労働というゲームにはルールがある。そしてそのゲームのルールの基盤には人々の"当たり前という認知"がある。 現状自分がわかっている労働というゲームのルールについて記す。これを見る方のキャリア形成に何か役に立てば嬉しい。 今回言及したいゲームのルールは以下の二つだ。 スキル/労働量と年収には相関がない 社会的地位の重要性 スキル/労働量と年収には相関がないこれについて普段から実感を伴って同意してくださる方も多いかと思う。 「自分の方がスキルあるのに、なぜあいつの方が給
私は二十代半ばである。長い人生がおそらくまだ残っており、どう生きていくかが大事になる。 やはり最終的なゴールとしては、後悔がない人生を送りたいということだ。 「もっとあの時こうしていればなぁ」というのを極限まで減らしたい。 自分は自身の行動を正当化する、ポジティブシンキングをするので、どれほどその後悔が多いかはわからないが、過去の意思決定を振り返って、もっとこうすればよかったと後悔することも当然あるので、これからの人生どう生きれば後悔がない人生を送れるかを考えたい。
最近自分の中に思考の変化があったような気がしてそれを記しておきたい。 かつてのエンタメへの執着元々エンタメという領域に興味があった。 人々の日常を少しでもハッピーにしてくれるエンタメの力に惹かれていた。人々の不幸の元となる問題の解決はしてくれずある種の一時的な処方薬的な役割ではあるが、一時的にもその辛み苦しみを忘れさせてくれるエンタメは素晴らしいと思う。 さらに自分は社会課題の解決というものは非常に難しいものであると思っていた。ある社会課題を解決しようとすると、また別の
私たちは日々評価されながら生きている。 つまり日々評価というものに翻弄されながら生きている。 評価は本当に必要なのだろうか。 良い評価が自分にくだった時は喜び、悪い評価が自分にくだった時は落ち込む。そんな一喜一憂に人生が大きく振り回されている気がする。 自分は学生の身分であり、教授と時たまミーティングをするわけだが、そこで数々のアドバイスや自分の意見に対する論破を受け、自分の能力に対する自信をなくす(先ほどこれがあり、この気持ちを言語化とともに分析したく、この記事を書
「我々人間が生きる意味とは何か?」 よく話題にされることであり、またこれについて頭を悩ませる人は多いだろう。自分も最近これについて考えることがある。この問いに関する自分なりの考えがあるので、それを記す。 宇宙視点で考えるよく宇宙の視点から考えると地球の中の人間が何をしても、意味がないのではないかという意見をよく聞く。精子と卵子から生まれた我々生命は、ただ生まれて死ぬまで活動をするだけで、そこに意味などないのではないかと。 確かに宇宙から見た地球なんて、ちっぽけだし、数あ
意外と知られていないが、現代において間違いなく正しいとロジカルに自分が判断する真理、特に汎化と局所最適化について書く。 汎化の誤謬と局所最適化という真理昨日、大学の同窓会の案内が届いた。自分はそのまま大学院に進んだため、大学院生でありながら同窓会の案内が届いたという感じではあり、まだ同窓会をしたいという気分でもなかった。気分は乗り気ではないが、同窓会の案内が入っている封筒にはどのようなものが入っているかは気になり、一応封を開けた。 封筒の中で同窓会の年会費に関する案内をま
「自分の本当にやりたいことがわからない」 多くの学生が特に就活において、ぶち当たる問題であり、自分自身この問題に直面して頭を悩ませている学生の一人である。 この本当に自分がやりたいことはどうすれば見つかるのか。世の中の人はどのように見つけているのか。自分の考えを記したい。 以降、「自分が本当にやりたいこと」を「欲望の宛先」という言葉で表現する。 欲望の宛先を見つける理由そもそもなぜ欲望の宛先を見つける必要があるのか。 自分としては一度きりの人生、やりたいことをやって
ビジネスチャンスの考え方最近、少しだけビジネスモデルというものがわかった気がする。 先日、大学の授業で、チームで事業を考え、それを聴衆の前でプレゼンするというプロジェクトを行った。そこで、業界の構造・課題の徹底的なリサーチ、ビジネスモデルの考案というものを経験でき、ビジネスの考え方が少しわかった気がした。 それは、「かつては合理的であったが、環境の変化によって、非合理的となった業界の歪みがあり、それを改めて合理的なものに修繕するところにビジネスチャンスがある」ということだ
とりあえず行動してみる。これは自分にとっては特に重要であるかのように思われる。 自分は少し前に比べ、自分の意思決定について詳しく考えるようになった。意思決定をする際には必ず根拠を持って行いたいし、意思決定を行う前にできる限り考えるための材料を揃えたいと思う。 ただ、考えることは行動することから逃げているとも言える。 考えるのは、行動することに比べ、自分の頭の中にだけ留めておけるので、リスクが全くない。一方で、行動することには勇気がいるし、行動による結果をそれがどんなもの
「研究は辛い」 そう嘆く学生は非常に多い。 ただ、本当に辛いものなのか。その真相に迫りたい。 まず、自分自身について。現在、大学院で研究を行っているが、研究を辛いと感じることが多々ある。しかし、本当はそこまで辛いものではないのではないかという仮説が自分の中で浮かんだ。実際、研究に力を入れており、時間をできる限り研究に注いでいた学部時代はそこまで辛いとは思わなかったのだ。研究というものの解像度を高め、さらにその思考を整理するためにキーボードを打つ。 まず前提として、自分が
就活を通して考える人生最近、就活を通して人生に考えることが多い。 自分の思考の整理や自分が後でこの時点の思考を振り返るためにも、今考えていることを雑に書き残しておこうと思う。 自分は就活をするまで、人生について今ほど深く考えては来なかった。もちろん、少し先のゴールを見据えて努力するということは多かれ少なかれ行ってきた。志望する大学に行くために努力する、強くなりたいから空手を始めるなど。ただ、それより先の人生を見通してそのような欲望を抱いたというよりは、なんとなくそれがした