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妻のお暇

母を見舞った帰り道、ご飯なんて作ってられっかと思った。

我が家の日々の食事作りは、私が担当している。
夫よりも得意だからというただそれだけの理由なのだけれど、たとえ得意ではあっても、毎日やりたいかと問われればもちろん答えはNOである。

私が一人で暮らしていたときは、ぬか漬けと味噌汁と玄米、そこにときどき焼き魚を加えればそれで満足だった。毎日同じメニューでも飽きることなく、ときたま気まぐれに不摂生をしたりしながら、おおむね健康に暮らしてきた。
自分さえ満足していれば、永遠の安息が約束された世界。

そこに、夫が加わると。
毎日同じメニューってのもどうなのかと思ってしまうし、健康やおいしさや見栄えなんかも一人のときよりは気になってしまう。
握りたくもない生殺与奪の権を、勝手に握らされてる感もある。
ご飯の献立をゆだねられること、冷蔵庫の中身やスーパーの特売を把握しておくことも、急にストレスに感じられた。
もちろん元気なときには、それらは私が嬉々としてやっていたことだったのだけれど。

祖母を亡くし、母が入院して、私は自分で思っている以上に疲労がたまっていたらしい。
スーパーに行っても、台所に立っても、ご飯を作る気力が湧かない。
それまでも面倒くさいなと思う瞬間はあったけれど、その比ではない気力のなさだった。
心の底からさぼりたい。暇がほしい。

奇しくも夫は華の16連休。
「あぁ~暇だなぁ、何か楽しいことないかなぁ」とふわふわ呟く夫に、「ご飯作ってよ!」と食い気味に言うと、彼はあからさまに不安に満ちた顔をした。
おすすめの過ごし方や、お出かけスポットでも教えてもらえると思っていたのだろうか。楽しさは自ら狩りに行くものぞ。

「でも、俺……」と早々に話題を打ち切りたそうにしている夫を、『北風と太陽』のごとくあの手この手で揺さぶってみる。

「外は寒いから、家でできることをするのがいいと思うんだ」
という、合理性で。

「自分の食べたいものが選び放題なんて、素晴らしくない?」
という、楽しげな響きで。

「もし私が倒れたり、ご飯を作れない状況になっても、作れたら安心じゃない?」
という、半分脅しで。

「申し訳ないけど、いま本当に疲れていて、考えごとを減らしたいの」
という、本音で。

押し負けた夫は、数日間ご飯を作ってくれることになった。
腹をくくった彼が「俺から一つ頼みがある」と切り出した。

「何があっても、エンゲル係数は無視すること」

いったい、何を作るつもりなんだ。毎日和牛とか焼くつもりじゃあるまいな。ていうか最近、キャベツも大根も絶望価格だ。のこのこスーパーへ行って、野菜の価格を思い知るがいいサ。

私側のこだわりだから、ぬか漬けと玄米は私の管轄にしよう。
あなたの自炊の記録、noteに上げていい?
そんな確認を取って、夫の休日が始まった。


【0日目】

夫の自炊開始の前日、私が作るいつもの夕食。

鶏肩肉のはちみつ醤油炒め
豆乳なべ
玄米

日ごろ意識しているのは、野菜とタンパク質をちゃんと摂ることと、洗いものをなるべく少なくすること。たいていは帰り道にスーパーの見切り野菜コーナーを覗いて、その野菜を中心に献立を考える。数日前に1/4カット98円で買った白菜を、鍋と炒めものに入れて使い切った。

対する夫は作るものを決めた状態で買い出しに行くつもりらしく、自炊開始の数日前からメモを片手に熱心に献立を考えていた。こんなに真剣に献立を考えたことがなかったから、その熱量に圧倒される。

【1日目】

鮭とほうれん草のソテー
豚汁
玄米

家に帰ると、バターのふくよかな香りがした。あいつ、初日からバターを……!!さすがエンゲルを振り返らない男である。鮭は夫の弟のふるさと納税の返礼品。きょうだいが多いと、返礼品を交換できて便利。鮭とほうれん草のソテーは、サイゼリヤみたいな味がした(褒めている)。薄味好きなあなたにしては、塩味濃いめなんだね?と聞くと、「味つけるの怖かったから、ほんの少ししか塩振ってないのに……」と夫も首を傾げていた。洗いもの中に、有塩バターを使ったためだと発覚。

豚汁の野菜の厚みが均一で、「何よ、やればできるんじゃん!」と言ったら、豚汁はカット野菜とカットこんにゃく、豚肉のいずれにも包丁は使っていないそう。カット野菜、便利だな!

【2日目】

豆腐ひじきハンバーグ(冷凍食品)
和風野菜炒め
豚汁
玄米
きゅうりのぬか漬け

疲れて家に帰ってきたら夕飯ができている状況。え、なにこれ最高。いままで夫にとってはこれが日常だったなんて、ずるすぎない?

二日目、夫は私が実家からもらってきた冷凍の豆腐ひじきハンバーグをメインに。醤油と生姜で味つけた野菜炒めもヘルシー路線。そして昨日の豚汁。

やるじゃん!おいしいよ!とはしゃぐと、「単にハンバーグがうまいだけでは……?」と冷静に返される。いや、乗せられておくれよ。こっちはこれから、たまに料理をサボりたいんだ。

最近、見切り野菜コーナーできゅうりを買ったので(4本130円)、冬だというのにぬかきゅう三昧。

【3日目】

シチュー(じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、鶏もも肉)
玄米
きゅうりのぬか漬け

家に帰ったとき、ちょうど保温鍋で煮込んでいる真っ最中だった。ひと工程踏むごとに容器の説明書を慎重に確認していて、偉い。
私はつい面倒くさくて、味つけも計量も工程の手順も勘でやりがちだ。なんなら豆腐とひき肉を炒めて味噌と花椒で味つけしたものを麻婆豆腐と呼んだりする。名のある料理を作るときには、もう少しその名の通りの料理にしてあげようと反省。

めちゃくちゃじっくり煮込んでいたらしく、シチューにじゃがいもが溶けこんでいた。
この日は従姉が我が家に寄ってくれたので、一緒にお夕飯。突然自炊に目覚めてはパタッと作らなくなるタイプの従姉が、「3日もご飯作れたなんて偉いじゃん」とやや上から夫を褒めていた。

【4日目】

味付き豚肉のニラもやし炒め
味噌汁
玄米
きゅうりのぬか漬け

この日は突然母方の叔母が来たため、スーパーでアジフライや唐揚げを買ってかさ増し。
いつ和牛が出てくるのかワクワクヒヤヒヤしていたのに、結局出てこないまま自炊チャレンジは最終日を迎えてしまった。

カット野菜と味付き肉の炒めものと、カット野菜のお味噌汁。カット野菜、大活躍である。割高ではあるけれど、切るのが手間な人にとっては救世主。
「工夫名人!さすが高給取り!」とほめそやし、今後もヘルプを出したときかつ夫にゆとりがあるときにはご飯を作ってもらう約束をした。助けてもらえる可能性が生まれた途端、「ご飯なんて作ってられっか!」と鋭くとげついていた気持ちが、安堵で緩んだのを感じた。
それと同時に、ご飯なんて、できる範囲で頑張ればいいのだと気が楽にもなった。これからは価格に気を張りすぎず、便利なものに遠慮なく寄りかかる日があってもいいのかもしれない。もとからそんなに凝ったものを作っていたわけではないけれども。

実家暮らしの弟も自炊を始めたいという。カット野菜や味付き肉など便利なものをうまく使って、無理なく健やかでいてほしい。

無理なく、健やかでいること。
私の今年の目標は、それかもしれない。
12月半ばに母が倒れ、入院生活となった。
私にできることはほとんどないというのに気持ちがどうにも落ち着かず、最近はnoteを読んだり、エッセイを書いたりするゆとりが持てなくなっている。

そんないま、まうさんが時々紹介していた「しずかなインターネット」に身を寄せて、母が倒れてからの日記を綴っている。

今後はイベント出店のお知らせや、出たい企画やコンテストがあったときにはnoteに、日記は「しずかなインターネット」に、という使い分けをしようかとぼんやりと考えているけれど、先のことはなんともいえません。元気になったら、みなさまの記事にお邪魔させてください。

週末のZINEフェス東京については、とき子さんの最新の記事をお読みいただければバッチリです。

明日お会いできるみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。