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「親御さんときちんと話し合いましょう」という人たち

私が親子関係にじわじわと疑問を抱き始めたのは中学生の頃からだ。

その当時から、相談相手の先生やカウンセラーによく言われる言葉がある。

それは、
「親御さんとは話し合いましたか?」
という問いかけだ。

率直に申し上げて、この言葉を素で言えるひとは幸せだと思う。

なぜなら、親と話し合おうと思えば話し合えるということを、いかにも当たり前と思っているからだ。つまり、子供の話を普通にに聞いてくれる親をもっていたということだから。


私は時たま心がいっぱいいっぱいになってしまい、「人生が辛い」とこぼしてしまうことがある。

そんな時、ある人は「水道をひねれば水が出る。食料もある。切るものもある。安全な日本に住んでいる。あなたは幸せなんだよ。」と(不満を言うのは贅沢だと)私を諭す。

ならば私は、「親が子供の話を聞いてくれる」ということも、普段我々の多くが当たり前と流している「幸せ」なのだと説きたい。


***

今でこそ「毒親」というワードが市民権を得、「そう言う親が存在するもの」として広く知られるようになった。

しかし、ほんの10数年前は、カウンセラーですら「話し合う努力はしましたか?」と問うてきたものだ。

問われた私は沈黙した。

きっと相手のカウンセラーは、若造の私を見て、「努力不足」という指摘が図星だったものだから気まずくて黙ったと思っただろう。

私は絶望していた。

どれだけ努力してきたと思っているんだ…。

全身から力が抜けていくのを感じ、
「もういいです。」
と言うのが精一杯だった。

不真面目な学生と思われたに違いない。ただの反抗期と片付けられたかもしれない。

***

母は、子供の言い分を聞くのを単に面倒がっていたわけではない。

確固たる意志を持って、無視を決め込んでいた。

「子供に自分の言い分が通ると思わせてはいけない」
「つけ上がらせてはいけない」
「親子間の上下関係を絶対的なものとしなければいけない」

「取り合わない」というはっきりとした意志がそこにあった。


それでも数日経つと、母の方から何事もなかったかのように朗らかに話しかけてくるのだ。

しかし、タイミングを見計らって、私が「本題」を切り出すと、母は瞬時にして全身から殺気を放出する。私を睨むその視線、口元、眉間の皺、…非言語コミュニケーションを総動員して話題をねじ伏せてくる。そしてまた当分無視が続く。


***

そこまでして、私は何を伝えたかったのか。

それは、本音だ。

あのとき、本当はああしたかった。

あのとき、本当はこうしたかった。

あのとき、言われた言葉には本当に傷ついた。

○○するのはやめてほしい。

そして、

私は、無実だ。
ということ。


***

30年経った今でも、夢に見る。

母に向かって、「私はやっていない」と訴える夢。

「私にはアリバイがある」
「あの時間、私は家にいなかった」
「第一、私にお金を盗む理由がない」
「もともとモノを欲しがるような子じゃなかった…でしょ?」

母の背中に向かって一生懸命叫ぶ。その叫び声は本物も声となって、自分の耳に届き、ベッドから跳ね起きる。

混乱した頭のまま項垂れると、汗と涙でぐっしょり濡れた枕カバーが目に入り、意識が現実の時間に引き戻される。

2ヶ月に1度は、この夢を見る。


***

我が家で母は、警察官であり検察官であり裁判官だ。…ついでに刑罰の執行官でもある。

母の中で「長女(=私)が犯人だ」と思ったら、それは確定した揺るぎない事実なのだ。

「話し合いたい」

「………。」
(あの件は、判決を出したはずだ。再審はしない。)

話し合いを打診したあとは、ヒステリックに怒鳴られることもあれば、凄味をきかせて睨みつけたあと完全スルーを決め込まれることもある。いずれにせよ、「話し合う気はない」という確固たる意志の前に絶望させられる。


***

カウンセラーは言う。

「あなたの言い方が、少々攻撃的だったんじゃないですか?」

「あなたの反抗的な態度が滲み出ていたのではないですか?」

「あなたも感情的にぶつかってしまったのではないですか?」

「お母様の忙しい時に話しかけたのではなかったですか?
ちゃんとタイミングを見て、落ち着いて話しかけてみてはいかがでしょう?」


ある男性カウンセラーは少し強い口調で言う。

「親御さんと話す努力はしたのか?」
「…したって、君。2、3回話しかけて諦めてしまったんじゃないのか?100回試したか?100回ダメでも101回目があるかもしれないじゃないか?」

100回試してダメだったら、諦めないほうがどうかしてるだろう。


そんな、一般書籍に書いてありそうなことは全部試したよ。それでダメだから、なけなしのお金を支払ってカウンセリングに来ているんだろうが!とキレそうになる。

私が(当時)若かったからか?
反抗期だと思われていたからか?

…いや、親が子供の話を聞かないなんて、目の前の「私」に相当問題があると思ったのだろう。


私には、普通(平均というべきか?)がわからない。

普通の親がどのくらい子供の話を聞くものなのか。

逆に、子供が親に話を聞いてもらうために(時間をとってもらうために)、どのくらい気を遣うべきなのか。

真剣な話はどうやって切り出すのが礼儀なのか。


私の家族は口数は多い方だと思う。

絶えず何かしゃべっている。

でも、本音は…本音だけは、何か特殊な膜で透過してしまうようにスルーされる。今、何も話さなかったかのように扱われる。しつこくすれば叱られる。


「話し合ったんですか?」

その質問は、時にとても乱暴な響きとなる。

世の中には、話し合いが成立関係が存在するし、話し合いたいことだけ(相手が豹変するなどして)話し合えないという関係もあるのだ。


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