
息子と孫と娘と私
先日娘から連絡があった。
「今回の検診では男の子か女の子か分からんかったけど、来月の検診では分かると思う」と。
来月の検診が終わってから買い物に行こうということになった。
話が逸れるが、哺乳類の中で人間だけが閉経後も長生きしている。
言い換えると、一般的には哺乳類は『寿命=閉経年齢』になっているのだ。
また別の理論で、心臓の鼓動数の限界というのがあり、象もネズミもその限界数は同じだという理論。
閉経年齢でも心臓の限界鼓動数から考えても、人間に置き換えると50歳くらいが平均寿命になる。
人間も動物なので、生殖しないのであれば本来ならば存命する意味は無い。実際、平均寿命50歳という時代もあった。
しかし、我々は人間なのだ。他の動物たちとは明らかに違う知的生命体なのである。
医療が発達したがために、ただ無駄に長生きしているわけではないらしい。
子どもを妊娠する回数は、実母の健康度合に相関するらしいのである。
つまり、母親が元気であればその娘は安心して子どもを産めるのであろう。だから妊娠回数が増えると考える。
幸いなことに、逆説的に私は健康であると言えるのかなと。よかった。
ところで、じゃあ男性が長生きする価値はどこに?と思われるかもしれないが。
タイトル回収しよう。
娘(当時25歳)が第一子を出産したときのこと。
産婦人科の娘の部屋に息子(当時20歳)がやってきた。まだ少し反抗期が残っている年頃だった。
「おめでとうございます」
姉である娘にそう言って、息子はベビーベッドに目をやった。そして、なんとも言えない表情を見せた。
なんとも言えない、と言うのは、きっと、他の何を見ても同じ表情はできないだろうと思える、そんな表情だった。
息子はひとしきり赤ちゃんをただ眺めると、「また来る」と言って背を向けて部屋から出て行った。
思わず娘と顔を見合わせた。娘も同じことを考えていたようだった。
「ユウタのあんな顔、初めて見たな」と私に言ったのだ。
娘の旦那がややこしくて、娘が孫娘を連れて来れない状況になったとき、私は仕方ないかと諦めたのだったが、息子は「俺が旦那に言ってやる」と言い出したのだった。
それから難なく孫娘がまたうちに来れるようになり、息子はすすんで孫娘の遊び相手になってくれた。
そういえば、私よりも先に娘に出産祝いを渡していたな。パンダのTシャツと靴下だった。
今息子はオーストラリアに居るのだが、先日LINE電話したとき、「姉ちゃんの赤ちゃんはどう?」と訊いてきた。楽しみにしているみたいだ。
娘は今度は男の子がいいと言っているが、息子はどっちがいいとか思っているのだろうか。ちなみに私はどちらでもいい。無事に産まれてくれと願っている。