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ボームの「ダイアローグ」論とレゴシリアスプレイメソッド
著者のデヴィッド・ボームは、量子力学の世界的権威でもあった研究者である。彼の関心は量子力学を超えて、この世界の真理へと向かっていった。
本書の中心的概念である「ダイアローグ」でも、その対象は、量子力学の世界ではなく、人間の認識や相互作用から生まれる社会秩序の性質というところに向かっている。
日本語で「対話」と訳されることが多い「ダイアローグ」は、21世紀になってから、日本でも注目されるようになってきている。学校や地域などで「対話の場」を持つことが多くなるとともに、「哲学対話」などの活動もあちこちで行われるようになってきた。
経営学やビジネスの現場では、1990年に刊行された『学習する組織』で一躍有名となったピーター・センゲが、学習する組織のディシプリンの一つである「チーム学習」 の中心にこの「ダイアローグ」を据えている。
本来ならば、著者のボームが視野に入れている自然科学、心理学、宗教学などを広く知った上で理解するとまた異なるのだろうが、私なりにポイントをまとめ、レゴシリアスプレイメソッドとの関係を考えてみたい。
ボームの「ダイアローグ」論のポイント
(1)ダイアローグ(対話)は、人々の間を通って意味が流れていくようなやりとりであり、そこから何か新たな理解が現れる可能性があるものだ。
(2)ダイアローグで生まれた新たな理解によって、そこに関わる全員に恩恵がもたらされる。その点で、一方のみが勝者となるディスカッションとは異なる。
(3)ダイアローグを困難なものにしてしまうのは、人間が思考の中に何らかの想定(意見)をもち、それに固執し、神経的に不安な状態にあるからだ。人はしばしば、想定を疑う余地のない真実であると位置付けてしまい、自分の思考や感情の産物であることに気づかない。
(4)ある想定を真実であるかどうか、良いか悪いかを判断しないことを「想定を保留状態にする」という。そして、その想定の必要性を疑うところから、創造的なダイアローグが始まる。
(5)想定を保留状態にすることによって、自己受容感覚を得る(「自分がそのように思考している」ということに自覚的である)ことができる。自己受容感覚の欠如から、人類の問題のすべてが生まれていると言ってよいほどだ。
(6)ダイアローグでは、お互いの反応や言葉に反応し、想定を掘り起こすとともに、ごくわずかな相違点や類似点に気づく「鋭敏さ」の感覚が重要である。
(7)そのごくわずかな相違点や類似点を手がかりに、意識は起きている事物を一つにつなげるために、何らかの形を認識するか、ある種の意味を作り出す。
(8)多くの人が集まると意見の食い違う可能性が高まる。それはインコヒーレンス(非一貫性)が高まるということである。ダイアローグとは、それを無視したり排除したりせずに、コヒーレンス(一貫性)な状態へと持っていくことである。
(9)進化論的な観点からいうと、感情や衝動に結びつく古い脳の上に、複雑な思考を可能にしている大脳皮質や、思考を意識する前頭葉などの新しい脳が発達してきた。古い脳は現在(今起こっていること)に関して活動し、新しい脳は主に本質に関して活動する。
(10)新しい脳は、過去に起こったことを描写してイメージさせるとともに、それらのイメージの描写は実際の認識や経験に結びつき影響を与え事実をつくる。それは思考の本質が、さまざまな認識や経験の中を反射していきながら事実を生み出す反射作用システムであるということだ。この思考プロセスに気づく人は非常に少ない。事実(fact)は製造(manifacuture)されるのである。
(11) 事実を生み出す描写は集団的に行われることが多い。お互いが他の人を手がかりとして事実を描写していくからだ。「自己」存在に関しても、集団の中で作られている。
(12)人の心に沈んだある想定に起因して生じる心理的な不安定さから生まれる困った状況を外部にある「問題」と捉えると解決できず泥沼化する。それは「逆説(パラドックス)」とみなして区別する必要がある。「逆説」を生み出す想定は、「最も深い部分にある自己」に深く関わっていることが多く、そのことを認識しなければならない。そうしないと深い部分にある自己が傷つかないように自己欺瞞(自らを欺く)に陥ることがある。
(13)観察するものは観察するによって多大な影響を受け、観察者も観察されるものに影響される。それは一つのサイクルとなっている。観察している自分に間違いがあるとき、それを疑うことは難しい。
(14)観察する人と観察される世界が一つに結びついているという考え方に基づいた思考の展開は「参加的思考(participatory thought)」と名付けることができる。その一方、現実をありのままに反映してとらえようとする態度は「具体的思考(literal thought)」と呼ぶことができる。
(15)具体的思考は世界をありのままに捉えようとするが、人間の認識には限界があるので世界を切り取って断片化して捉えていく。それは技術などのもとになるので人々の暮らしにとって必要だが、社会全体を動かすことも具体的思考で進めると、人は切り取られた独立した存在として扱われ、モノと同じように扱われる。世界の本質は相互参加(一つの全体)にあると思われるため、ダイアローグの中に具体的思考だけではなく参加的思考も組み込んでいかねばならない。
レゴシリアスプレイメソッドとの関連性
レゴシリアスプレイメソッドでは、問いかけに合わせて参加者がモデルを作る。そのモデルは参加者の「想定」の塊であるといえる。
モデルが「想定」の塊だとすれば、モデルがテーブルにおかれた状態は「想定を保留する」状態であるといえる。モデルを説明する・説明を聞くときに大事になるのは、そのモデルの良い悪いの判断をしないことである。
これはファシリテーターがまず気をつけておくことであろう。
そして、モデルとそこから語られる説明は異なるため(100%一致することは、天文学的な確率であり得ない)、インコヒーレンスが高い状態が生まれる。
そこで、相違点と類似点に気づくための「敏感さ」が大事になるが、レゴブロックを使った視覚的表現が、相違点や類似点に気づきやすくさせている。
そして相違点や類似点を手がかりに、参加者のすべてのモデルを含んだ、ある種の意味を作り出す。それはレゴシリアスプレイメソッドでいうところの共有されたストーリーの創出である。
共有されたストーリーの創出によって、ワークの参加者はお互いの結びつきを感じ、相互参加の感覚を高める。インコヒーレントからコヒーレントな状態へと移行する。
つまり、レゴシリアスプレイメソッドの中にある、ある問いをもとに、個別でモデルを作り、それらに共通する一つの大きなストーリーを作るというプロセスは、ボームのダイアローグ論にピッタリと重なるのである。
注意点としては、参加者にとって好ましくない状況について語るとき、もしくは、お互いの意見の相違が対立に近いものになってしまうようなときには、自己欺瞞を回避する工夫が必要だということである。
モデルで表現された参加者の「想定」が「最も深い部分にある自己」と結びついたものになることで、適切に保留でき、自己欺瞞を避けることができる。
ただ、「最も深い部分にある自己」と結びついたものを表現させるためのファシリテーションがどのようなものになるのだろうか。ボームのダイアローグ論からいえば、思考の正体(さまざまな認識や経験の中を反射していきながら事実を生み出す反射作用システム)を参加者に教え、自分の思考を観察させるように仕向けることになるだろう。