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母と仲良くするために知っておけばよかった「専業主婦の心理」

母は、私にたくさんの服を買ってくる。

「自分で選んで、自分で買いに行きたいから、もう買わなくていい。」
と何度言っても、買ってくる。

高校生の時は、自分の稼ぎがないのだから文句は言えない…と思っていたが、バイトをするようになっても、完全に経済的に独立してからも、母は私に服を買っては送ってくるのだ。


20代の頃は、これが本当に嫌だった。

第一、母と私は服の好みが全く異なる。色も、シュミも、素材の雰囲気も。

押し付けるのをやめてほしい、と何度も喧嘩した。


***

何度も、何度も、
……頭がおかしくなるくらい、何度も、何度も、何度も、何度も、
「服は自分で選んで、自分で買いに行きたい」
と主張したが、また段ボールに服を入れて送ってくる。

この、「自分の主張を無視されている感」にずっと悲しみと孤独を覚えていた。


20年以上経った(今も緩やかに続いているが)今、
相手の気持ちを無視しているのは、私も同じであったことに気づいた。


母も、買い物に行きたかったのだ。


そして、私はずっと、
「服を買うなら、娘のものじゃなくて、自分のを買えばいいじゃん!」
と主張していた。

それが、どれだけ残酷な主張だったかは、40歳手前で気づいた。


専業主婦であること

母は、専業主婦だった。

そして、我が家の家長は、「THE 昭和」な男であった。

母に外で働くことを許さず、それでいて、「誰が稼いだ金だ!」という人であった。


専業主婦の母は、デパートで「自分の服」を買うことが後ろめたかったのだと思う。


だから、私が実家にいると、
母は、「この子はひとりで買い物にも行けないから〜」と、
声高に何度も主張し、
「一緒に買い物に行く」
と言った。

そのたび、私も「ひとりで行くから!付いて来ないで!」
と声を張り上げて応戦していた。


(母が、「この子はひとりじゃ何にもできない子だから〜」と言って付いてこようとする度、プライドを傷つけられた私は、激しく抵抗したものだった)

そして、母がなぜそうするのか、私には不思議であった。

普段から私を大嫌いだと主張する母が、趣味の合わない私と買い物に行きたがることが謎だった。

***

30歳を半ばにして、私が…まさか、自分が働けなくなるとは思ってもみなかった。

色々あって、「夫の金」で生活させてもらっていた数ヶ月間、私はとても肩身の狭い思いをした。母はこんな気持ちで何年も家にいたのか、と急に心が苦しくなった。

「子どものために仕方なく…」
と言わなければ、デパートにも行けないのだ。


服を選ぶということ

服を買いに行く、ということ。それは、とても華やかな時間だ。

お気に入りの店に入ること、(私は店員に話しかけられるのも大歓迎なので)店員さんと会話しながら上下の着こなしや着回しを教えてもらうこと。

大好きな色、デザインに触れること。

「服を調達する」以上に、「ショッピング」は楽しみなのだ。


***

母は、私にたくさんの服を送ってくる。

そして、「衣替え」だの「引越しを手伝う」だの言ってはやってきて(断っても、来る)、「季節に合わないから、この服は実家に持って行ってあげる」とか言って何着かの服を回収していく。

実家に帰ると、母がしれっとその服を着ている。


正直、私は、家族といえど、服をシェアするのは嫌だ。


だからこそ、若い頃は、
「自分の服は、自分で買えばいいじゃん!」とばかりに、
喧嘩腰になった。

なぜ、そうしないのか理解できずに混乱していた。


主婦になると、服を買うことが後ろめたい。

家族からの、
「その服、新しいね。買ったの?」
という言葉さえ、責められているように聞こえる。

その気持ちに、40歳手前でやっと気づいた。


母はというと、そんな時、
「や〜ねぇ、長女のお下がりよっ」
と言う。


いい歳こいて服ひとつ1人で買いに行けない長女の買い物をし、
子どもが着なくなった服を着る、という建前。

その建前が、必要なのだ。



***

家族というものが、いかに微妙なバランスの上に成り立っているのかを知った今、私も「オトナの対応」をせねばと思う。

さすがに、
「上の子(=私)は何にもできないから〜」を連呼されるとムッとするが、極力顔には出すまいと心がけている。

この家には、建前上、「ダメな娘」が必要なのだ。

家長の前で、恭しく母にお礼を言って、服を受け取る。


ショッピングの楽しみは、母に譲ろう。




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