感じてた、みたいなことってあるよね、意外と予感はあたるというか。良い予感を歓迎したい。でも期待とはなんとなく、違うんだよな。期待は裏切られるけど予感はその通りになるというか。そこまで切羽詰まった感じもない、なんとなく、こうなるんだろうなと必然感さえ感じられるのが予感で。期待っていうのはなんとなく、不自然さがあるかな、と思う。とにかく予感してた、いややっぱ嘘かも、期待してた展開になってしまって複雑な気分。そして同時に終幕の近さを感じている。何度目かの

          なんでそうなっちゃったんだろう

          ジンジャーエール?

          おくれて来た後輩が席に着くなり既に置いてあるドリンクを見て言った。 先に入ったうちら三人が何を飲みたいかを当てて頼んで置いたドリンク。黄金の。 たのむ前の会話。 M「たぶんあいつジンジャーエールだよ」 T「ジンジャーエールだと80点じゃん、100点を狙おうよ、0点になる可能性もあるけどさ…」 M「うーん、それじゃ、ライムジャスミンかなぁ」 私「それ飲んだけど意外とフツーだよwお前あいつの親友だろ、頼むわ」 M「うーん、でも、多分ライムジャスミン100点で」 やっぱりジン

          ジンジャーエール?