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過度な卑下は虐待か愛情か

私には、もう一つ「冤罪の記憶」がある。

それは大学院入試が終わり、無事に合格通知を受けた後のことである。

親族から「おめでとう」を言われるたび、両親は「あれは実力ではなかった。うまいことやったのだ。」と、暗に不正があったと仄めかす返答をしていたのだ。

その言い回し、口調、身振りは絶妙で、そのストーリーは単なる卑下の域を超えた信憑性のある事実として聞き手に伝わってしまった。

今でも、心にしこりが残る合格発表であった。

身内を卑下するという「日本文化」

私が子供の頃から、両親は他人の前で私をあえて粗末に扱った。

「お勉強がよくできるようで」
と言われれば、母はわざと私の顔をぐいと乱暴に掴んで見せて、

「不細工でしょ〜?これじゃどこにもお嫁に行けないからね。一生一人で食っていかなきゃならない子だから、お勉強だけはさせているの。」
と即座に答えたものだった。

このやり取りは、私が小学生の頃から大学生になっても定番であった。

これが死ぬほど嫌であったが、どんなに嫌だと訴えても両親には取り合ってもらえなかった。

周囲も、
「親が自分の子供を下げて相手を立てて話すのは普通」
「身内を卑下するのは日本文化」
「照れ隠し」
「愛情表現」

といった反応であり、私に常識がないとみなされ呆れられるばかりであった。


「実力ではなかった」は卑下か

冒頭の、私が大学院に合格した時の話に戻そう。

うちの家系は親戚同士の関わりが密なので、誰がどこに合格しただの進学しただのという話はすぐに伝わる。

私が合格したのは東京大学の大学院だ。

これを聞いた叔父叔母などが次々と(近場なので普段からよくお茶しに来ているのだけれど)社交辞令の祝辞を述べにやってきた。


「ブスだから、お勉強だけは〜〜」
のくだりは、まだいい。

「大学院の試験はね、あってないようなものなの。
 名前書けば入れるんですよ〜!」

これはちょっと不快である。学部の夏休み中、1日12時間以上勉強したのだから。


「この子ねぇ、本当は試験なんて受けてないの。コレ!コレ!(ゴマすりのポーズ)これで入っちゃったの。この子、大学で勉強しないで世渡り覚えてきちゃったみたいで!入っちゃったのよ〜!」

「は?」である。

さすがに、試験は受けて合格して入学した、というところは訂正したい。

だが、テンションが上がって饒舌になった両親は、さらに身振りや口調をそれっぽく加えて「試験は受けてない」「実力ではなかった」を強調する。

親戚が、「まぁまぁ、大袈裟な。推薦みたいなものかしら。」とたしなめると、母は声にいっそう拍車をかけて「この子、狡賢いから」と表情を作って畳み掛ける。

さらに、昔のストーリーまで巧みに織り交ぜて(それ、小4の頃の話だろ!みたいなものまである)「この子、手段選ばないのよ〜。親の私も犯罪者にならないかとヒヤヒヤしっぱなし」などと言って、本当にそれっぽく語るのだ。

ここまで来ると、信じてしまう親戚も出てくる。

両親がお茶を淹れに席を立った時など、顔をしかめて「君ね、そんな生き方していたらダメだよ」と真面目に説教してくる人もいた。


いや、試験はあったよ。実際。
一般教養に英語、専門科目2科目に口頭試問。
確かに、一般入試に比べて倍率は低いし問題も難しくない。

ただ、きちんと勉強しないと外部の大学からの受験生は普通に落ちるし、内部生でさえ落ちることがある。これは事実だ。


「私は、不正はしていない」

これだけは、主張したかった。


けれど、どんなの主張しても、両親は冷たく、
「は?何言ってんの?」
と、聞く耳を持たない態度であった。

「親が子供を卑下して話すのは当たり前。そんなこともわからないのか。」
「誰も、真に受けちゃいないよ。」

実際に信じた人がいると言っても、
「あぁ〜。〇〇さん、真面目だからねぇ。」
と気の抜けた返事。まともに取り合ってすらいない。

「名前書けば受かるっていうなら、受けてみてよ!!!!」
…叫ぶ私に、

「夕食の準備するから、邪魔。あっち行って。」
…と、母は冷たかった。


「私は、不正はしていない」
「私は、不正はしていない」
「私は、不正はしていない」

この思いは、心のわだかまりとして、何年も残った。


卑下によって私は守られていたのか

母の話を聞いた親戚の何人が、「本当に」信じたかはわからない。

家に帰れば忘れてしまう程度の話だったかもしれない。

ただ、母は、相手が「信じた」表情をするまで、徐々にヒートアップしながら、「実力じゃなかった」「試験を受けずに入った」を裏付けとなるようなストーリーを展開していく。

だから、20年近く経った今でも、私はあのモヤモヤした気持ちをうまく忘れることができなかった。


私を蔑んで笑う時の、嬉々とした母の表情が思い出されては心が曇った。


***

そんなとき、ある人が言った。

私は、その卑下によって守られていたのだと。


田舎の同調圧力は、私が思っている以上に重く、激しい。

「良い思いをしている人がいる」となると、みな徒党を組んで潰しにくる。

…とうの昔に、村は町になり市になっても、「村社会」は続いている。


私は、その村社会の恐ろしさを理解していなかった。
こんなところ出て行って、県外で就職すればいい。
海外に行ったっていい…くらいに考えていた。


しかし、そうも言っていられない現実に直面したのは、やはり40歳くらいになってからだ。

家、土地、田んぼ、そして、高齢となった両親・祖父母(こちらの呼び寄せに応じて、土地を離れて暮らすことは100%ありえないだろう)だ。

地域とはうまくやっていかなければならない。


***

祖父は経営者だったので、我が家には親戚の他に社員などもよく出入りしていた。

そういった来客が、話の本題に入る前に、祖父の経営手腕を褒めて持ち上げることがあった。

そんなとき、祖父は即時に「妻がブスであること」に言及したものだ。

そして、「子供も孫も出来損ない」であると、具体的なエピソードまで添えて強調する。「仕事はうまくいっているがね。プライベートはダメダメだ。」と言って自嘲するのだ。

「家に、良いカミさんがいるお前さんの方が何倍も幸せだ」
というわけだ。

ちなみに、祖母はブスではない。そして恐ろしくよく働く人間だ。


小学生だった私は、これに納得できなかった。

さらに、「バカ嫁、バカ嫁」と連呼されている祖母が、自身を貶す主人に微笑みながらお茶を淹れているのも我慢ならなかった。

単純な私は、「悪口はダメ!」という学級員の勢いで、客も帰らぬうちに祖父に抗議した。

すると、鬼の形相をした祖母に、ぐいと引っ張られて奥の部屋に連れて行かれ、それは凄い勢いで叱られた。

お、おばあちゃん………ちゃんと、怒れるじゃん。。。
と思った。

あまりの剣幕に、言葉の内容は忘れてしまったが、それがとても恐ろしかったことは、今でも覚えている。


祖父は、そうやって家族を守っていたのだ。


令和の子育て論

最近は、インターネットの普及により、他人の意見に触れることが簡単になった。また、子育て中のママたちが描いた「日々の出来事」を漫画で読むこともできる。

時代は代わってきたと感じる。

それらの中には、身内を卑下することの賛否に触れたものもあった。

自分を下げて相手を立てるコミュニケーションを大人たちは自然とやってしまいがちだが、子供は理解できずに傷ついてしまうことに気づきましょうという啓発的内容になっていることが多いと感じる。

そして、「自分」を下げている感覚で、「自分=子供を含む」になっていることにも触れられている。

「親と子供は別人格」というのも、最近の子育て論でよく聞くフレーズだ。


***

数人集まれば「卑下合戦」だった親戚集も、ほとんどが後期高齢者となった。

最近は、実家の周囲でも空き家と耕作放棄地が目立つようになり、村社会の構成員自体が減っていることも実感する。

集落に住む人間が入れ替わり、価値観や文化も入れ替わっていく。



あの「卑下合戦」は、本当は「褒め合戦」であり「自慢合戦」であったのだ。

あの頃、親戚の前で、散々こき下ろされて泣いていると、
「あれは誉めているのだ」
「自分の子供を自慢しているのだ」
「大人になればわかる」

と言われたものだ。

当時は「どこが????????」と思ったものだ。

でも、あれは言葉で説明されても理解できないのだ。

40歳くらいになると、誰から説明されたわけでもなく、何か自分の中でフィルターが外れたかのごとく、「それが当たり前」に分かるようになった。

昭和の男の「雑で乱暴で不器用な愛情表現」。

…を、理解するのに時間がかかってしまった。


令和に生きるママたちは、「されて嫌だったことはしない」子育てを展開しているように感じる。

不用意に子供を傷つけない、そんな子育てが推奨されているように感じる。

こうした若い世代の努力を感じるたび、世の中まだ捨てたものではないなぁと思う今日この頃である。


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