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親子だからといって以心伝心はできないよ

親子だからといって以心伝心できるというものではない。

私は、物心ついた頃から、ごく普通に、
”親子なのだから、自分の思ったことがそのまま親に伝わる”
などとは、微塵も思っていなかった。

でも、どうやら私の両親はそうではないらしい。

それに明確に気づいたのはけっこう大人になってからで、
(普通そうは思わないでしょ、…という思いが思考を曇らせた)
その温度差というか、「思い入れ度」というか…そういった認識の違いが不幸を呼んだ。


「言ってよ」 vs 「察してよ」

「口で言ってよ!」
「そのくらい察してよ」

…というやり取りは、親子関係や夫婦関係の”あるある”だと思う。

ただ、母親と会話していると、それが軌道を逸していると思うことがよくあった。


子供の頃、青色が好きだという私に、
「違うよ。間違えてるよ。らむちゃんは、黄色が好きなんだよ。」
と訂正しながら微笑む母に、違和感を覚えた。
…今、なんか日本語ヘンじゃなかったか???


実家で暮らした子供時代、母から、
「なんで、思った通りにやってくれなかったのか」
と怒られることが多かった。

そのたび、
「…言ってくれなかったから………」
以外の言葉が思い浮かばずに困惑した。


どうやら母は、
「子は自分の体から出てきたのだから、自分と同じ考えを持っているはず」
と思っているらしかった。

私にはそういった考えがなかったので、「母がどうやらそう思っているらしい」と思い至るまでに時間がかかった。


そして、残酷なまでに、母と私は価値観が異なった。

「そんなに(考えが)違うはず、ない」
「あんたは私の分身なのに…」

分身、分身、と言われるのが気持ち悪かった。
酵母菌のように、母親から”分裂”してできたみたいに言わないでほしい。

特に厄介なのは、私が母と別の考えや意見を言ったり、異なる趣味を持ったりすることについて、「(本当は母と同じことを考えを持っているのに)敢えて反抗している」と解釈していることだった。

「なんで、そんなにママに反抗するの?」
と怒りと悲しみで涙しながら聞かれても、本当に返答に困る。

本当に、思ったことを言っただけなのだ。
…そして、そう言っても信じてはもらえない。


母的には、頭・手・足・胴体・長女みたいな感覚っぽい。
なので、娘が母の予測のつかない選択をすると「なんで?」と半狂乱になるし、”親なのに理解できない”ことそのものに苦しんでいるようだった。


しまいには、
「あんたは、お父さんの悪いところを半分、
 お母さんの悪ところを半分、持って生まれてきたんだね。」

と深い溜め息とともに言い捨てられた。


父に関してはもはや笑い話

この件で、父に関しては、もはや笑い話である。

当時私はSNSをやっていたのだが、ひょんなことから、それが父の知るところとなった。

父は言った。
「なんで、俺に友達申請してくれなかったんだ!
 なぜ、俺を見つけなかった!」

(アカウント知ってたとしても友達申請なんかしねーよ、と思いながら)
私は、言った。
「お父さん……表示名、完全に偽名だよね。名字も名前も。
 画像も全部風景で、文章もあんまりない。
 …………えっと……………………これでどう見つけろ、と?」

父はのけぞって笑って言った。
「ばっっっか。お前。
 親子なんだから、このくらいわかるだろ!
 俺が考えそうな名前くらい!!」

いや、いや、いや、いや、

表示の名字も、名前も、本名と1文字も被ってませんけど???

…………ていうか、父。
2年くらい ”本名&顔出し写真入り" で投稿してた私を見つけてないよねwwwww


…なんか、笑える、というか、笑えない、というか。

作り話じゃないよ。

私もにわかに信じられないし。

こんな話、作ろうと思って思いつくものではない。


親子だからといって、以心伝心はできないんだ。

親の心を全部察して、満足いくように動くことは、できないんだ。

あと、子供が産まれたら、「自分が二人いる」感覚で仕事がはかどるようになる…動かせる駒が増える、と思ってたらごめん。子供に足引っ張られて、期待したように全然仕事や家事ができなくて失望させてしまったよね。

両親ともに、いろんな場面で私にとても傷ついていて、それはとても申し訳なく思っている。

あらゆる場面で「期待外れ」って思わせてごめんね。


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