noteからお知らせが届きました。 noteを始めてはや3年が経つんですね~。 最近、ちょっと忙しさにかまけて投稿が滞りがちですが、合間を見ながら何気ない投稿を続けていきたいと思います。 フォロワーの皆さんには、いつも感謝です。 ありがとうございます!
真の友達の条件の一つは「断れること」なんじゃないかって思うんです。 特に子供の頃なんて、すぐに人間関係に上限関係ができがちで、「言うことを聞くのが友達」という価値観をもっている子どももいます。 でも、それはただの依存であってそんな関係からは安心も幸福も生まれないですよん。
なんか最近、「元教員」がコンテンツとして確立していますよね! インスタでも、YouTubeでも、noteでも実にたくさんいらっしゃります。 教員が嫌になってもたくさん選択肢がある、ということを示してくれる「元教員」と言うコンテンツがもっともっと増えてほしいなって思います☺️
仮説「自分が無意識に気にいる児童は自分により似ている児童。もしくは自分がなりたかった児童」 いかがでしょう?笑
人はなぜ学ぶのか。僕は「自由になるため」だと思います。世界のあらゆることを知り、体系的に理解できれば、あらゆることに対応できるようになり、先の見えない不安感=不自由さから解放されます。 そして恐らくまなぶことが好きな人は本質的に「自由になりたい人」なのではないでしょうか?
批判を承知で主張します。変化の主体は若者であるべきです。 なぜなら若者は先人達の知恵を自然と引き継いで育ってくるからです。若手の感覚が今後の時代の方向性なのだと思っています。 じゃあ若者の言うことを聞けと言うことか、違います。若手が暴走しないように、批判するのが仕事なのでは!
僕は明らかに人間として、少なくとも仕事をする人としての能力が低いです。 でも、能力なんかのせいにしたくないですよね。自分ができる範囲でいいから、自分の力を活かせる場所を見つけて、少しでも他者貢献への効果を最大化したいです! 凄い仕事は凄い人にして貰えばいいんです🎶
規則正しい生活も、瞑想も、読書も、筋トレどれひとつとして即効性はありませんが確実に生活を豊かにしますよね。 本当に効果があるものには即効性はなく、即効性があるものには持続性がない、これは一つの真理なのではないかと思います。
人間「型」を使わないと効率的に成長しないものです。 「型」を使わず、いい加減にしている子供がいるとします。ここで気をつけないといけないのは「何も考えていない」場合と「子供なりに創意工夫しようとしている」場合があること。どっちかによって寄り添い方を変えないといけませんよね。
先生になって初めて自分に本当の意味での「学力」がついていないことがわかります。 2年生の教科書を見て「これってこうだったんだ!」とびっくりすることもしばしば・・・。 どれだけ、これまでテクニックに頼ってきたんだろう