「メタ視点」を説明するときには、「枠組みの外から見る」という説明が多い。それは思考を空間的なイメージで理解し考えようとしているということだ。レゴシリアスプレイメソッドは思考をモデルにして空間の中に表現することで、メタ視点を導く手法である。メタのメタも同じようにできるのも強みだ。
コミュニティの性格を決めるのは、その中核にある知識や技術の体系である。知識や技術が一人では習得できないものであればコミュニティは協力的な性格を帯びるだろうし、致命的な弱点や暗部をもつならそれを守るため秘密主義になるだろう。レゴシリアスプレイのコミュニティの性格も中核知識の反映だ。
相手の人間性や行動基準についての仮定を固定してしまった人達が社会的にぶつかると次第に相手の否定になり、排除に向かう。それらを保留し、目の前の人を理解しようと言葉を聞き人柄を知ることが融和と共存につながる。レゴシリアスプレイメソッドは後者のためのコミュニケーションを促進する。
美しい景色を見て感動しているとき、その人は心理的にフローに入っているという。目の前の景色の細部を見ながら同時に全体性も捉えようと時間を忘れて集中し、結果として幸福感を感じる。レゴシリアスプレイメソッドでも参加者に細部と全体を同時に見る感覚を掴ませればフローに入れやすくなるはずだ。
時折「思ってもみなかった」レゴ作品と巡り合うことがある。例えばこれ。まさに心理的安全性の真骨頂だ。自分自身(コアアイデンティティ)を描いたものだが、ファシリテーターとして参加者の発する言葉に釘付けになってしまう。メタファーとは一人ひとりの奥底に眠る感情の表れなのかもしれない。
ゼロから新たなビジネスを考える起点の一つは世の中への怒りである。私は何について強い怒りを覚えたことがあるのかのかについて、レゴシリアスプレイメソッドでモデルを作り、語りあってさらにその理由について探りあってみよう。簡単に解決できないから怒りなのだが、解決の価値があるということだ。
自分に対する最低限の自信や希望を十分に抱けていないと、自分についての問いに向き合いきれないのではないかと思う。そのような人は、レゴシリアスプレイで作ったモデルも自分を出せていないものになる。ただ、そんあ参加者でも向き合う他の人の作品を見て心を開くと(側でみて感じたことがある)。