つむぎまどか
親権あげた母親と息子たちの日常メモ。親子引き離し5年目~7年目のアレコレを記録。 下記『タロジロラブレター』の番外章。 【①タロジロと私。ときどきお父ちゃん https://bit.ly/3FVyf5e】【②離婚と私。ときどきタロジロ https://bit.ly/3wr3Ybz】【③子育てと私。ほぼほぼタロジロ https://bit.ly/39wkKN8】【④慈愛と私。きらきらタロジロ https://bit.ly/39yvISj】
愛を育む思考整理。くるっとマルマル「真」を探求。
「過去・現在・未来にいる自分」と「今の自分」との日常対話まとめ。
2022年親子分断5年目に突入!愛息子タロジロへの環境開墾ラブレターです。親子関係の真髄を見せつけてくれる、眩しさ増すタロジロの姿に想いを馳せます。家族や夫婦、親子、大切な人間関係で悩む誰かの心が軽くなりますように。むしろ私が悩んでる!
愛息子タロジロへのラブレターです。 親に会えない子どもや子どもに会えない親へ、愛と共に生きるメッセージが届きますように。 タロジロ誕生から離れ離れになるまでの約10年間の子育てを振り返っています。離れて暮らす「今」と交差しながらつづる全13話(10話+番外編3話)です。
vol.103【ワタシノ子育てノセカイ】 自分を愛で満たすとき、朝日のように希望が輝く。 闇の中で差し込む光は、内なる自分が気づく希望。一筋の光は愛という私が創りだす。ほかの誰かじゃなく、私が光を照らしているんだ。 自分を愛する私は、他者も愛せて、世界を愛せる。あなたと私の世界を照らす、生きる灯が愛なんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 「お母ちゃんの声が聞こえてきたで」2024年11月15日、12歳の次
vol.102【ワタシノ子育てノセカイ】 子育ては愛育て。子どもたちは愛そのものだから。 愛を育む環境さえあれば、子どもたちは無限の種を、とめどなく芽吹かせてゆく。咲かす花は未来で、熟した実は過去となり、新たな種は今として、世界を希望で包みこむ。 愛さえ育てば、子が育ち、世界が育ち、子が生まれ、愛の種が芽吹くんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年10月25日金曜日、次男ジロウのオープンスクール。
vol.101【ワタシノ子育てノセカイ】 あなたと私がいて愛が育まれてゆく。人は繋がることで愛になってゆくんだ。 繋がりを失うと、あなたが消えて、私も消えて、育む愛を見失い、世界が消える。あなたと私がいるだけで、世界はたゆまなく続くんだ。 あなたも、私も、ただ、ただ、いてくれて、ありがとう。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年10月26日土曜日、くもり空。大阪にて、高1の長男タロウがスポーツクライミ
vol.100【ワタシノ子育てノセカイ】 完璧でないから人は人を愛するんだ。 不完全な凸凹こそが人の魅力。足らずを補いあうように、人と人はたすけあい、絆を育み寄り添ってゆく。完璧じゃない自分は、人と繋がれるすばらしい自分なんだ。 ありのままの不完全を慈しめるほど、愛は深まり人は繋がる。あなたもわたしも、ただ、ただ、ただ尊い。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年10月21日月曜日。次男ジロウは修学旅行
vol.99【ワタシノ子育てノセカイ】 愛は勇気をだす力。心に秘めたる熱い想いを表現するには愛がいる。 愛があれば自分を守れて、誰かのために動いてゆける。自分を理解し、自分を信じて、何かを生み出し、誰かを守る。勇気の動きが伝わるときは、自分が愛で満ちるとき。 愛と勇気が世界を創り、確かな私となっていくんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年10月14日、月曜日の祝日。私の祖母の一周忌だった。うっか
vol.98【ワタシノ子育てノセカイ】 愛の深さが壊せる世界の広さ。 愛の育みは螺旋を描くようにゆきどまりがなく、壊してのぼるほど渦が小さくなるのに、世界は果てしなく拡大してゆく。 渦の小ささは「私」の統合でもあり、自分がまとまりゆくほど、世界の広大さに心が震えるんだ。 自分を壊す営みが、愛する力となってゆく。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 月曜日の代休が明けて、2024年10月2日の水曜日となる。次男
vol.97【ワタシノ子育てノセカイ】 挑戦を笑えるのは、生きていないから。失敗が許されない環境では、失敗を否定と勘違いして、挑戦に嫌悪感がでる。 だけど挑戦とは"生きること"。挑戦と失敗のくり返しが成長になる。なのでみんな、ほんとは挑戦したい。 幼少期に成長の喜びをいかに味わって育つか、が挑戦への姿になるんだろうな。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年9月28日土曜日。次男ジロウの小学生最後の運動
vol.96【ワタシノ子育てノセカイ】 愛する人は今あるものに感謝して、愛されたい人は今ないものを必死に探す。愛する人は人の幸せを願い喜び、愛されたい人は人の幸せを奪い苦しむ。愛する人は小さなことに大きな愛を寄せ、愛されたい人は大きなことに小さな愛を模索する。 愛が膨らみ、幸せ願えて、感謝溢れる夜と朝を、私はあと何回、迎えられるんだろうか。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年9月10日火曜日。長男タロ
vol.95【ワタシノ子育てノセカイ】 選択は中身があってこそ意味をなす。カラッポの箱に手を突っ込んだとて何も掴めないんだ。 中身のない箱を変えざるをえないときほど、カラッポを認めるのが痛くて、カラッポの箱を被せて痛みを知らんふりする。痛みを味わう時間が選択なのにな。 痛みのある選択は、責任といい、自由への成長なんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 夏休みが終わり、新学期が始まる。登下校で息子たちの姿を拝
vol.94【ワタシノ子育てノセカイ】 今、理解できることは、ほとんどが過去。理解の範疇を実行したとて、未来は創造できやしない。 朽ちゆく過去を支えることは、今という瞬間を過去で覆い、輝く未来を閉ざす営み。世界を朽ちさせるのはいつだって、過去という今にしがみつきたい心なんだ。 「自分」という今さえあれば、過去は未来となっていく。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年8月19日、夏休みのいとこ会にて。総
vol.93【ワタシノ子育てノセカイ】 欲するものに手が届きそうなときほど、声を排除し、視野が狭まる。 世界を変えるのはいつだって、声なき声のさらにまた声なき声なのに。耳を済ませば地鳴りするように、いつもほんとは響いてる。だけど痛くてたまならない、と耳を塞ぎつい目前の安心にしがみつくんだ。 いつの時代もそうやって、世界は滅んできたんだろうな。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024夏休みの後半戦。私の甥姪
vol.92【ワタシノ子育てノセカイ】 見通せる未来は学んだ過去の幅。想像できる過去が想像できる未来で、これを「今」というのかも。 自分のスケールは学びによって培われる。誰かが口にする実現不可能そうな未来は、だいたいスケールの違いによる景色観なんだ。 だから不可能な未来じゃなくて、今を語っているだけかもしれない。 そもそも世界というところは、矛盾だらけなんだから。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 次男ジロ
vol.91【ワタシノ子育てノセカイ】 望む最高は期待通りでないといけないから、期待値はいつも完璧を求める。 どんなに結果が良くても、選択肢が多いほど満足度は少なくなるんだ。ゆきどまりのない期待値は、人生から驚きや感動を奪い、自分らしく生きられない世界を創る。 井の中の蛙で欠ける想像力はもしかしたら、生きる術なのかもしれない。それでもやっぱり、死に向かい、生きるために、世界の広さを、味わいたいんだ。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふた
vol.90【ワタシノ子育てノセカイ】 褒めると幸せが膨らむ。誰かを褒めるときは褒めどころを自分で見つけたときだから。 人はつい足りないところに目が向かい、いつもある幸せを見落としてしまう。だから素敵な誰かがいるだけでは褒めにくいんだ。 褒めどころを探して見つけた自分を、素敵な誰かへ表現できたから、誰かを褒めるとより一層の、幸せを感じるんだろうな。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 学校が長期休暇に入ると、私
vol.89【ワタシノ子育てノセカイ】 未来と信じるその選択は、もうすでに過去なのかもしれない。知った瞬間からすべては過去。 自分の学びを振り返れ、現在地を見つめろ、世界は果てしなく広いんだ。苦しくて辛くて呑み込まれそうなときほど、過去を未来だと勘違いする。 一部を照らす希望の光は分断の深淵となるだけ。未来の光には、きっと、影はない。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年7月12日金曜日。長男タロウへ
vol.88【ワタシノ子育てノセカイ】 どんなに理不尽だろうと流れができると止められない。流れそのものが現在地でしかないから。 止められない流れは、今この瞬間の姿。どれほど哀しくても、怒りがこみあげても、情けなくても、今の姿でしかない。 痛くても今の瞬間を深く見つめるんだ。すると流れはゆるやかに、希望の未来へと向かってゆくから。 ◇ ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。 ◇ 2024年7月5日。下校する次男ジロウに会いに