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祖父と平和に暮らすために知っておくべきだった「お金と人間のトラウマ」

祖父は、よく私にお金を渡してきた。

しかし、そのたび、私の気持ちは塞いだ。
お金を渡す祖父はどこか攻撃的で、
そのお札には、…嫌な”重さ”があった。


***

「俺に近づいてくるやつはな、みんな、金目当てなんだ」
あの日、祖父は、唐突に、なんの脈絡なくそう話し始めた。

祖父がぽつぽつと話す昔話を、私が「うん、うん、」と聞いていると、
突然、「お前も、そうなんだろう!?」と、
カッと目を見開いて、怒鳴るような勢いで食ってかかってきた。

たじろぎなたら、
「違う、違うよ。私は、違う……!」
と慌てて否定するも、謎に勢い付いた祖父は、
「わかってんだよ!こっちはよぉお!」
と完全に怒ったような様子になり、席を立って畑へ行ってしまった。


祖父の怒鳴り声を聞いた母が飛んできて、
「ま〜た上の子がじいちゃんの機嫌を悪くした…」
と、ため息混じりに睨みつけてきた。


そういえば、この展開はデジャヴだなぁ。
前にもこんなことがあったなぁ…と、私は遠い目で天井を見上げた。


この弁解の余地のない感じに、いつのもことながら、辟易とした。


祖父とのギクシャクするお金のやり取り

祖父は、私に会う度、お金を渡した。

断っても、断っても、渡してくるのだ。

毎度、押し問答の末、祖父は私の手に札を握らせ突き飛ばすか、怒鳴りつけて無理にでも受け取らせた。

「取っておけよ。………それが、目当てなんだろ。」

私が、泣こうが抵抗しようが、力づくで金を渡した。


祖父は、何度でも、懲りずに私にお金を渡してきた。

断っても、断っても、追いかけてきて、渡してきた。

壁際まで追い詰めて、部屋の隅まで追い込んで、私のポケットに札を捩じ込んでくることもあった。


そういえば、子供の頃、
「おじいちゃん、長生きしてね!」
と完全に無邪気に誕生日プレゼントを渡したときも、祖父は、
「俺に長生きしてもらわねぇと金に困るってか?
 …媚を売らなくとも、お前の進学くらいはなんとかする。」

と答えたものだった。

ああ、そして、お金をもらったら、自分の意思を曲げなければならない。
祖父の希望に、自分の人生を合わせねばならない。
夢も友達も、捨てなければならない。

…そういう思い出が鬱積する実家に、成人後の私はしばらく帰らなかった。


***

「寂しい。寂しい。……会いに来い。」
祖父から、頻繁に電話が来るようになった。

会いに行くと、破顔して迎えてくれるが、
帰りがけにはやはりあの儀式がある。

お金を渡す。断る。…これを繰り返す。

祖父は、乱暴に私のポケットやリュックサックにお札を捩じ込んで、
「今日の日当だ。その辺のバイトよりよっぽどいいだろ?」
と言い放った。


***

祖父も歳を取った。

「寂しい。会いたい。」という言葉に、「もうすぐ死ぬのだから」というワードが、レギュラーで加わるようになった。

だが、顔を合わせると、いきなりテーブルに札を数枚叩きつけてきて、
「ほら、お目当てのモンだ!持っていけ!!」
と怒鳴るようになった。


さすがに私も頭に来た。いい加減にしてほしい。
「私がいつ、祖父を金づる扱いしたというのか!」
私も怒鳴り返した。

…大学院まで親の金なので、金のかからない子だったというつもりはない。

ただ、小学校から高校まで公立で、大学・大学院も国立に進学した。洋服やバッグ、アクセサリー等を欲しいとせがんだことはない。ゲームもしないし金のかかる趣味もない。

「いったい、私が、いつ、祖父を、金づる扱いしたというのか!」

悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。


母が飛んできて、私の頬を打った。
「家族の和を壊すなら、二度と帰って来なくていい!」


私は、祖父の葬式に呼んでもらえなかった。

お金のトラウマ

祖父とのお金のやり取りは、うんざりするほど何度も何度も何度も何度も繰り返してきた。

祖父は、「お前も、金目当てなんだろう。目当てのものをやるよ。」と言う。
私は、金目てでないことをなんとか証明しようと、それを断り続ける。
そんな私に、祖父は力づくで金を握らせる。


「お前も、俺の金が目当てなんだろ。」

そう言われる理由が、わからなかった。


でも、今はわかる。

祖父は、お金に関する大きなトラウマを抱えていた。…正確には、「お金が絡んだときの、人間関係」に関するトラウマだ。


***

祖父は、戦後、文字通りの裸一貫から事業を始めた。
その日食べるものにも困る暮らしだったという。

1日の睡眠時間は2時間。

とにかくものすごい勢いで働いて、ゼロから財を築いた。

そして、その過程で大きなトラウマを背負うことになった。

「財産」によって変わる人の態度。

周囲と差がつくにつれ、悪い噂が流れたり、濡れ衣を着せられたり、
…何も悪いことしていないのに攻撃の的になる日々。

「お金」によって変わっていく人間関係。

裏切り。

「家族でも、信用はできない。」

その言葉の背景を、私はもっと理解する努力をすべきだったのだ。


お金のトラウマを持つ家族と暮らす

祖父には、お金のトラウマがある。

…そのことを、私がもっと客観的に理解していたら、私たちはもっと平和に暮らせただろう。


祖父は、私に「私は、祖父を金づると思っていない」ということを証明させたかったのではないかと思う。

何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も

繰り返し、繰り返し、断らせる。

「お前も、俺を金づるだと思っているのだろう!」
と怒鳴っては、泣きながら否定する展開を待っていたのだろう。

そして、いつも最終的には暴力的にでもお金を持って帰らせ、
「ほら、やっぱり」
と、自虐的な自分の結論(=あいつもどうせ金目当てだ)に安心していたのではないか。

信じたら、傷つくから。

でも、信じたいから、また試す。

……もしくは、いつの日にか、私が「お金、ちょうだい」と言い出すことを恐れていたのかもしれない。

その日が来たら、祖父の心が崩壊してしまいかねないから、過剰に金を渡し、「足りてるから大丈夫」と泣いて断る姿に安心していたのかもしれない。


なんとなく、私はそれを知っていた。

しかし、顔を合わせれば毎度のように「金、貰いに来たか!」と言われることには腹が立った。…いや、怒っていたのではない。悲しかった。

自分の人間性を疑われているようで、貶められているようで。
その、人の尊厳を侮辱するような言い回しに我慢ならなかった。

だから、腹いせに、一度、
「そうだよ。お金、もらってくね。」
と、”押し問答して断る”儀式をせずに、お金を受け取って使ってしまった。

その時、祖父の心が離れたと思う。


あれは、100%、私が、悪い。


私は、祖父が死ぬまで、何度でも何度でも断り続けるべきだったのだ。
泣きながら、本気で「私は、違う」と言うべきだったのだ。

そして、もらったお金は全額しっかり家のために貯金して、慎ましい生活に徹するべきだったのだ。


多分、祖父は、信じたかったのだと思う。

自分を「お金」として見ない誰かがいると(祖母だって、娘である私の母だってそうは見ていないのだけれど)。

自分が目をかけた孫に、否定してほしかったのだと思う。


***

「試し行動」、「投影」、そして戦争の「トラウマ」。

カウンセリングを受けながら、私も勉強した。

お金を持つことに付随する人間関係のトラウマに関しては、色々な人が書いている。

私は、もっと早く勉強すべきだった。


祖父の大きすぎるトラウマを丸ごと理解することは、どんなに努力しても無理だろう。でも、理解する努力はすべきであった。

勉強すれば、少なくとも、「その不可解な行動は、トラウマがそうさせている」ことくらいには辿り着いたはずだ。


「どうせ、俺は、金づるだ」

その言葉を、たとえどんなに本心でなくとも、一度でも…たった一度でも、肯定してはいけなかった。

トラウマを一枚ずつ剥がすように、一回、一回、否定すべきだったのだ。

死ぬまで、何度でも、一貫して。

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