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資本主義から卒業しよう 〜勝つための教育から自分を知るための教育へ〜
昨日の通勤中、たまたま聞いていたラジオのテーマが「資本主義から卒業しよう」でした。
超簡単に要点を話すと、「日本はもう資本主義による幸福を求めることには限界がきているから、資本主義を卒業して、身の丈にあった経済成長をしよう」ということでした。
この話題の根拠として語られていたのが、経済学者ケインズの主張です。ケインズは、資本主義経済によって技術革新や資本の蓄積が進むことで、人類が「経済的必要性」から解放される時代がやがて訪れると考えました。
そのケインズの考えに当てはめると、日本はすでに、技術革新と資本の蓄積は進んでおり、いよいよ経済的必要性から解放され、個人の自己実現による幸福を求めるフェーズに入っているそうです。
じゃあ、このような社会を今後実現していくにあたって必要なことな何でしょうか?ケインズによると、
技術革新と生産性の向上
科学技術や経済の進歩によって、全ての人々が必要な物資やサービスを容易に手に入れられる状態。資源の再分配
貧富の格差が解消され、すべての人が最低限の生活を保証される社会。欲望の抑制
個人が過剰な富や権力を追求することをやめ、より精神的な価値観を重視する姿勢。
の3点が必要だそうです。
先ほども述べたように、1は既にほぼ達成されていると言えます。一つの指標としてスマートフォンの普及率を挙げますが、2024年には既に97%を達成しているそうです。
もちろん、貧富の差は確かに存在し、まだまだ完璧とは言えませんが、ほぼ全員の人が小型コンピューターを所持できる社会になったという意味で、最低限の物質的な欲求はほぼ満たされる時代になったのではないでしょうか?
2と3に関してはかなり大きな課題として横たわっています。切り離せない問題です。物質的な格差が存在する限り、「あの人みたいに物質的に豊かになりたい」という欲求が消すのは難しいのではないでしょうか?
というわけで、個人的に解決すべきは「3の欲望の抑制」だと思っています。物質的な豊かさを追求するのをやめ、芸術や自己実現に幸福を見出す、精神的豊かさを追求していくべきなのではないでしょうか?
じゃあ、そんな社会を実現するにあたって教育が貢献できることは何でしょう。今日は「精神的幸福を求める社会の実現のために、どんな教育を行うべきか」を主題に考えていきたいと思います。
この記事は以下のような流れで進めていきます。
それでは、よろしくお願いします!!
1 鍵となるのは「自己実現欲求」
精神的幸福を感じるのは何が必要でしょうか?それは、「自分がどうありたいか」「どうなりたいか」がはっきりしており、そのために行動できていることだと思います。言い換えると、主体的に生きていくことが必須となっていくわけです。
でも、多くの人が自分がどうなりたいのか迷子になっています。それはなぜでしょうか?それは、「自己実現欲求を満たしたい」と思える土台が作られていないからだと考えます。
マズローの欲求5段解説によれば
1. 生理的欲求 (Physiological): 食事、水、休息など基本的な生理的必要性。
2. 安全の欲求 (Safety): 安全、安定、健康、リソースの確保。
3. 愛と所属の欲求 (Love/Belonging): 家族や友情、親密さ、つながり。
4. 承認の欲求 (Esteem): 自尊心、尊敬、達成感。
の順で満たすことで、
5. 自己実現の欲求 (Self-actualization): 自己の可能性を追求し、創造性や問題解決力を発揮すること。
の欲求を満たしたい!と感じるそうです。
僕の肌感覚でいてば、日本の子供は大抵2までは満たされているように感じます。(もちろんそうじゃない子もいます)。
となると、3と4を満たす教育を行うことが前提となっていくわけです。
2 そうであるならば「競争」「勝利」という価値は悪役となる
3. 愛と所属の欲求 (Love/Belonging): 家族や友情、親密さ、つながり。
4. 承認の欲求 (Esteem): 自尊心、尊敬、達成感。
この二つを満たすことが前提であると述べましたが、そうであるならば「競争」は悪役となります。
受験やテスト、運動会で競争をし、ランクづけしていくことで「4 承認の欲求」が満たされることが困難になる子どもが大量に出てくるからです。
競争や勝利という価値によって、子どもの成長動機が高まるのは間違いないですし、その価値は僕も大いに感じているところですが、この記事の論理に従うのならば「競争」「勝利」という価値観は今後薄めていくべきなのかなと考えます。
3 大事なのは自らの傾向を知ること
成長への動機を高めるために、テストや受験に頼らないとするならば、どうやって子どもの成長動機を高めていけば良いのでしょうか?
それは自分を知る経験を積ませることだと考えます。自分が何が得意で、何が苦手で、何で他人に貢献できるのか、つまり自らの傾向を知ることが「4承認の欲求」につながると考えます。
自分を知り、他者に貢献できれば「4 承認の欲求」が満たされます。そこが満たされれば「5 自己実現の欲求」が生まれます。するとさらに自分を知りたいと思うようになります。そうしてまた他者に貢献できれば、「4 承認の欲求」が満たされる・・・というように「4 承認の欲求」と「5 自己実現の欲求」の間に好循環が生まれます。
つまり、自分を知ること自体が、成長動機となっていくのではないでしょうか?
4 よって必要な教育は
自らの傾向を知ることが、テストや受験に代わる成長動機になり得るという仮説を立てましたが、具体的にはどのような教育を行うべきなのでしょうか?
それは、「子どものこうありたい」に寄り添う教育だと思います。まだ抽象的ですが、要するに個に応じた教育のことです。
学ことの目的を「自らを知り、生かす」こととし、自分と向き合うことを大切にする教育を行うことで、子供は自分の才能を発見し、社会に貢献できるようになるのではないでしょうか?
最後に
毎度のことながら理想論ですし、抽象論です。
ただ、実はこういった価値観の教育は進行していると見ています。それは若者の姿に見られます。
・出世欲のない若者
・車や宝石(物質)に興味のない若者。
・自己実現を求め、多様性が見られる若者
・競争を嫌う若者
・受験に批判的な若者
批判的に見られることも多いこれらの若者の姿ですが、実はこれは「資本主義から卒業する」ための教育の進行を表していると個人的には思っています。恐らく国は結構前から、資本主義の卒業を目指した国づくりを目指しているのではないでしょうか?
そして、こういった価値観が国の大半を占めた時、ケインズが予想していた
労働時間の劇的な減少
経済成長と技術進歩が進むことで、生産性が向上し、1日3時間、週に15時間働くだけで、人々は十分な生活を送れるようになると予測しました。「必要性」から「目的」への転換
資本主義の主な目的である「必要を満たすための経済活動」がほぼ達成されると、人類は物質的な欲求の追求から離れ、芸術や文化、自己実現といった「生きる目的」に焦点を移すと考えました。欲望の再編成
ケインズは、人間が「物質的な欲望(economic needs)」を満たした後でも、「金銭や資産を蓄積するための欲望」を卒業する必要があると指摘しました。これには、資本主義の原動力である「強欲」や「競争」が時代遅れになるという暗示も含まれています。
こんな感じの社会が実現するのではないでしょうか?
もう僕たちはこれ以上競争しなくていいし、働かなくていいのです。
だから、経済活動なんかよりよっぽど価値があるはずなのに蔑ろにされてきた、自己実現や子育て、家庭生活に時間が割けるそんな社会を目指していきたいものですね!