千世(ちせ)
人生の喜怒哀楽逸話集。 日々の生活の中でのちょっとした気付きや反省などの中に見つけた、人生を生きていくための教訓があり、喜怒哀楽があり、毎日が良い日になるようなヒントがあります。
これから活用したい記事、為になる記事、なるほどと思った記事、主にSNSに関してのお気に入りを集めてみました。
歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
芸術・創作に関してのまとめです。 有名作家の作品から無名の方々の作品まで、その実績に関わらず心に響いた作品&作家さんを集めてみました。 絵画も立体造形もハンドメイド作品も、あくまでも私のセンス(アテにならない)でのチョイスです。
言葉の語源、方言の由来、ことわざや慣用句の由来など、日本語全般の面白い記事をまとめてみました。
(固定記事期間:2021/7/10~2024/1/18 2024/9/6~) これは私の履歴書&PRであり、定期的に加筆訂正して再構築し、随時更新しております。 今までの取り組みや経験を記すとともに、これからnoteで何をしたいのか、何が目的なのか、ご理解いただけたら嬉しく思います。 📌noteで伝えたい私流のカタチ🔻残せる記事を書きたい 私は2009年7月からブログを書き始め、かれこれ15年以上になります。 正直、最初は目標も目的も持たないままなんとなく始めた手探り状
道長がいつもの通り、藤式部に今後の身の振り方を相談していると、突然現れた嫡妻の倫子さま(黒木華)。 その場の二人だけでなく見ている私たちも一瞬、背筋が凍る思いがしました。 倫子:「お2人で何を話されていますの?」 道長:「政の話だ」 倫子:「政の話を藤式部にはなさるのね」 この会話には思わず固唾をのんでしまい、注視せずにはいられず、 いったい倫子さまはどこまでお見通しなのだろう? あまりにも堂々としたふるまいに気圧されましたね。 思わず一気に言ってしまいたい衝動に
以前から行きたかった「川瀬巴水」特別展へやっと行けました! 明治~大正~昭和と日本中を旅して日本の風景を描き続け、木版画家として活躍した巴水の作品が約150点集められた展覧会です。 会場は大阪城の南西隣にある「大阪歴史博物館」で、訪れてみてふと、一時期はよく来ていたのに、ずいぶん久しぶりの訪問であることに気付き、少し胸が高鳴りました。 ❅新版画の台頭 巴水の木版画作品は「新版画」というジャンルのものですが、それは従来の版画とどう違うのか? 【版元】⇒【絵師】⇒【彫師】⇒
前回はこちら ランチの後は、法隆寺から北へ直線距離で1.5Kほどにある「法輪寺」へ向かいました。 ちょうど法隆寺・東院伽藍の真北にあるので近くではありますが、車で行くにはいったん県道9号線(大和郡山斑鳩線)に出て回りこむため、8分ほどかかります。 しかも混雑することが多いので意外と時間を要し、この日も10分ほどかかったと思います。 飛鳥時代創建の「法輪寺」創建年は不明で622年と670年の2つの説がありますが、聖徳太子の病気平癒のためにその子・山背大兄王が創建したとするな
前回はこちらです。 前回から2週間後の11月1日、再び法隆寺を訪れました。 というのも数か所の秋季期間限定の公開が目白押しなので、それらが最も重なる日と参加メンバーの予定が合う日を選んだのです。 混雑が予想されますし、前回と同じくお天気もお昼頃から雨予報なので、いつもより30分早く地元を出発しました。 【法隆寺】 ・上御堂 (釈迦三尊像) 11月1日~3日 ・夢殿 (救世観音) 10月22日 ~11月22日 【法輪寺】 妙見堂特別公開と秘仏・妙見菩薩像御開帳 11月1
約1カ月前に上記記事にて、主に以下の質問をさせていただきました。 ①アホバカの方言 ②体調が悪い時の方言 ③会話で使うちょっとした方言 ④境界線がありそうな言葉 総コメント数は94、 私の返信と複数のコメントをいただいた方を差し引いて合計45名の方にご協力いただきました。 プラス別のブログサイトから長野県の方が参加してくださいました。 あらためまして、ご協力ありがとうございました。 今回はその結果を報告させていただきます。 ※尚、皆さんからいただいた回答のままお伝えし
前回はこちらです。 歴史を感じながらランチを堪能した後、早速、法隆寺お宝の詰まった「大宝蔵院」へと向かいました。 大好きな「百済観音」を再度じっくり眺めるためです。 大宝蔵院と特別展もう一度「百済観音」に会いたい! 今回、大宝蔵院の看板を見て気付いたのですが、ここ自体が「百済観音堂」なのです!(アップ写真がピンボケですみません💦) 百済観音が鎮座されるためのお堂として建てられたとは、知りませんでした! だから奥のコーナーを独占して贅沢に安置されていたのですね~ 思わず
前回はこちら 10日ほど前になりますが、約5カ月ぶりに法隆寺を訪問しました。 初回訪問の時に、本当はじっくり見て回るつもりが、地元のボランティアガイドの方と出会い、詳しく説明していただけたのは良かったのですが、なにせペースが速すぎて、じっくりと鑑賞することができなかった心残りがあり、今回はそのリベンジでやってきました。 腰の骨折はまだ完治ではないものの、患部の痛みはすでになく、やや右腰が重い程度にまで回復したので、慣れ親しんだ同行メンバーに介護を受けながら?杖を突きながら
「恐れながら、崩御の卦が出ております」 と、大江匡衡(谷口賢志)が告げると、 「ご寿命のことなど聞いておらぬ」 と、道長(柄本佑)が言う。 いや、筒抜けだから! だって帝の寝所の横でわざと聞こえるように会話していたとしか思えないから! 道長としてはなるべく自分を良く見せるためなのか、あくまでも間接的に自然な形で一条天皇を追い込んでゆく一手のつもりかもしれないが、このシチュエーションには悪意があり過ぎます。 わざと聞かせたことは明らかで、一条天皇(塩野瑛久)を精神的
前回はこちら 最終回となる今回は、飛鳥寺から南西約1.6Kのところにある「岡寺」へ立ち寄りました。 この日最後に訪ねた寺院になります。 ナビでは5分ほどで到着するという近さなので、そのまま素直に車を南下させると、ほどなく「岡寺駐車場」という大きな看板があったので、疑いもなく駐車させると、実は土産物&軽食の店の駐車場だという、なんとも紛らわしいものでした。 すでに記憶は曖昧のため、その店名はいくら地図内を探してもわからずじまいですが、その店の方がご親切にも岡寺の門前駐車場ま
鎌倉時代の僧、日蓮宗開祖の日蓮上人の教えの一つに次の事がある。 陰徳あれば陽報あり 「陰徳陽報」と四字熟語で表され、その字のごとく「陰徳」とは隠れた善行、「陽報」とは良い報いの事で、善行とは自分のためではない他人のための良い行いであり、表立って評価されない行動こそが、ひいては自分を磨き、必ず良い事が起こるというものである。 「陰徳」という言葉は、古代中国・前漢時代の指南書「淮南子」、あるいは曹洞宗開祖の道元の教えをまとめた語録書「正法眼蔵随聞記」などにあり、はるか古代か
私は録画した番組で「これは!」と思うものがあればとにかく「保護」するのですが、それもかなり貯まってきたので、先日それらを一気に整理してみました。 その中に昨年の5月に亡くなった上岡龍太郎さんの追悼番組があって、再度じっくり見入ってしまったのです。 そこには当然ながら、彼の看板番組である「探偵ナイトスクープ」も紹介されていて、懐かしさが蘇ってきました。 これは関西ローカルなのでしょうか? 簡単に説明すると、視聴者からの素朴な疑問に、お笑いタレントたちが「探偵」となって調査し
前回はこちらです 「橘寺」からやや東寄りの北へ1.5Kのところにある「飛鳥寺」へと向かいました。 コトバンクによると、この飛鳥寺を中心にした一帯の古称を「真神原」と言い、「万葉集」にも”大口の真神の原”と歌われ、「大口の」はオオカミの大きな口をイメージさせる枕詞なので、この飛鳥中央部は「真神」すなわちオオカミのすむ原野であったと想像されています。 いきなり話は逸れますが、ここで思い出されるのはジブリ映画「もののけ姫」に登場した犬神・モロや「ゴールデンカムイ」のエゾオオカ
「敦成親王様は、次の東宮様となられるお方ゆえ」 思わず本音が出た道長(柄本佑)の言葉。 言われた藤式部(吉高由里子)も「は?」と思わず反応していました。 ー次は敦康親王様ではないのですか?ー 喉元まで上がってきた言葉を、藤式部は飲み込むしかありませんでした。 それもそのはず、まだこの時点では順当にいけば第一皇子である敦康親王が次の東宮であるはずで、一条天皇自身も愛する皇后・定子の忘れ形見である彼をと望んでいるはずだからです。 以下、37話を振り返るとともに、知らない
朝ドラ「虎に翼」がとうとう終わりました。 ずっと見続けてはいましたが、法律の事に疎すぎて掘り下げることが難しく、なかなか感想文が書けずにいましたが、最終回まで見終えた今、やはり悶々とするので自分なりに思いつくままに記しておきます。 まず最初に、タイトルの「虎に翼」の意味は、中国の法家である韓非の著書「韓非子」にある言葉で、「強い者に、さらに強さが加わる」という意味であり「鬼に金棒」と同義です。 ◇◇◇ そもそも。 法律とは誰のためのものなのか? 人が人を裁くために必要な
古墳関係を立て続けに鑑賞し、次は寺院を回ろうとまずは「橘寺」へ立ち寄りました。 写真の順番上は「石舞台」より先に回ったようなのですが、どう考えてもこの寺の方が後だったと記憶しています。 なんせこの日は7月26日。 今から2カ月近くも前の事なので、記憶が曖昧になりつつあります。 県道・多武峯見瀬線(155号)から南へ一直線に約100m、何もない畑の中を走るとすぐ東にあります。 県道からこの寺を見つけた時、まるで輝く緑の海の中に浮かんでいるようで、寺域のみが別世界のように見