研究授業は教員にとっての授業なのかもしれない
どうも、現在2本の研究所業を抱えているT.Puです。
さて(疲)。
研究授業についてこんなことを言っている奴がいます。
「そんな手の込んだ授業いつもできるわけないだろ。研究授業は意味がない」
はい。以前の僕です。恥ずかしい限りです。
でも、こう思うのは割と妥当でもあって、研究授業の価値を提案性(結果)に置くならば、そりゃあこのように感じるのも無理はありません。
でも・・・最近僕が発見したのは研究授業の価値はむしろ授業よりも、その前後にあるということです。みんなで共に、研究テーマに沿って授業を検討し、その妥当性について考えるこの時間にこそ研究授業をする意義があるのではないでしょうか?
根拠は僕自身の実体験です。僕が提案した授業をもとに、たくさんの先生が考えアドバイスをしてくださいます。僕が勉強になるのはもちろんですが、他の先生方も協議をもとに研究テーマへの理解を深めていくことができます。
ある意味、僕が作った指導案は<教材>で、協議する先生方は<生徒>で、だとすれば事前検討や事後検討は<授業>なのだと思います。研究授業は先生達にとっての授業なんです!
そうと分かれば授業者たる僕の役割が見えてきます。指導案に研究テーマに沿った論点を意図的に盛り込むことです。言い換えると、先生達がツッコミそうなところを作るということです。
そうすれば、その視点についてみんなで話し合い、学びを深めることができ、最終的にはみんなで成長できるのではないかなって思います。
まあ、僕は実力不足のペーペーなので別に意図しなくても突っ込まれるところがたくさんあるんですけどね💦
なるべく研究テーマに沿わないところは突っ込まれないように仕上げないといけないなって思います。