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#これからの家族のかたち

いま「家族」と聞いておもいうかべるひとの顔や暮らし方が、多様になってきています。あなたがおもう、家族やパートナーシップのかたちについて、noteに投稿してみませんか?

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息子と孫と娘と私

先日娘から連絡があった。 「今回の検診では男の子か女の子か分からんかったけど、来月の検診では分かると思う」と。 来月の検診が終わってから買い物に行こうということになった。 話が逸れるが、哺乳類の中で人間だけが閉経後も長生きしている。 言い換えると、一般的には哺乳類は『寿命=閉経年齢』になっているのだ。 また別の理論で、心臓の鼓動数の限界というのがあり、象もネズミもその限界数は同じだという理論。 閉経年齢でも心臓の限界鼓動数から考えても、人間に置き換えると50歳くら

もう一度心からの笑顔いっぱいの家庭を

今月は初めて夫が生活費の半分を家計に入れてくれて、夫婦間のお金の問題は解決の兆しが見えました。 また家族皆で下の子の七五三のお祝いをして、これまでの家族写真を見返しているうちに笑顔溢れる家庭を築きたいと思っていた結婚当初の気持ちを思い出すことができました。 夫が生活費の半分を負担してくれたことに感謝これまで夫は気が向いた時にしかお金を入れてくれていなかったのですが、先月に離婚話の中で金銭面の不満をかなり強く主張したからか、今月は生活費の半分を家計に入れてくれました。 そのお

小さく廻る子育てと大きく廻る子育てが国という世界になる

vol.102【ワタシノ子育てノセカイ】 子育ては愛育て。子どもたちは愛そのものだから。 愛を育む環境さえあれば、子どもたちは無限の種を、とめどなく芽吹かせてゆく。咲かす花は未来で、熟した実は過去となり、新たな種は今として、世界を希望で包みこむ。 愛さえ育てば、子が育ち、世界が育ち、子が生まれ、愛の種が芽吹くんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年10月25日金曜日、次男ジロウのオープンスクール。

実世界の狂いと喜びが「私」になる

vol.101【ワタシノ子育てノセカイ】 あなたと私がいて愛が育まれてゆく。人は繋がることで愛になってゆくんだ。 繋がりを失うと、あなたが消えて、私も消えて、育む愛を見失い、世界が消える。あなたと私がいるだけで、世界はたゆまなく続くんだ。 あなたも、私も、ただ、ただ、いてくれて、ありがとう。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年10月26日土曜日、くもり空。大阪にて、高1の長男タロウがスポーツクライミ

「親になる訓練」をあなたは受けてきましたか?

最近は、もっぱらYOUTUBEで 素朴で自然に囲まれた暮らしをする人を見て、 癒しを得ているりょーやんです。 いつか、 作物を育てて、 ちょっとでも自給自足の生活をしてみたいの~ 笑 共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨ 教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌 どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。 共育LIBRARYりょーや

我が家のガチンコピザ作り対決🍕

おはようございます、ほっしーです。 とある休みの日のことです。 リビングで一家四人でダラダラと過ごしておりましたら、息子がポツリと、 「ピザ作り対決がしたい…」 ほほぅ、我が息子ながら勇気のある発言やな。 つまりそれは、20代の頃に宅配ピザ屋で働いてたわしへの挑戦状という事やな。 吉田沙保里に向かって、レスリングで勝負しようやって言っとるようなもんやぞ。 高速タックル喰らって、グルングルン回されるぞ。 よし、こうなったら、めちゃくちゃ見目麗しいピザを作り上げてヒィヒィ言わせ

育児日記#26息子の帰省と娘のウェディングフォト

娘から結婚式は挙げないけれど、入籍後にウェディングフォトを撮りたいから両家の都合が合う日に計画したい、と言われていたのが今から約1年前。 娘は入籍し、苗字が変わった。 しかし、その頃主人の体調があまり良くなかった為撮影は延期になってしまっていた。 やっと主人もどうにか参加できそうな見込みがたち、改めて娘達に計画を立てなおしてもらった。 両家揃って、無事に撮影完了。 今回、息子が帰省出来るか不明だったのだが、偶然にも撮影日の翌日に、地元で知人の結婚式に招待される事とな

私が放たれるとき世界は響いてひとつになる

vol.103【ワタシノ子育てノセカイ】 自分を愛で満たすとき、朝日のように希望が輝く。 闇の中で差し込む光は、内なる自分が気づく希望。一筋の光は愛という私が創りだす。ほかの誰かじゃなく、私が光を照らしているんだ。 自分を愛する私は、他者も愛せて、世界を愛せる。あなたと私の世界を照らす、生きる灯が愛なんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 「お母ちゃんの声が聞こえてきたで」2024年11月15日、12歳の次

夫を利用して生きていったって良い

昨日は精神科の通院日で、薬の副作用で眠気が強いこと、夫と離婚したかったけれど眠気が強くて何もできないため再構築するしかない辛い気持ちを相談しました。 主治医の先生の診察の後も看護師さんに結構話を聞いてもらえて、「体調が整わないうちは夫を利用して家事や育児をいろいろやってもらったら良い」とアドバイスいただきました。 眠気が強く出る薬をさらに半量に減らして様子見今週まではリスペリドン1mgとバルプロ酸ナトリウム100mgを朝夕に服用していましたが、昨日の診察で眠気が強くて朝起き

ロンドンで主夫になって2年が過ぎたので振り返ってみる

僕がリクルートを辞めて妻の海外駐在についていく為に息子2人と共にロンドンに渡って来たのが今からちょうど2年前。満杯の段ボール6個とスーツケース2個を抱えて空港からタクシーに乗り、朝6時半に辿り着いた宿はドアが開かず、管理会社の人がバールと金槌を持ってきてドアを壊し開けてくれるところから始まったイギリスでの主夫生活も3年目に突入した。 仮に「主夫力」という力があったとして、それを構成する要素は何か。 料理や洗濯といった家事全般をこなす能力か?恐らくそれも構成要素だろう。 実際

私たちの、「かぞくのカタチ」。養子縁組里親という選択をして5年が経ちました。

最高に可愛くてユニークな娘が、7月に誕生日を迎え、5歳になった! 特別養子縁組で生後数週間の娘を迎えてから、約5年経ったということでもある。 実はこれまで、SNSでは養子縁組里親について、あまり踏み込んだ話はしてこなかった。 日本では一般的に、家族について踏み込んだ話をするのはタブーという雰囲気があると感じている。一人一人の願う「家族像」や、「こうあるべき姿」が違うので、自分が意図しないところで誰かを傷つけてしまったら怖いという気持ちがあった。 娘が5歳になり、改めてこ

変わらない私と変わる自分で刻々と世界が創られてゆく

vol.100【ワタシノ子育てノセカイ】 完璧でないから人は人を愛するんだ。 不完全な凸凹こそが人の魅力。足らずを補いあうように、人と人はたすけあい、絆を育み寄り添ってゆく。完璧じゃない自分は、人と繋がれるすばらしい自分なんだ。 ありのままの不完全を慈しめるほど、愛は深まり人は繋がる。あなたもわたしも、ただ、ただ、ただ尊い。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年10月21日月曜日。次男ジロウは修学旅行

生まれて初めて母の気持ちが分かった。

最近、娘の幼い日ばかりを思い出す。 特に娘が、小学生くらいまでのことを。 地元の小さな小学校が閉校になり、町の小学校へスクールバスで通うようになったのは、娘が小学校高学年のころだった。 それから、ふたつの小学校の卒業生からなる中学校へ進学になり、市内のマンモス高校へ遠距離通学の後に、県外の大学へ進学となった。 18歳で家を出てから、社会人になった今も家へ戻ってこない。 今は、県外で一人暮らしをしている。 娘の目の前の世界が繰り広げられるにつれ、私の手を放れていき、

留学生の親としてアメリカ大統領選について考える

私だって真面目に考えることだってあるんです。 こんにちは。 彩夏です。 連日ニュースは次期アメリカ大統領選の結果の話で持ちきりだ。私自身は経済や政治に詳しいわけではない。日本国内のことはもちろん、アメリカのこととなると尚更。 今回、フォローさせて頂いているお二人のつぶやきや記事を読ませて頂いて、これから世界情勢はどうなっていくんだろうと考えた。 カナダ在住のメイメイさん アメリカ在住のまつむらnoteさん 私の娘マルコはアメリカに留学中。 2年制のコミュニティカレ

家庭科の成績で2をとったのに、お菓子を作るようになるまで。

「女の子なのに、料理も裁縫もできないのはマズい」 通知表を見せた私に、父が放ったひとこと。 中学1年生の2学期、終業式の夜だった。 家庭科に関わることがすべて苦手だった私。 調理実習では、野菜の皮むきが満足にできず実習班の足を引っ張っていた。どう頑張っても、皮が分厚くむけてしまうのだ。私が手がけた野菜は、全部無惨な姿になった。やる気をなくした私は、調理の工程はすべて班員に任せ、片付けで活躍していた。 ミシンを使えば糸を詰まらせて、復旧作業で授業が終わった。私が使った後のミ

自分という愛しだいで結果は多様に厚みをおびる

vol.99【ワタシノ子育てノセカイ】 愛は勇気をだす力。心に秘めたる熱い想いを表現するには愛がいる。 愛があれば自分を守れて、誰かのために動いてゆける。自分を理解し、自分を信じて、何かを生み出し、誰かを守る。勇気の動きが伝わるときは、自分が愛で満ちるとき。 愛と勇気が世界を創り、確かな私となっていくんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年10月14日、月曜日の祝日。私の祖母の一周忌だった。うっか

夫婦のカタチは変化すれど自分を大切にしていきたい

夫婦のカタチはライフステージで変化する。 振り返りの機会を頂きました。 こんにちは。 彩夏です。 月曜日配信『笑っていい解!?』 アーカイブです。 みなさんから頂きました解決策は、5:00ぐらいから発表させて頂いております。今回、本当にたくさんの解決策を頂きました。 ありがとうございます。 お時間あるときに、よろしければお聴きください。 今回の相談者さんは結婚10年目ぐらい。 最近、相談者さんに対するご主人の反応が薄いことが気になり、どうすれば良いかとお悩みレターを送

2人目の孫が誕生しそうだ〜娘の旦那の異常性

まだ母子手帳も発行されてない段階らしいのだけれど、心拍が確認できたということで、娘は旦那に報告したのだそう。 自分の配偶者に報告する、それは当然のことなのだが、ここが一番心配どころだったのは知っていた。 私に話してくれたことは、「どうすんねん!」と旦那に言われて、すぐにお義母さんに相談に言ったとのことだった。 お義母さんもお義父さんも、娘の味方になってくれて、ふたりは旦那に話しに来てくれたらしい。 だが、旦那はそれで更に異常性を発揮したらしい。 「お前ら(ご両親のこ

唯一、夫の思いやりを感じること

今年の彼岸も、父が祖母と共に眠る墓と、母方の祖母の墓参りに行ってきた。 1年の内で、盆と彼岸だけは、市内へ墓参りへ行くのが、慣わしになって、もう何年もたつ。 嫁いできて、実家だけではなく、墓参りとも疎遠になっていたが、父方の祖母が10年ほど前に亡くなってからは、欠かさず連れ出してくれる。 片道小一時間かかる市内まで行くその時、決まって、夫は突然言い出す。 おい!お前のところの墓、参りにいっとこか。 えっ?! 罰当たりかもしれないが、私は「お盆」だの「彼岸」だの、特

突然、両親が離婚した。

こんにちは、なつめです。 先日、久しぶりに電車に乗って都心へ出ました。 だんだんとビルが多くなっていく景色を眺めながら電車に揺られていると、会社員時代に毎日電車通勤していたことを思い出しました。 そこから芋づる式に過去のことを遡っていました。 わたしの人生には衝撃的だった、予想外の出来事が2つあります。 今日はそのうちの1つをお話しします。 両親が離婚した わたしの両親は、わたしが19歳のときに離婚した。 当時のわたしは大学生。 家族3人で、父の地元である山形

息子の結婚

11月3日に長男が入籍しました。 大学時代からお付き合いしている彼女。 そうじゃないと困るけど、このnoteを書いたときに紹介してくれた彼女。 まだまだ残暑が厳しかった9月某日 ふたりから結婚すると報告を受け、都内のレストランで、今回は次男も加え、家族揃っての顔合わせでした。 アフタヌーンティーのときのように少し緊張気味の彼女でしたが、弟とは若者同士、友達みたいに普通に話していて微笑ましく、次第に打ち解けて和やかに会食を終えました。 最後に、ふたりから婚姻届けの証人欄

凛とした母でいたい

今ならわかる。 都会で結婚生活を送るために、いろんな思いを背負って、田舎の実家をでてきたことを。 家にずっと居ながらにして、専業主婦のあなたが、自分ひとりで子供と向き合うのは、さぞかし大変だったでしょう。 無関心を装っていたのか、不器用なのか、薄情なのか、分かりずらい父にも、頼れなかったのも分かる。 だけど、お互い、相手と向き合おうとせず、とっくに夫婦関係は終わっていたように見えた。 そのうち、力尽きたのでしょう。 母もひとりの人間。 未熟な面もあって、失敗もす

しみじみドキドキ

いきなり秋がきた。はっきりと秋がきた。具体的にはこの前の連休最終日。私の住む福岡に秋が訪れたのはその日である。朝から出かける妻を駅まで送るために駐車場に出ると、思いがけず風が涼しくてびっくりした。まだまだ寒いと言えるほどではなく秋の赤ちゃんみたいなものだったけど、産まれる瞬間を見た。 季節の変わり目ってこんな急だっけかと思うが、そんなことをいつも思ってるような気もする。35年寄り添っていて全然四季に慣れない。「私たち、いつまでも刺激的なカンケイでいようね?」じゃないんだよ。

わたしのふたりの娘のはなし

わたしには2人の娘がいる。 泣き虫だけど強がりなお姉ちゃんと、泣き虫で甘えん坊な妹。 年子のふたりはいつも一緒に育ってきた。 長女のことを〝ちゃん〟付でわたしたち親が呼べば、「どうしてお姉ちゃんだけ!どうしてわたしにはちゃんをつけてくれないの?」と言う次女。 わがままの泣き虫次女を、わたしたち親が泣き止むまで手をかければ、黙って我慢をして待っている長女。 正反対な性格のふたりだけれど、目に入れても痛くない大切な可愛い娘たち。 長女は今年大学を卒業して晴れて社会人と

国際結婚した奥さんとの食事事情について教えてくれた

先日、学生時代からの友人と居酒屋で久しぶりに飲んでいたときのこと。彼の結婚生活について話が及んだ。 その友人は日本人。奥さんは東ヨーロッパの女性で、彼女はかれこれ20年近く前に日本へやってきた。二人は仕事の関係で知り合って、数年前にご縁があって結婚に至り、そのまま一緒に日本に住んでいる。 奥さんは金髪碧眼で肌の色は透けるように白い。いわゆる「白人」と聞いてイメージする容姿。 お二人が新婚のころに一度会ったことがあった。天然ボケ系の友人と、しっかりした奥さん、というコンビ

怒りやすくなった夫について

おはようございます♪ 今日はいい夫婦の日ですね。 いい夫婦を目指していきたい私なのですが ついつい相手に釣られて感情的になってしまうことも💦 まだまだ修行が足りない私です。 今回は ここ数年怒りやすくなった主人が 最近更に怒りモード💢が出やすくなったので そのことについてAIさんに聞いてみたことをシェアしつつ記事にしてみました。 誰かの参考になれば幸いです。 ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎ AI ご主人が最近何かと怒りやすく、さらに発

22歳差の結婚生活を6年やってみた

わたくし既婚、夫とは22歳離れています。 25歳のときに、47歳の夫とお互いはじめての結婚をしました。現在32歳と54歳の夫婦。 22の歳の差って、かなり大きいです。親子だって全然ありえるし、干支はあともう少しで2周しちゃうというところ。夫が大学を卒業するかしないかというときに、ようやっとわたしは生まれたのです。 どこで出会ったの?とよく聞かれますが、ざっくり言うと大学時代のバイト先の外注で仕事をしている人でした。(取引先の子に手を出すな)わたしが19の時に出会って、最初

不安との闘いが繋がる強さとなって愛する力を育んでゆく

vol.98【ワタシノ子育てノセカイ】 愛の深さが壊せる世界の広さ。 愛の育みは螺旋を描くようにゆきどまりがなく、壊してのぼるほど渦が小さくなるのに、世界は果てしなく拡大してゆく。 渦の小ささは「私」の統合でもあり、自分がまとまりゆくほど、世界の広大さに心が震えるんだ。 自分を壊す営みが、愛する力となってゆく。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 月曜日の代休が明けて、2024年10月2日の水曜日となる。次男

母は強しってわたしはそんなに強くないわい~

こんにちは。こだわり子です。 おかげさまで 息子、今回の外耳道炎 3回の受診でおさまりました~!! 一安心 そして、長引いてるのがわたしです (耳の後ろ) 耐えられず、腫れてる膿を 安全ピンでぶっさす決意!! しかし、どこをさがしても壁にさすやつ (ガビョー?)しか見当たらずやっちゃえよと ところが!! 鏡のまえで別の鏡を持ち、耳を裏返して ガビョーをさすってむずかしい半端ない 元々、方向音痴ですがガビョーを 近づけようとすると謎にはなれていく~ 「方向が

男に料理をやらせなさい【夫婦円満のヒケツ】

おはようございます! 本日は、 男に料理をやらせなさい【夫婦円満のヒケツ】 といったテーマでお話ししようと思います。 今日は久しぶりの「家族」のお話 「はじめまして」の方もいらっしゃるかと思いますので少し自己紹介させていただきますね。 私は神奈川県在中、今年40代の門を叩いたワーキングマザー。 (/・ω・)/たのも~たのも~!! 家族構成:夫1人、子供2人、猫さま1匹 長男→中3、学年トップを争う秀才、左脳型(絶賛っ受験生!!) 次男→小6、アーティスティックな異才、

社会的養護における自立支援計画:子どもを評価しない新しいアプローチ

今回は、社会的養護における自立支援計画を、従来とは異なる新しい視点から考える方法をご紹介します。このアプローチは、子どもたちの成長を支える支援者にとって、より効果的で意義深い支援を可能にするものです。 従来のアプローチの課題これまでの自立支援計画は、子どもの達成度や成果を評価することが一般的でしたが、いくつかの問題が見られます。 不必要なプレッシャー:子どもにストレスを与え、健全な成長を妨げる可能性がある。 自尊心への悪影響:評価によって子どもの自己肯定感が低下する恐れ

繋がりを重ねる人生がハイコンテクストを深めていく

vol.96【ワタシノ子育てノセカイ】 愛する人は今あるものに感謝して、愛されたい人は今ないものを必死に探す。愛する人は人の幸せを願い喜び、愛されたい人は人の幸せを奪い苦しむ。愛する人は小さなことに大きな愛を寄せ、愛されたい人は大きなことに小さな愛を模索する。 愛が膨らみ、幸せ願えて、感謝溢れる夜と朝を、私はあと何回、迎えられるんだろうか。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年9月10日火曜日。長男タロ

子育ては終わったはずなのに振り回される人生は終わらない

娘の小さい頃を思い返して、ふと、おセンチメンタルになる今日この頃です。 こんにちは。 彩夏です。 フォロワーさんの子育て記事をよく目にする。 私はそんな記事が大好物。 だってほんわかするじゃない? 娘マルコの幼い頃を思い返しては 懐かしいな。 そんな頃もあったな。 あの頃に戻りたいな。 ん? 戻りたいか? しんどいな。 そうやってエンドレスリピートする。 経済的には援助が必要だけれど、来年の2月には20歳になるマルコ。一人っ子だから甘えん坊なところもあったけれど、小さ

老親と心穏やかに付き合うには

親に「できるだけよくしてあげたい。」 そう思っている人は多いですよね。 でも、実際はなかなか難しい(-_-;) 今日は、老親との「ちょうどよい」付き合い方について、 考えてみたいと思います。 addressと実家生活の組み合わせ 私がaddressでアドレスホッピングを始めたのは、 「実家へ行くため」でもありました。 東京から実家のある青森へ行くには、一日掛かりです。 時間もかかるし、お金もかかります。 東京の家の固定費を払いながら実家に長期滞在すると、 経済的負担が

夫との関係の再構築を目指して

9月の初めから夫との結婚生活が辛い、しんどい、もう耐えられないと思い、関係がものすごく悪化して精神的にも追い詰められてしまった結果、人生で5・6回目の医療保護入院(家族同意の下の強制入院)となりました。 入院中や退院直後は夫とは離婚するしかないと思っていましたが、私1人では仕事と育児の両立はできないだろうと思い直し、今は夫との関係を再構築することを目指して修復に努めています。 結婚生活の中でずっと我慢を重ねてきたことがある日爆発してしまった今までずっと、対外的にも自分自身の

若者の結婚事情〜息子の伏線回収

先日不意に息子から言われた。 「もしかしたら一生結婚しいひんかもしれんけど、それでもいい?」 「…いいよ。そんなんユウタ(息子の名)の自由やん」 「ほんま?孫が欲しいとかない?」 「ないない、そんなんないよ。結婚しようがしまいが、ユウタが幸せであることがいちばん大事よ」 そうは言ったけれども私は、息子は今の彼女のことをそんなに好きではないから、今は(誰とも)結婚しようと思えないと感じているのではないかなと思った。 (ちなみに孫の顔が見たいといった気持ちは全くない。

結局は、自分で選んでいる

人がついつい言う「不平不満」。 母の「小言」から、思ったことを書いてみたいと思います。 毎日天気のことばかり 母は3年前に、ガラケーからスマホに変えました。 母と私と兄(神奈川県在住)の3人でライングループを作りました。 母の安否確認のため、毎朝「おはよう」を入れています。 私の実家のある場所は、青森県の秋田寄りに位置し、 天候の激しい日が多いです。 母のラインは、ほとんどが「天気」のことです。 青森では例年、11月中旬ころには初雪が降ります。 実家では、一日中テレ

私の愛はすべて娘にむかっているのに甲羅を割られる真実

甲羅を柿で割られても平気なかに座です。 こんにちは。 彩夏です。 娘のマルコはLAのカレッジ(2年制公立大学)に通っている。 現在2年目の留学生活。 秋のセメスターで専攻しているクラスは、学んでいる技術を使って校内にあるサロンでアルバイトできる。 勉強にサロンでの仕事に大忙しなのだ。 留学生は基本アルバイトは禁止。 校内でアルバイトはできるのだけれど、さほど収入にはならない。 「サロンでバイトできるなら収入増えるやん」 そう言う私にマルコは答える。 「チップだけやから

この家族を愛そうと思います

私の場合、義実家ガチャは当たりを引いたんだと思う。 基本的に放任主義、だけど必要なときには必要なだけ力を貸してくれる人たち。盆暮れ正月に帰ってこいとは言わないし、連絡は常に夫を介してくれるし、田舎の古い家なのに「家制度」へのこだわりも全くない。自称サバサバ系女子が実はネチネチだった、みたいなよくある例ではなく、本当にさらりとしている。 何よりもありがたいのは、私が夫とともに義実家を訪れるとき、変にお客様扱いをしないところだ。義両親も義祖父母も、それこそ息子である夫に接する

かさねる重みとのみこむ軽さとたしかな未来

vol.95【ワタシノ子育てノセカイ】 選択は中身があってこそ意味をなす。カラッポの箱に手を突っ込んだとて何も掴めないんだ。 中身のない箱を変えざるをえないときほど、カラッポを認めるのが痛くて、カラッポの箱を被せて痛みを知らんふりする。痛みを味わう時間が選択なのにな。 痛みのある選択は、責任といい、自由への成長なんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 夏休みが終わり、新学期が始まる。登下校で息子たちの姿を拝

不思議な親子の話

こんにちは。こだわり子です。 「オレさ、また耳がつまってる」 4~5年前、耳が痛いのに 病院に行きたくない息子はGoogleで たぶん外耳道炎だと調べてあった しかし、食事もできずテーブルにふせていて よくよく聞くと耳が聞こえないと言い出した。 幸い当直に耳鼻科の先生がいる病院があり 息子の外耳道炎はカビが発生してしまっていた 処置をしてもらうと痛みもおさまり 「来てよかった」 2人してタクシー酔いしたよな~ 原因は耳掻きのしすぎかイヤホンやヘッドホン が多

【エッセイ】日常会話がショートな夫婦

夫は口数が少ない。本当に少ない。 昭和の、和服を着ながら腕組みをして口をへの字口にして「茶」というおじさんを想像してもらえばいい。そんな感じの夫である。 ある日の会話がこうだ。 夫「今日、サッカー」 私「Jリーグ?」 夫「新潟」 私「ホーム?アウェイ?」 夫「19時から」 私「DAZN?」 夫「見れない」 全くもって会話のキャッチボールができていないと感じるかもしれない。そうだろう。単語しかしゃべってない。ここに15年以上寄り添った夫婦の脳内の言葉を加えて

トイレが『個室』じゃなくなる日

冒頭からいきなりの質問で恐縮なのですが、 こんなに我が子にいじ(め)られる父親って、この世に私の他いるんですかね? (つい先日の夕食前。トイレに入っていると) 次男「パパ~。パパ~」 私「はいよ~。トイレだよ~」 「スタスタスタスタ(こちらに近づく足音)」 次男「(ドアをガチャガチャさせながら)パパ、あ~そ~ぼ」 私「う~るさい。待て待て。今出し物中なんだってば」 次男「はーい(スタスタスタスタ)」 (3分後) 「スタスタスタスタ(こちらに近づく足音)」

りきです🐕よろしくお願いします。

11月1日、ワンワンワン!犬の日🐕 「りき」がわが家に慣れてきたところで、「りき」との出会いを紹介します。 なぜ、「りき」を選んだのか? 14歳のぼぶと一緒に暮らすには、一からしつけていく子犬では、いっぱいいっぱいになると思いました。(正直な気持ち) 見学に行く前に決めていたのは、成長していて、トイレトレーニングができている、噛み癖がないしつけられているワンコ。 そんな理想的なワンコなんているのかな?の思いで行った際に出会ったのが、「りき」でした。 特にブリーダー

「田舎の実家」どうする問題

50代の私たちには、共通の悩みがあります。 「老親の今後」と、その後の「実家じまい」です。 前回「田舎に住む?」について書きました。 実家にはもう「住まない」としたら。 じゃあ、どうする? 今日は、これについて書いてみたいと思います。 手放せるなら手放したほうが良い 今、青森の実家に帰省しています。 新潟十日町から戻り、一週間後に横浜マラソン、 その一週間後に青森。。 ちょっと忙しすぎますね(-_-;) 新潟十日町のaddressの家に泊まった時、 家守さん

施設に入所の義母を訪ねて

先日、施設に入所して1カ月以上たつ義母に会いに行ってきた。 秋冬物の着替えを持ってくるよう、ケアマネさんから、夫の電話に通達があってのことだった。 義姉や、義母の姉妹などが面会に行ったらしいが、私たち夫婦は、義母が入所して一度も顔をみせに行かなかった。 私たちはお互い予想をしていた。 義母は、私たちのことを覚えているだろうか。 家にいた頃は、一緒に住んでいる私たちのことを、別の人と見立てることもある位に、認知症は進んでいた。 私は、夫のことは覚えているけど、私のこ

最後に残るのは、そのひとの「価値観」

実家に帰って、86歳の母と何日も過ごしていると、 話題に困ります(-_-;) 母との会話から、感じたことを書いてみたいと思います。 出来ていたことが出来なくなる 母は、昔「編み物の先生」をしていました。 編み物、裁縫、パッチワーク、、 とても器用でした。 しかし、先日のことです。 母の希望で、施設入所の申し込みをしました。 いつ入れるかはわからないけれど、 私が帰省している間に、出来るだけの準備をすることにしました。 衣類やタオルなどに「名前」をつける必要があり、

「遅く」に授かるしあわせ ーリライト版ー

私の息子たちは上が8歳、下の子が5歳になります。 私が現在50歳なので、2人とも40歳を過ぎてから授かったことになります。 いわゆる「遅い子」です。 結婚すること、父親になること、ましてや2人の子を持つなんてことは、35歳の段階ではまったく想像していませんでした。 結婚した当初や父親になったばかりの時は「もっと妻に早く出会っていたら、もっと早く子供を授かっていたとしたら、家族と過ごす時間も多くてよりしあわせだったんだろうな」なんてことを考えたりもしました。 しかし、

ご心配おかけしています。【今後の予定】

こんにちは、こんばんは。 お絵描き・note支援イラストレーターのミトシです。 キーボードを使ってタイピングをするのが 丸2週間ぶりです。 ここまでなかなかまとめて記事にして 説明をしっかりすることができなかったことも 改めてお伝えできればという今回です。 ※ちょっと長文。 毎日更新186日でストップこれがまず説明できないといけません。 いままでつぶやきと記事、画像の投稿などで続けていた 毎日更新が先週、途絶えました。 理由は「うつ病の弟との対応に疲労していたこと

母の病と共に(2)母が決めたこと

 6年前に亡くなった母の話をシリーズで書いています。  写真は「みんなのフォトギャラリー」から使わせていただいています。ありがとうございます。  母は病を発症した当時、祖母と叔父達二人と暮らしていました。    それぞれ独身だったり、既婚だったりしたのですが、還暦を過ぎてから兄弟そろって実家暮らしになっていました。    祖母以外はそれぞれ仕事をしていましたが、家事の比重は母が一番大きかったです。   何故実家暮らしになったか  私と妹が結婚して家を出た後、母は一人暮