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チ。

知ることには快がある。そこから面白さや気持ちよさを感じる。知ることには間違いなく欲がある。何かを知って不快になることがある。しかし、それは知りたいという欲に従った結果、不快になることがほとんどではないだろうか。
僕は今あらゆることを知りたくて仕方がない。なのに知ることには限度があってすごくもどかしくなる。この人生で全てのことを知り尽くすことはできない。欲を完全に満たすことができない悔しさがある。日本人である僕が毎日使っている日本語さえ全ての語彙を知ることはできない。

知るきっかけは身近に無数に存在している。例えば僕が今着ているハンティングジャケットの背中にはなぜか大きなポケットがある。なぜこんな所にポケットがあるのかを知りたくなる。検索すれば一瞬で解決するような問いかもしれない。しかし、それでは意味がない。アニメや漫画を他人にネタバレされる感覚に近い。自分で考える過程がすごく楽しいのだ。このポケットには「ゲームポケット」という名前がある。ハンティングという名前から推測するに、ここでのゲームは獲物という意味を指していると考えることができる。この二つの知識を使うと、もしかしたら背中のポケットは狩りをした獲物を入れる所なのかもしれないという考えに辿り着く。それからネットで調べてみる。やはり、このジャケットの背中のポケットの役割は獲物を入れるためのものだった。この瞬間、たった一つの知識を得たことに対して果てしない喜びを感じる。

知識があると考えることが上手になる。だからこそ知ることは楽しいのかもしれない。たとえ間違った考えに行きついてもそれは無駄ではない。考えることが、そしてその過程を踏んだ上での知識が良いのだ。古代人の生活をきちんと知らない僕が夢の中でそれを見ることができないように、僕にはこの頭の外にあることは決して考えることができない。色んなことを知りたい。

素晴らしい知識を得ると時折、もしかしたらそれを知らずして死んでいたのかもしれないと恐怖のような感情が生まれる。今知っている優れた芸術作品に出会っていなかったら、今の僕がなかったかもしれない。それがひどく怖い。だから知ることには貪欲になっている。難しそうな本を一行、目を滑らせるだけでも何かしらのことを知ることはできる。読書は知の宝庫である。

知ること、知りたいことには本当に際限がない。全ての学問を知ることも芸術作品を鑑賞することもできない。全て知ることができないことに恐怖や悔しさを感じるのに、それでも知識を得ようとしていることは滑稽かもしれない。知らないことは知らないと潔く諦めれば良いのかもしれない。同じく、知り尽くすことができないなら、そういうものだと思えば良いのかもしれない。しかし、解決できないことを解決しようとすること自体が楽しいし、意味のあることなのだと思う。それを諦めない限り知は増えてくれるし、そしてこんな楽しいことをやめる理由が今の僕には見つけられない。

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