『母性』考察〜母と娘〜
映画を見たのを切っ掛けに
苦手な本まで読んだ『母性』
内容に共感したというよりは
『理解したい!納得したい!!』という
私のこだわり?癖?故の行動なのだけど
自分も〝母と娘〟の娘である
一方で、息子さんの母である
娘さんの母ではないのだ
息子さんが生まれてビックリした事は
男の子は、生まれながらに男の子ということ
私は、姉と2人姉妹なので
男の子はこういうモノだと
教えられるハズもなく。。。。
にもかかわらず、
息子さんは生まれたときから男の子
別の性、全く違う生き物なのだ
オススメもしないのに
自動車や働く車、消防車などに萌え
恐竜に興味を持つようになった
遊び方も全然違う
とにかく汚す汚れるw
生まれた時から自分とは違う生き物
同じ生き物とは到底思えない
なぜこんな事を書くかというと
『母性』で描かれる事の元凶は
母と娘の間の〝自己同一化〟
であると感じたからだ
主役のルリ子は
母に憧れ、全身全霊で愛している
異常なほど、狂気的なほどに
「私は母の分身なのだから
同じものを見て違う思いを抱くなど
あってはならないのです」
まさに、ルリ子は母と
〝同一化〟を望んでいる
母を喜ばせること、母に褒めてもらうこと
それがルリ子の全てであり
価値基準、判断基準だ
さらに、娘に対してルリ子は
自分と同じである事を望んだ
これも〝同一化〟
常に、おばあさま(ルリ子の実母)を
喜ばせる言動をとるように厳しく教え
娘が母親を喜ばせることを褒め喜び
母が自分にした事を娘にして
その反応が自分が母に返した〝それ〟と
違うものであると失望する
理想であった自分と母との関係性を
自分と娘の間にも求めたのです
息子しかいない私は
さすがにそこまで息子さんを
〝同一のモノ〟とは最初から思えない
親子間の〝同一化〟に
少なからず男女の差が関係するように
男の子の親である私は思ってしまう
『母性』は単に〝母性〟の話でなく
〝母と娘〟の話だと
『子どもの可能性をつぶしたくないなら
「自己同一化」に気をつけよう』
と題されたネット記事には
『子どもをつぶしてしまうかも知れない!?
親のNG行為とは』として
だとか。。。。
この中にルリ子の母親が当てはまりそうな
要素はない
ルリ子の価値観全てが母親軸だが
母がそう押し着せたのではない
母に憧れて、母になりたくて
ルリ子が産み出した価値観なのだ