去年から今年の違い

こんにちは。
今日は、1人でゆっくりと過ごしている。
母の病院は6日から、つまり6日までお互い無理しなくて良いのだ。本当は笑


気付いたら大晦日で、
今日も正月という実感は全くわかない。
こういうハンデを背負ったり、追い込まれてる人の中にはクリスマス、年末とかけてかなり追い詰められる人がいるのを知っている。

僕も3年前はそうだった。
どん底だ。

次の年もそうだったと思う。
人道支援の施設で、朝まで活動した。

去年は、初めて1人っきりで静かな正月を送ったが、確か年始の5日、6日まで誰とも会わなかったら、すっかり鬱状態になってボロボロになっていた気がする。

それで今年はどうだろう。
正直、この3年の中ではダントツで余裕だ。
毎年、毎年、つらさは減っている。
帰ると一応寝床はあるし、食事は準備すれば困らない。母はうるさいこともあるが、常に向き合わなければ良いもんだ。
東京の自宅から抜け出しているのも大きい。
その場で正月からは恐らく何もしないのに、
何かをしないと、今年どうなるんだろうと悶々と考えた後、正月くらいゆっくりするかー、鬱々、、、

となって、コンディション悪く、年を始めることになる。
それと引き換え、自分の生活のやらねばならないことは守りつつ(食事、運動など)
大自然の中で毎日ドライブしている。
お金も言えば必要経費は出るし、
ここで過ごせば、東京の電気代などはかかってない。
メリットもあるが、早く帰って治療を進めたいのはあるけど。


そして去年のことを振り返ると、
実はものすごく進歩している気がする。

・8/16〜から小麦、砂糖、植物油、乳製品(いわゆる4毒抜き)を本当に一切取っていない。
体重はMAXで人生最大62キロ台までいった(身長165センチ)
それが今は54キロ台。
年始の目標シートの体重面をクリアしている。
これが難しいということもあるがやってのけた。

・演奏、制作活動
年始の2月〜5月に12曲くらい編曲をして、音楽パートナーが体調不良などあり、ストップしたがめちゃくちゃ技術も増えた。
5月に宅録で演奏したら39度の高熱が出て、もうダメだと思ったが、結局去年5曲録音したことになる。
そのあとは舞台の編曲、体調は最悪で、本当に振り絞って今日はもう無理だ!でもやるんだ!ダメなら寝込むだけ!と毎日追い込んで完成。
結局そこでも11曲。
合計28曲分くらいに関与できたことになる。

・再会
2月に電気がまた止まった、その時はどん底だった気がする。電気が止まっても怒鳴られる、怒られるケースワーカーしか人と関わりがなかったから。
3年ぶりに母に電話したら、泣いて謝ってくれた。顔を見せに帰ってこい。
電気代は振り込み用紙送れと言ってくれた。

6月に帰省したら、それまで地獄のようだった帰省で初めて安堵したのを覚えている。
冷たいケースワーカー、振り絞って人に与えるボランティア、生活がままならない生活、体調不良。
その時点で2年間ある意味1人きりっで戦った。

6月に2週間ほど帰省して、
その時は人がいることっていいなと思って、
3年ぶりに後輩に連絡した。
後輩は心配してくれた。
そこから一緒にサウナやお風呂に行くようになった。
直後に、外タレのライブに招待してくれて、
そこで出会った後輩の友達に楽器を教えることになる。

音楽の師匠が飲み会の場に呼んでくれて、もういくしかない!と吐きそうになりながら行ったら再会できた。そこから月一で声をかけてくれて、毎回違う仲間と再会できた。
止まっていた時間に戻ってきた感じがした。
師匠には本当に感謝しかない。

・初めて楽器を教える。
生徒さんとすごく気が合って、レッスンが終わると毎回2時間おしゃべりして帰る。
体調が悪そうな時は心配してくれる。
年末は特別レッスンとして彼のマイホームで一晩中セッションした。
後輩と奥さまと楽しく話した。
2024年が始まる時に書いたメモに『2024年の年末はひとりでなく仲間と過ごす』と書いてあった。
さっきそれを見て、叶っていることに気付いた。

・訪問看護をやめる
6月の帰省のタイミングで、仲良くおしゃべりしていた訪問看護のおばちゃんをお断りすることにした。おばちゃんは快く送り出してくれたが、なんで?という気持ちだったと思う。
でも願掛けでも、自分を病人と表す証拠をケジメとして減らしたかった。
その後、さらにケジメとして就労移行支援によくわからないながら行き始めたら、そこで出会う職員さんたちが真剣に社会復帰、体調回復について考えて実行案とセルフチェックを手伝ってくれることに驚いた。
もちろん音楽はするけど、
都営住宅→障害年金更新→大手の時短勤務という方向性が見えてきた。

・ケースワーカーの交代
10月ケースワーカーが変わった。
どうやら前の人は体調不良らしい。病んでると思ってた笑
次の人は初めて保護課に来たおばさまで、
挨拶の電話が来た日にまた嫌なこと言われるのかなぁと思ってたら、就労移行支援から出たところと話すと、お疲れ様でした!と言われて、
とても驚いた。
そのあとも車のこととかも話し合いベースで考えてくれたり、今の家賃の件や、社会復帰を真剣に考えてくれている。(まだ怖いけど)
僕が受けたかった心理士を付けた治療も国から降りるように手配してくれる様子、、


・頭痛外来
頭が痛くて、全く動けない事が多かったが半年がかり、8月くらいに頭痛外来に辿り着く。
薬が当たって明らかに頭痛は減っていっている。
薬を変えたのが12月の初めだから、まだ経過観察中。


こんなことが2023年まではなくて2024年には新しく始まったこと。
ボランティアで見ず知らずの人たちと活動することやケースワーカー、訪問看護のおばちゃん以外、人と2年間は会っていなかったように思う。
僕はおしゃべりだし、人とずっといるような人間、人を力に変えていく気質がある。
その得意分野?できることを封印して、ひたすら病気と自分と戦った2年間。
そして、人との再会を果たした去年は
本当に本当に、楽になった面がある。


こう書くと、普段、母とか師匠とかしんどいとかきついとか、後輩、ちゃんとしろよとか言ってるけど、
みんなに感謝だ。


今年はもしかしたらもっと?
なのか?、、、な


期待せずに、やるべきことを
自分をまっとうする。


自分の納得、無常。
淡々と判断して、実行していく強さをください。


(でも、本当にありがとう。)

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