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親は子が幼い頃は「非凡」を、大人になったら「平凡」を求める

私には、子供がいない。

だから、子供が産まれたとき、どのくらいテンションMAXになるかは知らない。

ただ、自分の子供時代を思い返しても、両親の「子育て」には並々ならぬ熱量があったことは覚えている。そして、そんな「夫婦+子」を身近でも度々見かける。


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子が生まれると、両親は「どんな子に育てようか」と子供にあれやこれやと習わせる。

まるで様々なソフトウェアをインストールするように、お勉強、ピアノ、スイミング、習字、体操……と、様々な技能を身につけさせ、我が子を「ハイスペック」にしようとする。

「今の時代、○○くらいできないと恥ずかしい」

などと言いながら、私の両親は、大学のサークルを選ぶかのごとく、嬉々として子供の習い事を決めていった。

「勉強はできて当たり前」
「あれも一番でなければ!」
「これも一番でなければ!」

勉強は勉強ができる子と比較して、ピアノはピアノが上手な子と比較する。

時には、「〇〇ちゃんは英語の弁論大会に出たんだって!なぜお前は出なかった!!?やる気ないのか!?」となじる。

「お勉強、だけじゃダメなんだよ」と詰め寄る。


いつも、根底には、「親である我々が、こんなに頑張っているのだから、子供が結果を出して当たり前」という考えがある。

とにかく、自分たちの「作品」として出来栄えよく仕上げることに腐心する。

ありきたりな表現であるが「子供の心は置いてきぼり」で、親がヒートアップしていく構図だ。


私は「どんな子に育てようか」ではなく、「どんな子なのか」をいろいろな体験を通して(親子ともに)発見していくような子育てをしたい……と言ったら、子育ての苦労を知らない人間の戯言と聞こえるだろうか。


***

「良い大学」
「良い就職」
「良い結婚」

ありきたりすぎるゴールではあるが、ひとつひとつのハードルは高い。

しかし、それらゴールを達成するまでは、視野に「次の目標」しか入らない。

難関大に入学させてたあとは、「好成績で卒業しろ!」

次は、「親戚みんなが名前を知っている会社か国家公務員として就職しろ!」

次は、「ハイスペ男子と結婚しろ!」

口を開けば、「次は、」「次は、」「次は、」…優秀な同級生と比較しては、「負けている!」と子供の尻を叩いて「もっと、もっと」と急かす。


目標を達成したその先に

私は死に物狂いで東大の大学院を卒業し、有名企業の内定を得た。

きっと、親も満足して「もう大丈夫、この子は自立できる」と、私を独立させてくれるはずだ、と思った。

これから自分の人生を生きよう、と思った。


しかし、親の方は違った。

喜ぶどころか、急にしょぼくれてしまった。

目標がなくなって、急に歳をとったように見えた。
いや、実際に歳をとっていたのだ。

…後で思うと、あれが「空の巣症候群」というやつなのかもしれない。


急に、地元就職・地元結婚した同級生を引き合いに出し、
「あの子は、エラい。あの子は、エラい。親孝行だ。」
を繰り返すようになった。

親戚が子供を連れてくるたびに、
「娘を大学へやったのは間違いだった」
と語るようになった。


次第に、それはエスカレートしていき、
親戚の子供達に向かって、(私もいるのに)
「女の子は、大学へ行くより、早く結婚して孫の顔を見せるのが一番の親孝行だ。お勉強ばっかりしていると、そこのお姉ちゃんみたいになっちゃうぞ!」と私を指して嫌味を言うようになった。

地元の専門学校を選んだり、歳若くして出産した娘たちに、
「大学行くよりよっぽどエラい」
「そこのお姉ちゃん(=私)より、よっぽど価値がある」

を繰り返した。

「女の子は、平凡が一番」
これを何度も繰り返しては、
私を指して、「あんな風になっちゃだめだ」というのだ。


結局、親元に残らなかった私は、親不孝だというのだ。


…これは、私も驚くところなのだが、
同級生には案外、妻側の実家で配偶者が同居する、
いわゆる「マスオさん状態」を受け入れている男性がいる。

また、二世帯や、妻実家の敷地内で同居する夫婦もちらほらいる。

娘の親として、それは嬉しいだろう。

羨ましいのもわかる。



「親も歳をとったら、考えが変わるのは当たり前よ。」
カウンセラーにもそう言われた。

…が、しかし、これまであまりにもがむしゃらに、あまりにも精一杯、あまりにも人生の時間の全てを「頑張って」生きてきた。

…頑張っていたからこそ、視野が狭くなり、親が歳をとったことにも気づかなかったとも言える。

ただ、だから、それを全否定するような、親の態度の変わりっぷりに、心が折れてしまった。私は重度の燃え尽き症と鬱病を発症した。


***

今、キョーレツに発破をかけてくる親も、いずれは歳をとる。

「恋愛、ダメ、ゼッタイ!!」
が口癖だった親も、「誰かいい人いないのか」を繰り返すようになる。

私は、そんな親の心の変化の波をうまく乗りこなせなかった。
親も自分も不幸にした。


「自分を生きる」ことを決めた時、それは親から「失望」を受け入れて、覚悟して飛び立つ時だ。

私はそれに失敗した。

それは、自分も親も不幸にすることなのだと年月を経て気づいた。


誰かの期待に応えても、喜んでもらえるとは限らない。
愛情をもらえるとは限ららない。

だから、あなたには「あなた」を生きてほしい。




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