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心配から疑い、そして冤罪へ(機能不全家族的コミュニケーション)

我が子を心配する「良い親」

親が子供を心配するのは当たり前かもしれない。

子供をたくさん心配する親は「良い親」と思われることも多い。だが、過ぎたるは及ばざるが如しだ。

行き過ぎた親の心配によって、親子共々人生が壊れることもある。優等生の成れの果てとなった、この私のように。

***

もともと母も祖父母も心配性であった。

「怪我するといけないからそのスポーツは辞めろ」
「あの子と友達になってはダメ」
「英語くらい話せないと、将来が心配」


……そう言われるたびに不満は募ったが、それだけならまぁどの家にも多少はあることとして、成長とともに納得しただろう。


問題は、子供への「心配」が「疑い」と同義になっている場合だ。


「今この時間、子供がちゃんと勉強しているのか心配」
「悪い友達と付き合いがないかどうか心配」
「オトコがいるんじゃないか心配」etc.etc…

母は「子供が真面目に勉強しているかどうか心配」になれば、私の自室(鍵はない)にそっと身を隠して潜んでいる。

そして、「今、漫画描いてた!現行犯!」などと叫びながら飛び出してくる。


別の日は、(なんかウチの車に似た車があるな〜と思っていたら)通学路の傍の路地に車を停めて、運転席からジーーーーッと睨むようにこちらを見る母がいた。

私が通学する道に車で先回りして、車中から監視していたのだ。


私が二十歳を過ぎて一人暮らしをするにようになっても、実家に持ち帰った鞄を勝手に開けて持ち物検査は当たり前。

実家で風呂に入っていると、祖母に私の下着をチェックされていたこともあった。後で、「下着…花柄だったんだけど。ちょっと派手じゃないかしら?…見せるような相手がいるわけじゃないよね?」と、イオンに連れて行かれ、中学生が身につけるようなブラとおばさんパンツを買い渡された。

抗議は、色々と事情があってできないので、歯を食いしばって屈辱に耐えるしかない。


心配は疑い、そして勝手な確信へ

そんな私も、ある日、大爆発を起こした。

ことの経緯は、大学のカリキュラムの一環で東南アジアに行くことを告げたことに始まる。


両親は普段、やれ「グローバル人材になれ」だの「英語をしゃべれ」だの「社会でリーダーシップを発揮しろ」だの言い募って発破をかけてくる割に、いざ娘が海外に行くとなると大騒ぎだった。

ただ、その「心配」の内容が、「娘が暴漢に襲われて酷い目にあったらどうしよう」とかそういう類のものではないのだ。

「娘は、親の目が届かないところで悪いことをしに行くんじゃないか」という心配なのだ。


母などは、かなり「マジ」であった。


「今は、ママの目があるから悪いことできないけど、ママが手出しできない海外で麻薬をやろうとしているんじゃないの?」

激烈に真剣な表情で問うてくるわけだ。


私はそんなこと、両親から言われるまで頭の片隅にもなかったし、そんなつもりは1ミクロンもなかった。普通に真面目にカリキュラムに取り組んでいた。

そして、次の日には『麻薬、ダメ、ゼッタイ』みたいな本が台所のテーブルに積み上がっているのだ。

母の中で「心配」は「疑い」となり、やがて勝手な「確信」に変わる。

そして真剣に、(すでに私が麻薬でも覚醒剤でもやったかのように)「いい?こういうことすると脳が溶けちゃうの。人生が台無しになって壊れちゃうのよ?」と教育してくる。


……もうなんか、なんなの?

私は少年院帰りか何かなの?

まるで前科がある人間を保護観察しているみたいだね???


私は激怒して大暴れしてしまった。
(もちろん大暴れしたことで、私の評価はより”悪人”寄りになった)

そして母は、長女(=私)のせいで胃に穴が空いたそうだ。


もちろんこのことは、すぐに祖父母や妹弟、親戚の知れるところとなった。

「お母さんはね、君のことを本ッッ当に心配しているんだよ。」
「親心子知らずっていうけど、ホントだねぇ。」
「君も親になればわかる。」
「お母さんに感謝しなよ。お母さんを大事にな。」

周囲の大人たちは、口々に「あんなに子供を心配してくれる親はそういない」「感謝しろ」と言う。


私はずっとモヤモヤしていた。

心配してくれることが愛情なら、なぜこんなに傷つくのか。


私は、心配されているのではない。私は、疑われているのだ。嫌疑をかけられているのだ。


***

こんなことを書くと、一般的な感覚の持ち主は、「私の普段の素行が悪いから疑われるんじゃないのか?」と思うだろう。

言っておくが、私が素行不良だったということはない。


そして、母の、この「心配」という名の嫌疑は、私が完全に純粋だった幼稚園の頃から(…いや、生まれた時からずっとというべきか)なのだ。

今思い返すと、私たちの間にはずっと「不信感」が漂っていた。

よくわからないけど、「信じてもらっていない」感じ。これをずっと感じて生きてきた。


「犯罪者の親になるのは絶対に嫌だ。」

おそらく、その思いが「やったらどうしよう」という心配に、そして「親の目の届かないところでやっているんじゃないか?」という疑いに、さらに「絶対やってるに違いない」という確信となり、常に「そういう目」で子供を見ていたのではないかと思う。

***

初めての海外から帰ってきた頃、少女が母親にタリウムを飲ませた殺人未遂事件が報道されていた。

その報道が大きくなってから、母の挙動が急におかしくなった。

私が妹に、
「私がやると思っているのかな?」と聞くと、妹は、
「絶対そう思ってる。死の恐怖だね!」と言った。

妹はゲラゲラ笑っていたが、私は笑えなかった。


***

私は、こんな母との関係を20年以上続けてきた。

何度か心の苦しさを訴えたことがあったが、当たり前の反応として、「あなたの日頃の態度に問題があるのではないですか?」という答えが返ってくる。


だから日頃から、「親の目のないところだから、真面目に生きなければ」という思いで生きてきた。

しかしながら、真面目に生きているからこそ親と別の意見を持ってしまうこともある。

(例えば、同居の祖父母は戦時中の価値観を持っているので、それが現代と合わないことがある。また、昭和に当たり前にあった「差別意識」も、私たちの世代では「アウト」である。)

真面目に生きることと、親に従順であることは、時として相容れなかった。

「私も若かった」ことを言い訳にするのは卑怯であるが、事実、当時の私は若く、人生経験が足りなかった。


毎日、一生懸命、真面目に生きているのに、なんでこんなに「悪い人間」として断罪されないといけないのか。

なぜありもしない嫌疑をかけられるのか。

「親の目が無ければ麻薬に手を出す人間だ」
というレッテルを貼られていること自体、私にとっては冤罪だ。


人は、「疑い」をかけられるとそれを解くことに固執してしまう。

それを放っておくことは、個人の尊厳に関わることだからだ。


私は、無罪を主張し続けることに時間を費やし過ぎてしまった。

気づけば世の中から取り残され、身体のみが歳を重ね、永遠のぐるぐる思考に囚われている自分がいた。


子供を「心配」するのは親の「愛」かもしれない。

だが、その「心配」の正体を一度は疑ってみてほしい。

その心配は、子供の人生を潰す類のものだってこともあるのだから。

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