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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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記事一覧

倫子さまの貫録に気圧されて

倫子さまの貫録に気圧されて

道長がいつもの通り、藤式部に今後の身の振り方を相談していると、突然現れた嫡妻の倫子さま(黒木華)。

その場の二人だけでなく見ている私たちも一瞬、背筋が凍る思いがしました。

倫子:「お2人で何を話されていますの?」

道長:「政の話だ」

倫子:「政の話を藤式部にはなさるのね」

この会話には思わず固唾をのんでしまい、注視せずにはいられず、
いったい倫子さまはどこまでお見通しなのだろう?
あまり

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浅草神社と土師氏の関わりは観音から⑬ ~十一面観音の秘密~

浅草神社と土師氏の関わりは観音から⑬ ~十一面観音の秘密~

明治維新を主導したのは、薩摩藩と長州藩。薩摩藩、長州藩ともに、その始祖は秦氏出自であり、明治維新は秦氏系によって行われました。長州藩主である毛利家の始祖は、秦氏系の土師氏。そして京都に平安京を造営した桓武天皇は、生母が朝鮮半島の百済王族出身でした。

桓武天皇は(母方の)同族だった土師氏を含め、渡来した人々を大切にし、多くの渡来氏族が桓武帝に仕え、平安京で活躍しました。

土師氏の末裔である毛利家

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「道長劇場」に振り回された哀れな一条天皇

「道長劇場」に振り回された哀れな一条天皇

「恐れながら、崩御の卦が出ております」

と、大江匡衡(谷口賢志)が告げると、

「ご寿命のことなど聞いておらぬ」

と、道長(柄本佑)が言う。

いや、筒抜けだから!
だって帝の寝所の横でわざと聞こえるように会話していたとしか思えないから!

道長としてはなるべく自分を良く見せるためなのか、あくまでも間接的に自然な形で一条天皇を追い込んでゆく一手のつもりかもしれないが、このシチュエーションには悪

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秦氏は波多氏から始まった⑬ ~島津家と富士山王朝~ 

秦氏は波多氏から始まった⑬ ~島津家と富士山王朝~ 

明治維新を主導したのは長州藩と、薩摩藩。
この二つの藩の始祖は、どちらも秦氏の末裔説があります。
長州藩こと毛利藩は、平安期、日本に渡来した秦氏系(土師氏)の末裔。
島津家の始祖・島津忠久は、秦の始皇帝の末裔で『秦氏』出身。
今回は、秦氏の起源である波多氏。そして島津藩との関わりです。

・秦氏は波多からはじまった。

秦氏ははじめ、波多(ハタ)でした。秦氏は、秦国の滅亡後、日本に渡来。秦氏は日本

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幕末最強組織・薩摩藩は秦氏系?⑫ ~天皇家と島津家~ 

幕末最強組織・薩摩藩は秦氏系?⑫ ~天皇家と島津家~ 

前回、「長州藩は毛利藩で、毛利の始祖は秦氏だった」と書きました。
明治維新を主導したのは主に長州藩と薩摩藩(薩長連合)。
そして薩摩の藩主・島津家も秦氏説がありました。

薩摩藩の軍事力は群を抜いています。
1600年(慶長5年)、天下分け目の戦いと言われた『関ヶ原の戦い』で、徳川家康率いる「東軍」と、石田三成率いる「西軍」が死闘を繰り広げました。島津家はこの合戦で「西軍」に加勢。

西軍の敗戦が

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山元町震災遺構中浜小学校

山元町震災遺構中浜小学校

先日福島県の海沿いにある松川浦というところまでドライブをしてきました。
新鮮なお魚が上がるので、何か海鮮でも食べてこようと思って行ったのですが、その日は波が高くて漁に出れなかったらしく、ありきたりのものしか無かったのでお土産を買って帰ってきました。

松川浦に行く途中、何もない場所に学校のような建物があり、目をやると「震災遺構」の看板が見えました。
折角だから帰りに寄ってみようという話になり、見学

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すでに始まっている道長の黒い計画

すでに始まっている道長の黒い計画

「敦成親王様は、次の東宮様となられるお方ゆえ」

思わず本音が出た道長(柄本佑)の言葉。
言われた藤式部(吉高由里子)も「は?」と思わず反応していました。

ー次は敦康親王様ではないのですか?ー

喉元まで上がってきた言葉を、藤式部は飲み込むしかありませんでした。

それもそのはず、まだこの時点では順当にいけば第一皇子である敦康親王が次の東宮であるはずで、一条天皇自身も愛する皇后・定子の忘れ形見で

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「虎に翼」法律の事はハードルが高いけど書かずにはいられない

「虎に翼」法律の事はハードルが高いけど書かずにはいられない

朝ドラ「虎に翼」がとうとう終わりました。
ずっと見続けてはいましたが、法律の事に疎すぎて掘り下げることが難しく、なかなか感想文が書けずにいましたが、最終回まで見終えた今、やはり悶々とするので自分なりに思いつくままに記しておきます。

まず最初に、タイトルの「虎に翼」の意味は、中国の法家である韓非の著書「韓非子」にある言葉で、「強い者に、さらに強さが加わる」という意味であり「鬼に金棒」と同義です。

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瑞穂サラダ

瑞穂サラダ

歴史を學ばなくなった民族は百年で滅びる。
日本は終戦以来、歴史を學ぶことを止めてしまった。それから間もなく八十年。あと二十年程で日本國滅亡。
そんな未來を回避するために出来ることは、先人が歩んで來た歴史を語り継ぐこと。

日本人が滅亡するもう一つの要因は食。
終戦以來、肉類、小麦粉、砂糖等を日本人は大量に食べるようになった。
食習慣の変化だけではなく添加物や農薬、化学肥料まみれの食品。
人を良くす

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ブレないバックボーンの進展が見逃せない

ブレないバックボーンの進展が見逃せない

お慕いしております中宮・彰子(見上愛)のあまりにも唐突かつド直球な告白に、背中を押したまひろもドン引きし、言われた一条天皇(塩野瑛久)も呆気に取られます。

そりゃそうでしょうよ。
あまりにも前置きなしで号泣しながら、いきなりの告白だったので、見ている私も「へ?」となり、いったい彼女は大胆なのか?ただの世間知らずなのか?判断はつきませんが、少なくとも彰子の中には大きな情熱が潜んでいたことだけはわか

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秦氏の出自を消していく桓武天皇⑩ ~同化する秦氏たち~

秦氏の出自を消していく桓武天皇⑩ ~同化する秦氏たち~

前回、桓武天皇の生母が朝鮮半島の百済出身で、秦氏系「土師」氏出身だと書きました。桓武天皇が京都に遷都したのも、母方の秦氏らが京都に多く住んでいたのも理由の一つだと言われています。平安京は、経済・技術の両面で秦氏がスポンサーとなって造営。事務能力に長けた沢山の秦氏が役人として桓武帝に仕え、平安京は発展していきました。

平安京造営から約10年後の790年。
(秦氏系)土師氏を母方に持つ桓武天皇は、ま

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秦氏のバックアップを受けた桓武天皇⑨  ~平安京とヘブライ~

秦氏のバックアップを受けた桓武天皇⑨  ~平安京とヘブライ~

フィクサー(黒幕)秦氏の続きです。
今回は平安京をつくった桓武天皇をヘブライ説から読み解きます。

桓武天皇の生母・高野新笠(たかのにいがさ)は朝鮮半島の百済王族出身。奈良時代、百済滅亡後、数万人の百済人が日本に亡命。天智天皇は、亡命してきた百済人をあたたかく迎えます。百済国内では通訳なしに日本語で会話できたと言われ、百済と日本と親密な間柄でした。
桓武天皇も即位後、「百済王等は朕が外戚なり」と発

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神武天皇はヘブライ出身?⑧ ~天孫降臨と秦氏~

神武天皇はヘブライ出身?⑧ ~天孫降臨と秦氏~

先日、神武天皇の3つの出自説で、ヘブライ説も書きました。
今回はさらにヘブライ説について掘り下げます。

約3000年前、南北ヘブライ王国の滅亡後、ヘブライ人は世界中に散ります。これが離散(ディアスポラ)。
離散した10支(部)族のうち、日本にやってきたのがユダ族。
ユダ(族)がなまって、ハタ・ハダ(秦)氏になったそうです。

諸説ありますが、神武天皇はヘブライのユダ族出身。ユダ族は王位継承権を持

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ドン兼家の謀略が始動?

ドン兼家の謀略が始動?

あり得ない展開があり過ぎるわ!

直秀(毎熊克哉)が「打毬」に急遽参加した時も心中で「は?」となりましたが、まひろの母の仇・右大臣家の藤原道兼(玉置玲央)がまひろの自宅へやって来た時も、「は?」となりました。

あり得ん。あり得ん。あり得ん。
(あえて3回言わせてもらう💦)

挙句の果てに、

暗い家だなぁ~!

オイオイ、どの口が言う?アンタのせいやから!

せっかく来たのにとか、
愛想がない

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