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「何を」したかではない、「誰が」したか

「嫌いな人にされたらセクハラ、好きな人にされたら甘い誘惑」

このフレーズをどこで読んだか忘れてしまったが、そのブラックユーモアに思わず笑ってしまい、ずっと覚えている。

だが、これが我が身に降りかかると笑い事ではない。


大嫌いな長女がケーキを買ってきた場合

実家への手土産として、長女(=私)がケーキを買って行った時のことだ。

おもむろに箱のフタを開けた母は、急に血相を変えて私を怒鳴りつけた。

「うちには糖尿病寸前のおじいちゃん、おばあちゃんがいるんだよ!
 こんなもの買ってきて!
 あんたは家族のことなんて何にも考えていないんだね!!!」

そして、

「あんた家族を殺す気!!!!!?」
「あんた家族を殺す気ィィ!!!!!!!!!!?」
「あんた家族を殺す気ィィィイイイイ!!!!!!!!!!?」

と、怒気を強めて何度も私に詰め寄った。

ひとしきり私に対する罵詈雑言を吐いた後、
「あんたが、ほんの少しでも、家族のことを思ってくれる子だったら…」
「ほんと無神経…」
「なんでこんな子に育っちゃったんだろう…」

と、呆然とする私に背を向けて、母は泣いていた。


「もう帰って。」

言われるままに、私はアパートに帰った。

大好きな次女がケーキを買ってきた場合

後日、たまたま私と妹の帰省が被った時のことだ。

妹は、生クリームたっぷりの有名店のケーキを下げていた。
(私が買って行ったものよりカロリー高そう)

母は、目をキラキラさせて、
「わぁ〜〜!美味しそう!!
 おじいちゃんおばあちゃんいるから、
 普段こういうの食べれないから嬉しいぃぃい〜!」

とテンションMAXで、本当に嬉しそうにしていた。

「気が利く〜」

「おじいちゃんたちは食べれないから、私たちでこっそり分けちゃお☆」

などと言い、母はその日ずっと上機嫌であった。


私がケーキを買って帰ってからそれほど日も経っていないこともあり、私の感情は状況についていくことができなかった。

(こういうとき、母は、「長女ってほんと暗いよね。ムスッとしてさ。感じ悪ぅ〜。不機嫌ばら撒いてさ。だから嫌われるんだよ。」と、私の家族内評価にどんどんマイナス点をつけていく)

母は、私のすること成すこと全てに「悪意」を見出す。

しかし、その自覚が母にはない。

本心でで、長女は、無神経で家族のことを何も考えず、ガサツでノロマでデブでブスで全てのトラブルの元。「家族の癌」くらいに思っている。

本心で、長女の悪行に悩んでいる。

本心で、いつも、長女から嫌がらせを受けていると思っている。


母は、「長女には悪意がある」と決めている。決めつけている。

だから、長女のお土産が口に合わなければ、
「嫌がらせのために買ったのだ」
と、即座にそう思える。

一方、次女のことは大好きなので、たとえお土産が口に合わなくとも、
「(買ってきてくれた)気持ちが嬉しい」
という反応になる。

大嫌いな長女のケーキは嫌がらせ、大好きな次女のケーキは愛情なのだ。

追記

私が、ほんの少し綺麗な服を着ているのを見つけると、両親で寄ってたかって「男がいるのか!!?許さんぞ!!」と鬼の形相で詰められる。

一方、妹がカレシとのツーショットをコタツの上に放っておいても、誰も何も言わない。


私がただ歩いていると、「足音がうるさい!…あんたはいるだけでイライラする!」と母はノイローゼ気味に特大のため息をつく。

一方、妹が爆音で音楽を流しながら、ドスンドスンと床を踏み鳴らしてダイエット体操をやっていても「元気だね〜🎵」と微笑んでいる。


私がごく普通の土日に小説を読んでいれば、「勉強していないじゃないか!怒られないとできないのか!」と詰られる。

一方、妹がテスト前日に寝そべって漫画を読んでいても、その傍で家族団欒は続く。


私が買ってきたいかなるお土産も、「ゴミになるようなもの買ってくるな!」という叱責の対象となる。

一方、妹は………ご想像通り笑顔で迎えられる。


…親は、どの場合も長女(=私)の行動に問題があると思っている。

長女の行動が悪いから、自分たち親はイライラし、怒らされていると思っている。

長女と次女で全く同じことをしたとしても、両親の反応は対照的なものとなっただろう。

母の視点では、もはや、長女は存在そのものが嫌がらせ、次女は天使だったろう。



嫌われる「私」に対する考察

これは憶測であるが、母は、長女を嫌悪していることに罪悪感があったのではないだろうか。


母は、間違いなく「理想のおかあさん」を目指していた。
(そのように振る舞っていた)

しかし、私たちの不幸は、母と私の「好み」「性格」「趣味」「嗜好」そして「思考」……そういったありとあらゆるものが合わなかったことだ。

母は、常に私が「反抗している」と断罪した。

「親子でこんなに趣味・嗜好が異なるわけがない」
と、何度も声に出して、そう言っていた。

「長女が反抗している」と。

なお、次女と母の趣味はよく合ったようで、母にとっては次女だけが「味方」ということだった。


母は明らかに私を嫌悪していた。

でも、「理想のおかあさん」は「娘」を嫌ったりしない。

…そう思っていたのではないだろうか。


長女のことは大嫌い。その思いをきっと胸の奥深くに沈めようとして沈み切らず、苦しんでいたのだと思う。


私と母はタイプが違う。

もしも私と母が同じクラスにいたら、絶対に交わることのないグループに属していただろう。

夫婦なら「性格の不一致」で離婚していたはずだ。…いや、そもそも出会わないか。


「なんでそんなくだらないものが好きなのか」
「なんでそんなゴミみたいなもの集めているのか」
「なんでそんな気持ち悪い色が好きなのか」
母は、私を一瞥し、いつもため息まじりにつぶやいて失望を顕にした。

物事は、見ないようにするほどに(意識から追い出そうとするほど)、逆に意識されてしまうらしい。

きっと「長女が大嫌い」という思いを「悪いこと」として、押し込めて、押し込めて、押し込めてすぎてきたんだと思う。そして、押し込めすぎて逆に無意識下に膨れ上がったその憎しみを、私本人に投影していたのではないか。

長女に嫌われている、と。


(自分が嫌っているわけではない)長女に嫌われて困っている、と。


…嫌いなら、嫌いでよかったのに、と思う。

スカートをはきたい私が。パステルカラーが好きな私が。
髪を伸ばしたい私が。

嫌いなら嫌いで、さっさと手放せばよかったのに、と思う。
(これが私のガサツさなんだよな、きっと)


ずっと仲良しでいなきゃいけない。

一緒にお買い物に行くような親子じゃないといけない。
(お互いに疲弊するのに、なぜ誘ってくるのかずっと謎だった)

母の「頑張り」を「裏切る」長女が憎くて仕方なかったと思う。


長女が、
嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い

長女が、
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

それを投影して、長女から「嫌われている」「嫌がらせをされている」という意識が、どんなお土産もプレゼントも、言葉がけも「悪意に満ちたもの」として受け取られていたのではなかろうか。


今は、母の悲しみと困惑と苦労がすこしだけわかる。

まったく性格の合わない娘をもったことに同情する。

悪かったな、と思う。


早くいなくなってあげられなくて、悪かったな、とおもう。


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