使えない若手教員を抱える全ての先輩へ
どうも。使えない若手教員T.Puです。
僕は非常にポンコツです。言われたことを言われたようにできないし、ミスも多いしで、現場に迷惑をかけている自覚があります。
もしあまりにも迷惑をかけているなら、この業界から身を引かないといけないなと思いつながら過ごしている3年目です。
さて。使えない若手教員ってやっぱりいると思うんですけど、言うまでもなく使えないのは単にやる気がないからだけではない場合も多いです。
現に僕はやる気はあるし、一生懸命やっているけど(自分で言うな!)、成果が出ないタイプです。じゃあ、どうしてやる気はあるのに使えない教員がいるのか、僕を一つのケースとして考えていけたらと思います。
それではよろしくお願いします!!
僕が現場で成果が出せない理由を結論から言うと、枠の外で悩んでしまうからです。だから、現場で身につけるべき力に力が注げず、相対的に他の人より成長が遅くなってしまうのだと自己分析しています。
「枠の外で悩んでしまう」とはどういうことか。説明させてください。
学校現場にはさまざまな「枠」があると思います。大きい枠から順に言うと「学習指導要領」、「教科書」、「指導書」などです。
若手は、この「枠」の中でどう授業するか、どう工夫するかを悩むべきです。そして、いつの間にかこの枠を大きくしていき、自分オリジナルの授業ができるようになっていくのが、健全な流れだと思います。
でも僕は、この「枠」の外まで飛び出して悩んでいます。「教育とはどうあるべきか」「学校とはどうあるべきか」「授業とはどうあるべきか」的なことを考えています。
これらは本来、研究者、国家行政、地域行政、指導教諭、管理職などが悩むべきことであって、1プレイヤーのましてや若手が考えることではありません。でも僕はどうしても考えてしまうのです。
例えば、「I C Tを活用しなさい」というお達し(枠)が出たとします。そのとき、僕はその言葉だけでは納得できず以下の図のような思考の流れを辿ります。
一番下段が、具体的な指示である「ICTを活用せよ」です。これに素直に従っていればいいのに、僕は「なぜ?」と疑問をもってしまいます。だから勉強します。
すると「ああなるほど。個別最適な学びと協働的な学びを実現するためにか」という結論に至ります。
でもまたここで思うわけです。「なぜ、個別最適な学びと協働的な学びを実現しなくてはいけないのだろう?」と。
というように「なぜ?」「なぜ?」を繰り返してくと、どんな問題も最後は哲学に行きつきます。幸せとは何か?みたいな問題に行き着くわけです。
そこまでいって僕の中で「I C Tを活用せよ」という言葉が落ちます。
僕は「自分の中で落ちるまでに、たくさんの段階を踏まなくてはいけない」のです。
僕を事例にした、「使えない若手」パターンの一つは多分これだと思います。「自分の中で落ちるまでに、たくさん段階を踏まなくてはいけない」若手です。
恐らく、この段階が少なければ少ないほど、即戦力になれ、多ければ多いほどお荷物になります。
前者のような若手は先輩のアドバイス(枠)を素直に取り入れ、実践しながらそのアドバイスの意味を実感していき、意図を持ってその枠を使いこなせるようになっていくからです。
逆に後者のようなタイプは、先輩のアドバイスを素直に取り入れようと思っても、自分の中に落ちるまでに時間がかかるのでなかなか枠を使いこなせるようになりません。だから成長が遅いのではないかと思います。
さて。僕が悩んでいるのはまさにここです。なかなか戦力にならないことに申し訳なさを感じます。
お世話になっている大学の先生には「君は40代の先生が悩むことで悩んでいる」と言われる始末です。こんなことで悩むより、板書の仕方や子供への声の掛け方、基本的な授業の流し方など、具体的なことで悩むべきなのに・・・。
思考の世界はどんどん成長していくのに、現場での技術はなかなか向上しないというこのギャップで苦しんでいます。
一方でこれが僕なんだろうなあとも思います。思考の世界を成長させていくことが、僕が僕らしく生きるために必要なのだろうなって思います。実際それで幸せを感じますからね。
だから、あと数年続けてみてあまりにも周りに迷惑をかけるようなら身を引き、自分が自分らしくあれて、かつ誰かに貢献できるところを探していかないといけないなって思います。
いかがだったでしょうか?あなたの学校の使えない若手ももしかしたら僕みたいなことを考えているかもしれません!
そして、僕みたいなことで悩んでいたよっていう先輩先生がいらっしゃったら、ぜひコメントしていただきたいです。
誰に相談したら良いか分からず、頭を抱えているので😢