2024の反省〜僕は無意識に他人を見下している〜
年末年始って時間がゆっくり流れるからいいですよね。普段は自分を省みる暇もありませんが、この時期であれば自分と向き合うことができます。
だから、年末年始には僕のバイブルである「7つの習慣」「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読み、そこから自分の行動がずれていないかをチェックするようにしています。
そして今年も「7つの習慣」を読んでいたのですが、恐ろしいずれが自分の中にあることに気づきました。この事実に直面したことで、心臓がバクバクしています。
その事実とは、
僕は無意識に他人を見下している
という驚愕の事実です。
今回は、この事実と真摯に向き合い、思考を整理し、態度を改善できるようにすることを目的とします。
それではよろしくお願いします!
1 人間には「中心」がある。
「7つの習慣」によると、人間には価値判断のもとになる「中心」があると言います。豊かな人生を送るためには「原則」中心で生きることが必要であり、「原則」とは古典物理の法則のような、逆らおうとすると事故を起こすものであると言います。例えば、「正直」という原則に逆らうと、長期的には人に信用されなくなりますよね。そういうものが「原則」です。
中心は「原則」が望ましいのですが、僕も含めた多くの人は「配偶者(恋人)」「家族」「お金」「友人」「娯楽」「自己」「仕事」などを中心に生きています。
例えば、「友人中心」の人は友人という外部要因によって幸せかどうかが決まります。それ以外の中心も同じで、外部要因によって心の平穏が崩されてしまいます。
このように、外部要因によって幸福か不幸かが決められてしまう状態を、「反応的」だと定義しています。その対義語は・・・「主体的」です。
2 僕の中心は「仕事」「自己」である。
主体的に生きることを信条としており、かつ他人を明るく(主体的に)することをミッションとしている僕ですが、僕自身「原則中心」に生きることができていません。
「7つの習慣」には自分が何中心で生きているのかをチェックする付録があるのですが、僕の中心は「仕事」と「自己」でした。
僕にとって、「主体的に生きる」をもっと具体化したものの一つが「自分らしく(自己)、かつ社会に貢献する(仕事)」なので、この結果は僕の価値観がわかりやすく反映されたものだと分析しています。
これだけだと何も問題ないように思えますが、僕にはよろしくないとないところがあります。理想のために、一時的に他者を切り捨てるところがあります。
僕にとって、「社会に貢献する=子供が人生の主人公になれるような教育に一歩でも近づく」です。理想が高いのです。だから、普通に業務をこなしているだけでは、そして他の人と同じようなことをしていたら、理想に到達できないという焦りが常にあります。
よって、現場での仕事を最小限に抑え、自己成長の時間を取るために、結果的に同僚や子どもを切り捨ててしまうところがあります。もちろん、求められている最低限の仕事はしているつもりですが・・・。でもやろうと思えばもっと時間をかけてあげられるのは間違い無いですからね・・・。
3 僕が「自己」を”ポンコツ教員”だと評するのは・・・。
やろうと思えばもっと現場で時間を取れる。「自己」成長のために目の前の人のことを切り捨てている。だから結果も出せていない。この事実は罪悪感となって僕に襲いかかってきます。
だったら、素直に現場に向き合えばいいだけです。
でも、今目の前のことだけに全力を注ぐことは長期的・計画的な成長を諦めることです。反応的・刹那的に生きることです。だから僕は、自分の刃を研ぐ時間を取りたいという思いが僅かに勝ちます。
また、結果を出せていないのだから先輩に助言をもらい、それを実践してみるべきです。実際に試みたこともあります。
でも、それらのアドバイスが納得できない、かつうまくいかないことが多いのです。それは先輩が悪いのではなく、単純に自分の価値観と合っていないのだと思います。
じゃあ、この価値観はどこからやってきたのでしょうか。それは目の前の人を切り捨てて得てきた知識です。ハウツー本から哲学書まで幅広く読書してきました。そしてそれらをアウトプットしてきました。
これらを人並み以上に行ってきた自負があるのです。「先輩たちも僕ほど読書してないだろ。アウトプットもしていないだろ。」という気持ちが出てしまう。
同時にそんな気持ちを客観的に捉えている僕は、「そんなの傲慢だ!」「先輩たちの言っていることが間違っているはずないだろう!」という反作用的な気持ちをぶつけます。
そのぶつけ合いに疲れた結果、安易な方法に頼ります。「自分はポンコツ教員だ」というレッテルを貼り、相手を理解する努力も、自分の価値観を伝えようとする努力も放棄します。
「僕のことポンコツって思ってていいから、僕の好きなようにさせてくれ」
こんな雰囲気を出します。
つまり、「僕はポンコツ教員だ」という自虐は、現場に向き合う努力や相手を理解する努力をしない自分への免罪符であり、「自分は他の人より知識があり、正しい」という、他人を見下す態度の表出です。
僕は無意識に他人を理想実現のためには切り捨てていい存在とみなし、見下しているのです。
ここに僕の悪いところが全部詰まっているように思います。
4 知識の捉え直しと改善策
知識は相手を見下すためにあるものではありません。みんなを幸せにするためにあるものです。
そして、知識とは絶対なものではなく、多様なものです。誰もが価値のある知識をもっていると思うのが自然です。ましてやベテランの先生がもつ知識量は非常に多いでしょう。
このように知識を捉え直した時に、僕が取るべき方針は、一言で言うと対話を諦めないことです。そのためには以下の努力が必要でしょう。
・若手だから・・・と言う遠慮は捨てて、自分が得ている知識を自信を持って伝える努力をすること
・先輩が持っている知識を引き出す努力をすること。
・そして、それらを統合すること
結局、「自分の知識が正しい」「他人の知識が正しい」の二項対立で考えていたからダメだったのです。
自分が正しいと思うなら、どうして正しいと思うのか納得するまで伝える努力をしなくてはいけないし、
先輩のアドバイスに納得できないのなら、素直に「納得できません。納得できるまで教えてください」と聞いて、理解する努力をするべきだったのです。
僕は、それを勝手に諦めていました。「先輩だから言っていることは絶対正しいだろう」「後輩だから先輩に意見を言っても聞き入れてもらえないだろう」という思いが実は誰よりもあったが故に、逆に内心人を見下す態度になっていたのだと思います。
5 来年はどうするか
先述したように、僕のミッションは「周りの人を明るく(主体的に)すること」です。
そのミッションを達成するために4本の柱を立てています。
1 自分自身が明るい存在で(主体的で)あること
2 創造的であること
3 学び続けること
4 他人を尊敬すること
2024年、僕は4番ができていなかったことが明らかになりました。
そうであるならば、2025年の目標は明確です。
他人を尊敬すること、具体的に言うと、自分も他者も優れた才能と知識をもった存在だと捉え、対話する努力を怠らないことです。
口で言うほど難しい話ではありませんが、毎日意識して、過ごしていきたいと思います!
2024年も残るところあと15時間です。
最後の最後まで自分ごとの記事だらけでしたが、それでも読んでくださることがいることに感謝です。
今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします!
良いお年をお迎えください!!