知った気になるのは怖い。知るは無限なり。学びは永遠なり。瞑想をして我を知る。我を知り我を学ぶ。目を開いてこの世を知る。この世を知りこの世を学ぶ。この世は感動そのもの。喜びも悲しみも感動の渦に飲み込まれていくかのようだ。ふと気付くと感動の渦の真ん中に静かに佇む我がいる。静寂と静観。
「知るは楽しみなりと申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。」とは、子供の頃によく聞いたTV番組の常套句だ。でも、この言葉の「知識をたくさん持つことは」を、「色んな自分を知ることは」と置き換えてみよう。まだ開花していない自分は、必ず潜んでいる。
恥ずかしかった話。 昔の教え子からのLINEでー、 「これからカレシとデート!サルートで行くんだ!」と。 「サルート」?なにそれ?なんか車の名前みたいね。 検索し、赤面。 けど調べるはいっときの恥、知らぬは一生の恥。 あいつ、今頃どうしているんだろう。元気でやっているかな。
想いを隠すのではなく、見せていく。全てをみんなに見せなくてもいいから。ただ自分だけが知っていることがあってもいい。自分は自分の味方でいたい。
読んで気付いた2つのこと ①自分の親を俯瞰して見れる →「自分の親はおかしいんだ」と気付くことができる ②認知のゆがみが発生 →例えば、周りから見たら満足できる生活をしていても、本人が裕福な他人の生活を目にして、親ガチャに失敗したと思ってしまう可能性がある
嫌なことはもちろんありますが、嫌なままでは終わりません。そこから気付くこと、学ぶことはあります。その経験があるから伝えられることがあります。