さかまき らむ

優等生の成れの果て。書いていれば、共感できる誰かに、また出会えるかもしれない。

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最近の記事

会社をクビになった話

会社をクビになった。 大学院を修了して、入社後3年目を前にした秋だった。 ”戦力外通告”をされた。 給料に見合う働きをしていないんだって。 要は給料ドロボーってことだ。 能力がポジションに見合わないんだって。 でも、社内システム的に、降格や降給はできないんだって。 人事と上司と、その上の上司に呼ばれて、 「あなたは、うちでなく別の会社の方が輝けるのではないですか?」 って穏やかに言われたよ。 (「あ、辞めろってことですね」) 「(クビより)自己都合退職の方が、あなた

    • 親子だからといって以心伝心はできないよ

      親子だからといって以心伝心できるというものではない。 私は、物心ついた頃から、ごく普通に、 ”親子なのだから、自分の思ったことがそのまま親に伝わる” などとは、微塵も思っていなかった。 でも、どうやら私の両親はそうではないらしい。 それに明確に気づいたのはけっこう大人になってからで、 (普通そうは思わないでしょ、…という思いが思考を曇らせた) その温度差というか、「思い入れ度」というか…そういった認識の違いが不幸を呼んだ。 「言ってよ」 vs 「察してよ」「口で言って

      • 「傾聴には技術がいるんですよ」という話

        母は、私に数々の…非常にたくさんの不満がある。 その中で、特に不満度の高いものが、 「もっと祖父母の話し相手になってあげてほしかった」 というものだ。 *** 私の家族は、みんなが「自分が話したい」タイプの人間だ。 聞き役がいない。 (そのことに、同居していた当時は気づいていなかった。) 子供がワーワー話し始めると、祖父が 「俺の話を聞けーーー!!!」 と怒鳴るし、父は父で、 成人した娘に超超超長文メールを送りつけてくる。 母は母で、 娘どもに電話して夜中まで愚痴をい

        • 親といえども「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」を実感した話

          馬鹿、デブ、ブス「馬鹿、デブ、ブス」 それはもはや、私の代名詞だ。 実家で暮らしていた頃、名前を呼ばれるように毎日かけられていた言葉。 挨拶代わりのように、当たり前のように、何度も言われる、 「馬鹿、デブ、ブス」。 …そういえば、名前を呼ばれる時も、「名前(もしくは”あんた”)」+「なんか」がほぼほぼセットだったな。 「あんたなんか!」 「あんたなんか!」 呼ばれる時点で、攻撃性と蔑みを感じて心が萎縮する。 「豚」もよく言われた。 テレビに養豚場が映ると必ず「あんた

        会社をクビになった話

          夫が出張の日の夜に思うこと

          仕事が終わって帰宅すると、19時前だった。 え?これから自由時間??? コンビニでテキトーに夕食を調達して、お風呂を済ませて20時。 そこから3時間好きなことして遊んでも、23時には寝れるって??? ウソ!? 不思議と笑いが込み上げて来た。 やっっっっば。 サイッッッコー *** 普段であれば、こうはいかない。 ダッシュで帰宅して、米を洗って、早炊きスイッチをONにする。 (↑タイマーにして12時間以上おくと、おいしくない気がするから) その間に、近くのスーパ

          夫が出張の日の夜に思うこと

          祖父と平和に暮らすために知っておくべきだった「お金と人間のトラウマ」

          祖父は、よく私にお金を渡してきた。 しかし、そのたび、私の気持ちは塞いだ。 お金を渡す祖父はどこか攻撃的で、 そのお札には、…嫌な”重さ”があった。 *** 「俺に近づいてくるやつはな、みんな、金目当てなんだ」 あの日、祖父は、唐突に、なんの脈絡なくそう話し始めた。 祖父がぽつぽつと話す昔話を、私が「うん、うん、」と聞いていると、 突然、「お前も、そうなんだろう!?」と、 カッと目を見開いて、怒鳴るような勢いで食ってかかってきた。 たじろぎなたら、 「違う、違うよ。

          祖父と平和に暮らすために知っておくべきだった「お金と人間のトラウマ」

          母と仲良くするために知っておけばよかった「専業主婦の心理」

          母は、私にたくさんの服を買ってくる。 「自分で選んで、自分で買いに行きたいから、もう買わなくていい。」 と何度言っても、買ってくる。 高校生の時は、自分の稼ぎがないのだから文句は言えない…と思っていたが、バイトをするようになっても、完全に経済的に独立してからも、母は私に服を買っては送ってくるのだ。 20代の頃は、これが本当に嫌だった。 第一、母と私は服の好みが全く異なる。色も、シュミも、素材の雰囲気も。 押し付けるのをやめてほしい、と何度も喧嘩した。 *** 何

          母と仲良くするために知っておけばよかった「専業主婦の心理」

          虚無を漂う 〜アダルトチルドレンな日々〜

          私には、自殺願望がある。 それは、幼稚園バスを待っていた頃から明確に、ある。 つまり、当時から、家に帰るのが億劫で、尚且つ、幼稚園(学校)に行くのも辛かったのだ。ずっとお腹が痛かった。 …では、なぜ自殺しなかったのか。 それは、ただ「なんとなく、しそびれてしまったから」としか言えない。 一度だけ、本気で実行しようとしたことがある。 その時は、たまたま……本当にたまたま、親が夜中に起きてきて見つかってしまった。 「迷惑。」 蔑むような視線とともにそう言われた。 「その行

          虚無を漂う 〜アダルトチルドレンな日々〜

          親は子が幼い頃は「非凡」を、大人になったら「平凡」を求める

          私には、子供がいない。 だから、子供が産まれたとき、どのくらいテンションMAXになるかは知らない。 ただ、自分の子供時代を思い返しても、両親の「子育て」には並々ならぬ熱量があったことは覚えている。そして、そんな「夫婦+子」を身近でも度々見かける。 *** 子が生まれると、両親は「どんな子に育てようか」と子供にあれやこれやと習わせる。 まるで様々なソフトウェアをインストールするように、お勉強、ピアノ、スイミング、習字、体操……と、様々な技能を身につけさせ、我が子を「ハ

          親は子が幼い頃は「非凡」を、大人になったら「平凡」を求める

          なぜ私の父親は、あの人だったのか

          スピリチュアル的には、「子供は親を選んで生まれてきた」という考えがあるらしい。また、「その親でなければならなかった」何らかの意味や必然性がある、という考え方を提唱している人もいる。 …個人的には、そういった考えは大嫌いだ。 救われないからだ。 だけれども、今日は、あえて、その観点から自分の親子関係に思いを馳せてみよう思う。 なぜ私の父は、あの人だったのかなぜ私の父は、あの人だったのか。 あの人でなければならなかったのか。 父は、酒・タバコ・暴力・ギャンブルそして女、

          なぜ私の父親は、あの人だったのか

          過度な卑下は虐待か愛情か

          私には、もう一つ「冤罪の記憶」がある。 それは大学院入試が終わり、無事に合格通知を受けた後のことである。 親族から「おめでとう」を言われるたび、両親は「あれは実力ではなかった。うまいことやったのだ。」と、暗に不正があったと仄めかす返答をしていたのだ。 その言い回し、口調、身振りは絶妙で、そのストーリーは単なる卑下の域を超えた信憑性のある事実として聞き手に伝わってしまった。 今でも、心にしこりが残る合格発表であった。 身内を卑下するという「日本文化」私が子供の頃から、

          過度な卑下は虐待か愛情か

          「何を」したかではない、「誰が」したか

          「嫌いな人にされたらセクハラ、好きな人にされたら甘い誘惑」 このフレーズをどこで読んだか忘れてしまったが、そのブラックユーモアに思わず笑ってしまい、ずっと覚えている。 だが、これが我が身に降りかかると笑い事ではない。 大嫌いな長女がケーキを買ってきた場合実家への手土産として、長女(=私)がケーキを買って行った時のことだ。 おもむろに箱のフタを開けた母は、急に血相を変えて私を怒鳴りつけた。 「うちには糖尿病寸前のおじいちゃん、おばあちゃんがいるんだよ!  こんなもの買

          「何を」したかではない、「誰が」したか

          「#死にたい」という救い

          noteの検索欄に、恐る恐る「死にたい」と打ち込んだ。 すると、「#死にたい」と現れた。 この瞬間、私の心がスッと軽くなった。…「心って本当に重さがあるんだなぁ」と実感するくらい「軽く」なった。 ここには、私の居場所があると思った。 *** 「死にたい」は「言ってはいけない」ワードだと認識されている。 ジサツはダメ、ゼッタイ。 SNSでもYou Tubeでも、「死」に関するワードには伏せ字が用いられたり、一部をカタカナや「4」で置き換えているのをよく見かける。

          「#死にたい」という救い

          心配から疑い、そして冤罪へ(機能不全家族的コミュニケーション)

          我が子を心配する「良い親」親が子供を心配するのは当たり前かもしれない。 子供をたくさん心配する親は「良い親」と思われることも多い。だが、過ぎたるは及ばざるが如しだ。 行き過ぎた親の心配によって、親子共々人生が壊れることもある。優等生の成れの果てとなった、この私のように。 *** もともと母も祖父母も心配性であった。 「怪我するといけないからそのスポーツは辞めろ」 「あの子と友達になってはダメ」 「英語くらい話せないと、将来が心配」 ……そう言われるたびに不満は募っ

          心配から疑い、そして冤罪へ(機能不全家族的コミュニケーション)

          冤罪の記憶

          冤罪の記憶冤罪の記憶。この記憶は強すぎて、正常な忘却曲線に乗ってくれない。 どこで読んだか忘れてしまったが、人はショックな出来事があるとそこで時間が止まってしまうそうだ。 これは、体感としてとても正しいと思う。 私は、(家庭内の些細なこととはいえ)冤罪の記憶を「昨日のこと」として、頻繁に思い返す。 「昨日、私は夕方4時に帰ってきた。手を洗って、まっすぐ二階の自分の部屋に行った。その後、呼ばれるまで自室にいた…」 無意識のうちに、「昨日私は…」としてその日の行動に思い

          「親御さんときちんと話し合いましょう」という人たち

          私が親子関係にじわじわと疑問を抱き始めたのは中学生の頃からだ。 その当時から、相談相手の先生やカウンセラーによく言われる言葉がある。 それは、 「親御さんとは話し合いましたか?」 という問いかけだ。 率直に申し上げて、この言葉を素で言えるひとは幸せだと思う。 なぜなら、親と話し合おうと思えば話し合えるということを、いかにも当たり前と思っているからだ。つまり、子供の話を普通にに聞いてくれる親をもっていたということだから。 私は時たま心がいっぱいいっぱいになってしまい、

          「親御さんときちんと話し合いましょう」という人たち