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Apple Watchと褒めと夫婦について

Apple Watchに、ちょいちょい褒められます。

1時間じっとしていると「そろそろ立ち上がる時間ですよ!」と促され、言われた通り立ち上がると「やりました!」と褒めてもらえるのです。

大人になると、褒められることが減ります。

特に職場で事務を執り、ベテランと呼ばれる域に達したりすると、取引先や同僚などからお礼を言われることはあれど、えらいね!すごいね!やったじゃん!というような言葉を掛けられる機会は、ほぼ消滅します(=わたし)。

立ち上がったことを褒められるなんて、いつ振りだろう。

…人生で初めて立ったとき以来じゃないか?

大人になると褒められにくいのはたぶん、大の大人、しかも年齢や立場が上の人を褒めると、ちょっと小バカにしているというか、下に見ているニュアンスに捉えられてしまう懸念があるからだと思います。

例えば「部長、えらいじゃないすか!」は、失礼っぽさに溢れているもの。
(「部長のお話を伺えて大変勉強になりました」などが正解とされているけど、これって褒め?)

大人になって、いるだけで周囲に気を遣わせる存在になって、いつの間にか褒められることが減ったけれども久しぶりにApple Watchに褒められて嬉しくてちょっとニヤけちゃった、というのは、たぶんApple Watchを含むスマートウォッチ保持者にとって、あるあるなのではないでしょうか。

ときに、わたしは結婚してよかったと思っています(突然)。

わたしは知り合いの人類のなかで夫が1番好きだし、大好きである上に一緒にいても緊張せずそのままの自分でいられるのってどういう仕組みなのだろう、と首を捻りながらもその僥倖を全身で享受しながら日々を送っています。

そんなわたしにとって夫との結婚は「してよかった」と思うことだらけですが、その中のひとつに「ベタ褒めしたりされたりを臆面も躊躇いも恥じらいもなくすることができる」というのがあると思っています。

社会生活において褒めが目減りしていく中、たぶんApple Watchくらいのハードルの低さでわたしたちは普段、褒め合っている。

え、煎餅こぼしたから掃除機かけたの?えらい!
電車乗る前に忘れ物に気付くなんて、すごい!
10回も腹筋を?がんばったねぇーー!

相手への非礼やハラスメントに該当しないかを考えることなく素直に「へぇーすごいね!天才!あんた最高!」と言い合える。

それって、素晴らしいことだと思うのです。

友人でもいいかもしれない。
でも友人は複数持つことが可能なので、唯一無二感が足りない気がする。

恋人でもいいかもしれない。
でも恋人はまだ人生を共にしようと約束した間柄ではないから、ベタ褒めするには双方の間に緊張感があり過ぎる気がする。

夫婦以外の家族(親子/きょうだい等)でもいいかもしれない。
でも家族には年齢差や立場など案外上下関係が発生するので、この子が社会に出て困らない為には、とかの雑念(?)が拭えない気がする。

夫婦って、元々他人で、お互い自立した大人で対等で、且つ唯一無二で一蓮托生の間柄で、だから無責任に手放しに、お互いを褒めちぎることが出来るのだと思います。

夫婦(パートナー)は唯一、自分の意思で選べる家族です。

つくづく特殊で面白い関係だなと、改めて思った次第です。

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