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誰かこの感覚わかる人いませんか??「理想の授業とはオープンワールドのゲームのような授業である」


 オープンワールドのゲームをプレイしたことはありますか??具体的には「ゼルダの伝説 ブレスオブワイルド」「マインクラフト」などのゲームのことです。

 これらのゲームの特徴は自由度が高いことに尽きます。自由度という言葉をもっと細分化すると①順番の自由 ②こだわりの自由 ③組み合わせの自由 といったところでしょうか。

 ①順番の自由があるゲームとは、自分が行きたいところから進めますよ〜というゲームです。「こうやって進めなさい」という開発者側の意図を感じなけれな感じないほどこの自由は高いと言えるでしょう。

 ②こだわりの自由があるゲームとは、プレイヤーの好みに合わせた装備や遊び方が準備されているゲームです。与えられているリソースが多ければ多いほど、この自由は高いと言えるでしょう。

 ③組み合わせの自由があるゲームとは、いろんな要素を組み合わせて、プレイヤー独自の遊び方を生み出せるゲームです。リソースが多いかつ、それぞれが組み合わせることができるほど、この自由は高いと言えるでしょう。


さて、この①順番の自由 ②こだわりの自由 ③組み合わせの自由ですが、授業に応用できないでしょうか?もし応用できれば、

子どもの発達段階、子どもの興味関心、子どもの認知特性をカバーした、かつ子どもの創造力を引き出すようなそんな授業ができるのではないかと仮説を立てました。

 今回は、「3つの自由が保障された授業とはどんな授業か」、「なぜこのような授業がいいのか」という2点について考えていく記事にしていきたいと思います。

 それではよろしくお願いします!!



3つの自由が保障された授業とはどんな授業か


①順番の自由 ②こだわりの自由 ③組み合わせの自由 が保障された授業とはどんな授業なのかを考えていきます。

 まず、前提となるのは自由進度学習でしょう。これを一斉学習で行うのは不可能です。

 確実に学力がつけられるストーリーラインとその遂行力が求められる一斉授業とは違い、自由進度学習で求められるのは教室環境の設定です。どれだけ子どもが狙いに沿った学力をその環境下で身につけられるかということが勝負になります。

 教室には多様な教室、教材と教具が計画的に設置されることになります。具体物、書籍、一人一台端末、イヤホン、イヤーマフ、オープンスペースなどが準備されることになります。

 その中で子どもたちは、自分の理解しやすい教材(こだわりの自由)で、それらを組み合わせながら(組み合わせの自由)、学びを進めることができます。
 
 ・具体的には、騒々しいところが苦手な児童がイヤーマフを装着して学習する(こだわりの自由)

 ・具体物×ICTの動画機能を組み合わせて、説明動画を作りながら学習する(組み合わせの自由)

 などになるかなって思います。

 

 じゃあ、順番の自由はどうなるの?って話になりますよね。そこはカリキュラムマネジメントの領域です。異なる教科を同じ単元内に入れ込み、その配分や順番を児童が選ぶようにすれば、順番の自由を確保できます。

 

 こんなイメージで授業設定していけば、三つの自由を保障した授業が実現できるのではないでしょうか??




なぜこのような授業がいいのか


では、なぜこのような授業がいいと僕は思っているのでしょうか?

それは、子どもが幸せに生きていけるようにするためです。

だいぶ話が飛躍したので、前提から簡単に説明します。

まず、僕は幸福=ありのままの状態で、他者貢献できること だと現時点では考えています。よって、学校ではありのままの状態で他者貢献できるような資質・能力をつけていってあげるべきだと思っています。

でも、今の僕の授業では子どもが「ありのまま」でいるのは難しいのが現実です。本当は学びの本質から関係ないことでも、注意しなきゃいけない場面が多くあります。例えば、

・手をまっすぐあげなさい

・字を丁寧に書きなさい(領域にもよる)

・大きな声で発表しなさい

・姿勢を正しくしなさい

・静かにしていなさい

・もっと早く問題を解きなさい

・じっとしていなさい

などです。これらって、見方を変えればその子の才能だったりするわけです。なのに「一斉授業の成立」という制約のためにこういう子たちは注意されることが増えてしまいます。

そして、その子の本質とは何ら関係ないところで評価がなされ、その子はありのままでいることが難しくなってしまいます。

だから全ての子供がありのままに、学びに向かい、その中で自分らしさを発見していくことが幸福につながっていくと思うのです。


 こんな記事を書くとよく言われるのが、「全ての人間がありのままだと、社会が成立しなくなる」ということです。多くの人が自分のことしか考えなくなり、怠惰、不正や非行が蔓延するのではないかと。

 確かに、ありのまま→怠惰、不正、非行につながるという考えは理解できます。ですが、僕は逆だと思っていて、

ありのままを否定され続けた→怠惰、不正、非行に走る

という順番なのではないでしょうか?子どもの頃からありのままの自分を受け止めてもらえた人間は、きっと社会に主体的に貢献しようとする人間に育っていくのではないかと思うのです。

だから僕は、子供がありのままの自分でいられるために、3つの自由を保障した授業を実現できたらいいなって思ってます。



 

じゃあこんな授業は現実的に可能なのか?


 こんな夢みたいなこと主張しているから忘れられそうですが、僕は現場の人間です。日々理想を現実に打ち砕かれる毎日を送っています。

 だからそんな僕から言わせてみると、こんな授業を実現するのは現実的に難しいです。こんな授業を行うには、まずは乗り越えないといけない現実的な課題が山のようにあります。僕がパッと思いつくだけでも、

① ペーパーテストによる受験がゴールである状況を何とかしないといけない

②先生たちの働き方改革をしないといけない
 
③先生方の子ども観を「子供は有能な学び手である」という認識に向けないといけない

④カリキュラムを学校全体で変更しないといけない

⑤教員全員で納得感を持ったうえで取り組まないといけない

etc・・・

があります。膨大です。


ただ、厳しい中でも「3つの自由を確保した授業」というイメージをもって日々の授業改善をしていくことが長期的に、理想を現実のものにしていくのではないかと信じています。

だから、これからもちょっとずつ進んでいけたらなって思ってます。

もし一緒に進んでくれる人がいるなら、

「そもそも『子供は有能な学び手』なのか?」

「前提が違ってたらどうするんだ?」

「もしかしたらこれまでのやり方のほうがいいかもしれないぞ?」

という不安や疑念と闘いながら進んでいきましょう!


もし、「これまでのやり方が良い」

ということが科学的に実証されたなら、その時は潔くそっちを研究しましょう。


 とにかく僕はこっちの道を信じて頑張ります!!


 



 



 

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