冤罪の記憶
冤罪の記憶
冤罪の記憶。この記憶は強すぎて、正常な忘却曲線に乗ってくれない。
どこで読んだか忘れてしまったが、人はショックな出来事があるとそこで時間が止まってしまうそうだ。
これは、体感としてとても正しいと思う。
私は、(家庭内の些細なこととはいえ)冤罪の記憶を「昨日のこと」として、頻繁に思い返す。
「昨日、私は夕方4時に帰ってきた。手を洗って、まっすぐ二階の自分の部屋に行った。その後、呼ばれるまで自室にいた…」
無意識のうちに、「昨日私は…」としてその日の行動に思いを巡らし、そして、「キッチンにお金の入った封筒があったことすら知らなかった」という結論を噛み締める。
私には30年間、「昨日」が続いている。
成長しない高校生の私がずっと私の中にいて、延々と「昨日」を繰り返している。
私の家族と冤罪
母は昔から、問題に直面すると真っ先に私を疑う。いや、母の「疑い」というのは120%の確信なので、疑うというよりは「決めつける」。
「あんたしかいないでしょ?」
何があったのか話す前だというのに、既に怒りMAXの状態で突撃してくる。
母の言い分はこうだ。
「経営者の祖父母、働き手の父がお金を盗るわけがない。もちろん自分も違う。妹弟は幼すぎる。あんたしかいない。」
だいたいいつもこうだ。
何か問題が起こると、真っ先に私が疑われる。
しかし、これまでは割と些細な問題であった(それでもモヤモヤするが)。まさか、本当にお金がなくなった時もこれほどストレートに疑われるとは思っていなかった。
また、家庭内の問題において、たまに本当に私が犯人の時もあるのだが(トイレットペーパーを使い切って替えてなかったとか)、そんな時、母は物凄い剣幕で「やっぱりあんたが犯人だった!じゃあ、あの時の〇〇も、あの時の×××も、あの時の◻︎◻︎◻︎もあんたが犯人で決定だ!」と、瞬時に昔の未解決事件を引っ張り出して裁き始める。
犯人探しに帰納法使うのは、冤罪を生むからやめてほしい。
(そもそもトイレットペーパーを替えなかった私が悪いのだが)
祖父母の認知症と冤罪
祖父母(同年齢)に認知症の症状が出始めたのは、80を過ぎた頃からだった。
その症状は、ある日突然現れるものではない。
「あれ?(物忘れが多くなったかな…)」と家族が気づく程度から、徐々に徐々にじわじわと進行していく。
また、そのレベルは1日中同じというわけではない。1日のうちでも全く問題のない時間帯と、やや記憶が曖昧になる時間帯がある。
そして、それを祖父母本人も自覚するようになってきた頃のことだ。
祖父母から見て孫にあたる私たちに、やたらとお金を渡すようになってきた。
「天国にお金は持って行けないから…」
と言ってお金を握らせ、その手を両手で覆ってくる。
断っても断っても、その手と言葉に益々力を込めて一生懸命押し付けるように渡してくる。
これは生活費の一部なので、後で隙をみて金を母に戻すのだが、…戻しているのが祖父母にバレると家庭が荒れる。
この日も、祖母が「あげる」と言って私にお金を握らせた。
しかし、私は返すタイミングを逸して、つい自分がお金を持っているのを忘れてしまっていた。
すると突然、母が鬼のような剣幕で私に突進してきた。
祖母が、「孫(=私)お金を盗られた」と言ったらしい。
完全に無防備だった私は、身包み剥がされるとすぐにポケットからお金が出てきた。祖母の言った金額だったようだ。
それはそれは物凄い剣幕で責められた。
当たり前だが言い訳なんて聞いてもらえなかった。
***
ここで何度も思い出すのだが、当時、家族全員(祖父・祖母本人も含めて)祖父母に認知症の症状が出ていることを知っていた。
祖父母などは、よく「認知症が出てきたから〜」と自ら口に出し、それを理由にしてお金を握らせてくることもあったくらいだ。
しかし、祖母は私がお金を盗んだと言った。
母もそれを信じた。
他の家族もそれを信じた。
時間が経ってから、何度か母に事の成り行きを説明しようとしたものだ。
しかし、母は「お母さん(=祖母)が、あんたが盗んだと言った」の一点張りだった。
さらに、私が自己弁護のために「認知症」というワードを出したのがマズかったらしい。
母は、祖母の認知症が進んできたことを利用して、長女(=私)祖母からお金を騙し取ったと解釈し、それを勝手に妹弟にしゃべってしまったのだ。
母の手にかかると、私はいつも極悪人だ。
「モノ取られ妄想」というのは割と有名な症状だと思う。それが、親しい人にほど(あの人に盗られたと)向けられる、…というのも介護の初級程度の本に載っている。
母は熱心に勉強するタイプなので、知っていたはずだ。
でも、どんなに時間が経っても「お母さん(=祖母)が、あんたが盗んだと言ったから」の一点張りだった。
それはつまり、母は、「自分の母親(祖母)と子供とで対立が生じたら、私は母親の見方をする」と高らかに宣言したということだ。
母は、私の言い分を1ミリも聞かず、「だってお母さんはこう言っている」を繰り返すだけあった。
そしてそれは時間が経っても頑なであった。
それに絶望した。
***
おそらく、祖母本人は自分にそこまでの症状が出たことを認めたくなかったのだと思う。
また、母も、自分の母親の認知症が進んできたことがショックだったか、認めたくなかったのだと思う。
だったら、子供が犯人であるという事実の方がマシなのだ。
カウンセリングでは、よく「お母さんは、その時はそう思わなければ生きられなかったのね〜」という言葉を返される。
まあ、そうなんだろう。
わかった、受け入れる。
ママの心が壊れちゃうなら、私が背負う。
そう思って、生きてきた。
濡れ衣を受け入れるって、すごい愛だと思わない???
でも、母にとっては、私ってただの捨て駒なんだなぁという事実に気づいた時、しにたくなった。