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親子だからといって以心伝心はできないよ
親子だからといって以心伝心できるというものではない。
私は、物心ついた頃から、ごく普通に、
”親子なのだから、自分の思ったことがそのまま親に伝わる”
などとは、微塵も思っていなかった。
でも、どうやら私の両親はそうではないらしい。
それに明確に気づいたのはけっこう大人になってからで、
(普通そうは思わないでしょ、…という思いが思考を曇らせた)
その温度差というか、「思い入れ度」というか…そう
親といえども「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」を実感した話
馬鹿、デブ、ブス「馬鹿、デブ、ブス」
それはもはや、私の代名詞だ。
実家で暮らしていた頃、名前を呼ばれるように毎日かけられていた言葉。
挨拶代わりのように、当たり前のように、何度も言われる、
「馬鹿、デブ、ブス」。
…そういえば、名前を呼ばれる時も、「名前(もしくは”あんた”)」+「なんか」がほぼほぼセットだったな。
「あんたなんか!」
「あんたなんか!」
呼ばれる時点で、攻撃性と蔑みを感じ
祖父と平和に暮らすために知っておくべきだった「お金と人間のトラウマ」
祖父は、よく私にお金を渡してきた。
しかし、そのたび、私の気持ちは塞いだ。
お金を渡す祖父はどこか攻撃的で、
そのお札には、…嫌な”重さ”があった。
***
「俺に近づいてくるやつはな、みんな、金目当てなんだ」
あの日、祖父は、唐突に、なんの脈絡なくそう話し始めた。
祖父がぽつぽつと話す昔話を、私が「うん、うん、」と聞いていると、
突然、「お前も、そうなんだろう!?」と、
カッと目を見開い
虚無を漂う 〜アダルトチルドレンな日々〜
私には、自殺願望がある。
それは、幼稚園バスを待っていた頃から明確に、ある。
つまり、当時から、家に帰るのが億劫で、尚且つ、幼稚園(学校)に行くのも辛かったのだ。ずっとお腹が痛かった。
…では、なぜ自殺しなかったのか。
それは、ただ「なんとなく、しそびれてしまったから」としか言えない。
一度だけ、本気で実行しようとしたことがある。
その時は、たまたま……本当にたまたま、親が夜中に起きてきて見
親は子が幼い頃は「非凡」を、大人になったら「平凡」を求める
私には、子供がいない。
だから、子供が産まれたとき、どのくらいテンションMAXになるかは知らない。
ただ、自分の子供時代を思い返しても、両親の「子育て」には並々ならぬ熱量があったことは覚えている。そして、そんな「夫婦+子」を身近でも度々見かける。
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子が生まれると、両親は「どんな子に育てようか」と子供にあれやこれやと習わせる。
まるで様々なソフトウェアをインストールするように、お勉